山北の桜♪
★山北の桜♪
山北の桜…ずっと昔から憧れていた♪
なんと言っても、鉄道公園の桜ってことと、昔の鉄道の要所”山北駅”
そのものである♪
今日は、JR誕生20周年♪
国鉄から分割民営化されて、JRが誕生して、20年。
早いもんだ。 昭和62年4月1日…、かなり記念すべき日♪
未だに、国鉄カラーに憧れる、僕のような鉄ちゃんも多い。
父は、若い頃、国鉄マン。 父方の叔父も国鉄マン。
その娘婿は、JR西日本社員。
母方の叔父も国鉄マンで、今はなき宇高連絡船の関係者。
僕も、新幹線の運転手を夢見てた…♪
ま、そんな家系の人間にとって、”山北駅”は聖地♪
~~~ 山北物語 ~~~
山北駅は、明治22年(1889年)に開業。
当時、東海道本線は、熱海の方ではなく、この御殿場経由であった。
それは、熱海から先に立ちはだかる箱根の山に拒まれていたから。
だけど、御殿場ルートも、かなりの難所。
1,000mにつき25mの急勾配。
そのため、この山北駅から、補助の機関車が付いて、急勾配を駆け抜ける
のである。
だから、観光とかそういうのではなく、純粋に鉄道運営としての要所なのだ。
この機関区なしには、御殿場の山越えが出来ない。
特急といえども、この駅には停車せざる得ないのである。
従って、ここには国鉄マンが650名もいたというし、駅弁まで売っていた。
そして…。
45年後の昭和9年(1934年)に、あの熱海の先に丹那トンネルが開通し、
東海道本線は、海側に…。
それと共に、山北の使命は終わりを告げ、大勢の国鉄マンも海側に異動した
のだとか。
さらに、終戦間近になると、物資が不足し、御殿場線のレールも拠出され、
複線から単線に…。
もっとも、旅客も貨物も、海側のルートを使うようになったため、単線でも充分
であったという事情もある。
そして、今では、往時の機関区跡にD52が静態保存されている。
春の桜の時期になると、花見客に混じって、カメラ小僧が沿線に群がる♪
今日は、僕もその一人となった♪
山北の桜は遅いなって、やきもきしていたのだが、週末には、パッと咲いたよう♪
そして、心配していたお天気も、最高♪
温度も上昇し、かなり暑い花見♪
今年は、素晴らしい桜をたくさん見ることが出来てラッキーでした♪
LINK:御殿場線物語/ごてんばせんネット
町田から特急ロマンスカー”あさぎり”で♪
JR東海371系♪
小田急とJR東海の相互乗り入れで、
新松田駅の手前、連絡線からJR御殿場線に
入る。
そして、山を駆け抜け沼津まで。
小田急線沿線は、ほとんど
全線といえるほど桜が
きれいに咲き誇っていた。
JR松田駅で下車。
ここから、国府津発、
沼津行きの各停に
乗り換え。
東名高速が、すぐそこに♪
このルートを走ると、ついカーチェイスに…♪
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コメント
ゆうさんへ
お久し振りです。 ずっと小田急沿線なんですね~!! 山北の鉄道公園は、昔から憧れていたとこなんです♪ 相模川の芝桜は、お近くの伊勢原が本家なんですよ。 そのまた本家は奥多摩らしいですけどね。 また遊びに来てくださいね♪
投稿: ゆ~ちゃん♪ | 2007/04/15 19:37
こんにちは。以前一度、コメントさせて頂いたゆうです。
山北のブログを見て、昨日息子と行ってきました。
御殿場線のあまりの電車の数の少なさに・・・びっくりしちゃいましたが息子はかなり嬉しかったみたいです。
また楽しいブログを待っています。
私達家族は祖師ヶ谷大蔵に住んでいて、豪徳寺に引越し、今は秦野です。ですから、ここのブログは楽しい様な懐かしい様な気持ちです。
次の休みは芝桜を見てきたと思っています。
投稿: ゆう | 2007/04/15 18:58