« 鎌倉2 | トップページ | 祝 3,000HITS »

2005/11/11

相模原...

相模原...

今週は、都内の職場からワザワザ地元に近い相模原の取引先に行って
きました。 JR相模原駅の近くの地元企業です。国道16号沿いにあるん
ですが、ココはいつ来ても綺麗だなって思ってしまいます。
社長さんに聞いたら、ココは戦後、米軍が進駐してきて(今も居るけど)、
横田基地や、相模原補給廠、キャンプ座間、厚木基地、本牧、横須賀を
結ぶためのルートとして作られたそうです。 特に、相模原周辺は、周り
に何もないため、米軍の下級将校クラスが、地図の上に定規を置いて
一直線に線を引いたから、ここは直線が多いんだそうです。 それと、
自分の”お国”のように道路の脇に植え込みがあって、さらにもう一車線
作らせたんだそうです。 この一車線を駐車場代わりに使用しているの
もいるけど、買い物とか、チョット停車とかにはかなり便利です。
植え込みの並木も見事だし...、妙に納得してしまいました。
この社長さんって、僕より若いんだけど、なんで戦後スグのこと知ってるん
だろ?

で、早速、相模原市役所のHPを覗いてみました。
LINK:相模原市役所

スポットニュース <SPOT NEWS > 1

ルート16は日本経済の縮図!

 東京近郊の相模原市は、郊外型コンビニエンスストアのモデル都市として、 全国に先駆け早くから集中出店が行われました。その成功をふまえて、コンビニエンスストアは全国に広まっていきました。
相模原市は、平坦な土地で道幅も広くて見通しもよく、道路網が整備されていますが、鉄道は市域の端を走っているという環境で、 早くから車中心型の社会になっています。そのため、市内の移動に自家用車を使うことが多く、 アメリカの大都市郊外に似ていると言われ、コンビニエンスストアやファミリ-レストラン、 ファ-ストフ-ド店をはじめとした外資系のロ-ドサイドショップが数多く進出しました。
 特に、国道16号沿線は戦前の軍都時代から重要な幹線道路として整備されており、 戦後は北部の工業団地への産業道路として使われ、相模原市の発展に大きく貢献しました。 やがて倉庫やガソリンスタンドが多くみられるようになり、そして現在では、 物流販売を中心としたサ-ビス業の店が立ち並んでいます。中でも外資系を含めた大型店舗が多数出店しています。 小田急線相模大野駅やJR古淵駅、JR・京王線橋本駅周辺の市街地再開発事業による商業開発にもめざましいものがありますが、 ここ数年は国道16号沿いの相模原市域に出店し、売れ行きをみてから全国展開をするケ-スが多くなっています。
 つまり、国道16号沿線は物流販売の試金石として欠かせない場所であり、日本経済の縮図になっているのです。■

スポットニュース <SPOT NEWS > 2

え~!国道16号は滑走路なの?
 私たちの生活に欠かせない国道16号線は、市役所前のさくら通りとともに40mの幅を持った大きな道です。具体的には、国道16号の清新小学校前~鹿沼台間2,700mとさくら通りの西門~高校入口間1,600mが、車道や緑地帯・歩道を合せて40mの幅をもつ大きな道路となっています。
 これは、相模原の街づくりに大きく影響している「軍都計画」によるものなのです。太平洋戦争直前の今から65年前、昭和14年(1939年)に相模原台地に兵器学校や陸軍士官学校が移転、そこで働く人の住宅や学校・公園などもつくられるなど、日本一の計画都市として建設が進められました。
 この都市計画を担当していた内務省官僚の記録によれば、この道路は防火道路として両側に2本の緑地帯を設け、いざというときには飛行機の発着も考えて40m幅に決めたものであると記されています。
また、この道路の中央2車線は厚さ50cmのコンクリ-トで舗装され、戦車が通ってもびくともしないようになっており、当時は“戦車道路”とも呼ばれていました。
 でも、国道16号は実際に滑走路として使用されたことはなく、現在では広い道が計画的に配置されていることが、相模原の発展に大きく役立っています。■

spo_1 spo_2

|

« 鎌倉2 | トップページ | 祝 3,000HITS »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 相模原...:

« 鎌倉2 | トップページ | 祝 3,000HITS »