シベリア鉄道の思い出~♪
★シベリア鉄道の思い出~♪
昨日とは、打って変わって涼しい~♪
朝のうち、日がさしたくらいで、あとは曇天…。
まったり休日には、ぴったり♪
ランチは、ケンタで…♪
いつ食べても、美味しいチキン♪
息子たちには隣のマックで、月見バーガーセットのテイクアウト。
中央林間とうきゅうは、この二つの店が並んでるので便利。
~~~~~ 思い出 ~~~~~
ケンタは、昔、ロンドンにいた頃にアルバイトしてた。
最初は、掃除だけの仕事。
その内、キッチンでチキンを切ったり、揚げたり。
あの秘伝の味♪
スパイスとかの調合したパウダーは、全てアメリカから。
そのうち、店頭の応対やレジまでやらせてもらった♪
店長は出稼ぎの30代のシリア人で、普段は白人みたいな感じ。
お国の衣装を着ると、やっぱりアラブの人。
同僚は、エジプト人留学生とか、出稼ぎの両親についてきたモロッコ人の
若者やペルシャ(イラン)の自称医師(?)。
このペルシャ人は、語学学校の同級生でもあった。
オーナーと僕以外はみんなイスラム教徒。
共通してるのは、みんな、ある時刻になると、お祈りを始める。
でも、みんな、時刻はばらばら…何で?
同じイスラム教徒のはずなのに…。
それと、石にお祈りしてたり、何やら布切れにお祈りしていたり…。
シリア人の店長のお宅でご馳走になった、お国料理は美味しかったな♪
なすのオイル漬けとか、なんか、そういうのが好きになった♪
ラマダン期間中はちょっと気の毒で…、水を飲むのも気を使った…。
店長は、ちょっといい加減なラマダンだったけど、モロッコの若者はかなり
辛そうにしつつ、水一滴、口にしなかった。
ラマダン。
ロンドンにいた頃にラマダンに遭遇したのは秋だった。
その後、日本に帰国してペルシャ人の友人から手紙が来るようになったのだが、
数年後には夏にラマダンを行っていることに頭が混乱した。
さらに数年後には春のおわりに…。
最近になって知ったのだが、ラマダンはイスラム暦で行うため、太陽暦のグレゴリオ暦
とは毎年11日ずつ早まるのだとか…。
そんな思い出のあるケンタは、今でも大好き♪
特に、日本人のほとんどは不法就労だったにもかかわらず、気持ちよく雇って
くれたりし…。
日本人は学生といえども、お金は持ってて、それで暮らしていけるのだが、
日々の生活費程度はアルバイトで稼ごうとか、英語の上達のためとか、
そんなノリ…。
当時は、何事にもおおらか。
この職場を通じて、いわゆる健康保険とかにも加入していたから驚き。
ある日、チキンの油で小さな火傷をした時、その保険で治療してもらえた。
日本じゃ考えられない…。
それに比べると、アラブやペルシャの人々は、生活がかかってるから大変。
でも、イギリスでは、彼らは就労とか滞在が許されていて、その点は大違い。
ま、生活がかかってるか、遊び半分(?)かの違い…。
~~~~~ ~~~~~ ~~~~~ ~~~~~
高校の頃、五木寛之に憧れて、どっか行こうかという軽い気持ち。
どうせなら、五木の足跡でも辿ろうかなって。
当時、日本円は、1ドル=200円台。
「東京銀行」で、トラベラーズチェックに換えたり、ドルに換えたり…の時代。
赤い国・ソ連(当時)…興味あったし。
ソ連を旅するには、国営旅行社・インツーリストを通さないとだめ。
日本では、日ソツーリストビューローなどが取扱いしてたので、僕もそこで手配した。
そして、出発間際に学校の教務課に中退しますと申し出たら、学費まけてあげる
から、休学にしなさいと…。
ま、こんなことも、昔だからかな…。
横浜大桟橋からソ連のジェルジンスキー号という客船でナホトカ入り。
そして、ハバロフスクまで鉄道。
ここで、ちょっとツアーして、その晩にシベリア鉄道”ロシア号”で、延々と列車の旅♪
いくら、鉄道好きでも、少し飽きる…。
車窓から見えるのは、草原とか、赤土の荒野とか、森とか…。
一日中、森の中を走っていた日もあった…。
確か、7泊8日シベリア鉄道に乗ってた。
途中で、どこかの駅で降ろされて、ツアー。(都市名は覚えてない…)
モスクワでは、最高級の”ホテル・ウクライナ”で3泊して、モスクワツアー三昧♪
街中では茶色っぽい軍服を着た軍人が多くて驚いたが、日本では考えられない光景
だった。
ヨーロッパでも東側の国では軍服を着た軍人の露出が多かった。
西側では唯一、イタリアは軍人の多さが目立った。
モスクワではボリショイサーカスも見たが、ロビーやトイレでは煙草の煙がもうもうと
していた。
僕も煙草を吸いはじめた頃で嫌いじゃないのだが、ソ連の煙草は強烈な匂いで閉口
した。
食事は横浜を出た時からずっと黒パンだった。
白いパンは見なかった…。
飲み物は甘くない炭酸水かアップルジュースだったが、横浜からヘルシンキまで
徹底していた。
個人旅行なのにツアーに組み込まれ、日本語の通じる女性添乗員がつきっきり…。
ま、監視役とも言う…。
ダスビダーニャ、スパシーボくらいは覚えたかな…。
みんな仲良くなった…。
モスクワから、またまた、鉄道でフィンランドのヘルシンキへ。
ソ連からフィンランドに入る国境付近ではソ連側の国境警備隊がライフルを
構えていて、ちょっと恐怖と緊張感…。
ヘルシンキに到着した時は開放感…♪
ようやく、ヨーロッパへ入ったことを実感した♪
そして、ようやく本当の旅がはじまった♪
マーケットで果物やパンを買うのが新鮮に感じた。
駅のホームの端でカフェに入ったことも嬉しかった。
最初の2ヶ月間は、スチューデント・ユーレイルパスでヨーロッパ中を放浪♪
とにかく、大好きな列車に乗り続けられたことが最高だった。
いちばん印象に残っているのは、ドイツだったか、ユースホステルに泊まったとき。
今日は日本人が宿泊しているので、夕食はカレーライスですという館内放送が
流れ、ちゃんとしたカレーライスがふるまわれて美味しかったこと。
そして、泊まっている人たちから、君のおかげで美味しいカレーライスが食べられた
よといった言葉が嬉しかった。
パスが切れる間際にロンドン入りし、語学学校に通った。
ロンドンでは、フラットを見つけて、ユーゴスラビア人の大家さんが良くしてくれた。
住んでたとこは、地下鉄セントラル・ラインのShepherd's Bush駅の近く。
この駅は、同じく地下鉄ハマースミス&シティー・ラインも乗り入れてた。
このエリアは、インド系とかパキスタン系、アフガン系と、南アジアの人々が多く
暮らしていて、その手の南アジア系のスーパーとかも多かった。
近くにはBBCや、フットボールコートがあり、よく散策したものだ。
ま、二流以下のエリアではあったのだが、駅前には、大きな公園があって、芝生
に寝転んで過ごしたな~♪
日本に、この手の公園があったら、きっと話題になり、人がたくさん集まるような
そんな、素晴らしい公園とかが、当たり前のように点在している。
ま、ロンドンでは二流以下の街だけど、これを日本にもってくれば、間違いなく田園
調布や成城学園エリアをも圧倒する♪ もちろん、とんでもないほどお洒落♪
一駅で、ホーランドパーク駅、そして、さらに一駅で、ノッティングヒルゲート駅♪
ノッティングヒルゲートでは、あの蚤の市”ポートベローマーケット”によく通った♪
モーターショーで有名な、アールスコートも徒歩圏内。
イギリスの食事って、味がないと言うか、まずくはないけど、美味しくもない…。
唯一、フィッシュ&チップスだけは、美味しかった♪
これは、どこの街でも必ず1、2軒はあった。
新聞紙に包んでくれる、あの味…♪
ちょっとグレードを上げると、ローストビーフやミートパイ♪
これも、間違いなくイギリスの味だと思えるし、すごく美味しい♪
僕は、プディング用のイタリア米を買ってきて、ご飯を炊いていたけど、けっこう
いけた♪
それに、南アジア系のスーパーでは、本場のカレー粉とかも売っていたので、
カレーライスが最高のご馳走だった♪
アルバイトは週給でフラット(アパート)の家賃も週払い。
1ポンド=700円くらいだった。
アルバイトの時給は50ペンスだったので、およそ350円。
日本でアルバイトしていたときもそんなものだった…。
最近は1ポンドが200円を切ったので、その差に愕然。
昔、フィッシュ&チップスは70ペンスくらいだったので、日本円にすると500円ほど。
最近は6、7ポンドはするらしいので、日本円に換算すると1200円ほどか。
白身のタラなどのフライとどっさりのポテトチップスなので、日本だったら500円しない
レベル。
ケンタって、そんな思い出とだぶってくる♪
あの匂いがすると、当時がよみがえってくるから、不思議…♪
・ウクライナのこと… 2022.05.16
■
アルバムから
1974年(昭和49年)5月、横浜港大桟橋にて。
ソ連船ジェルジンスキー号でナホトカへ。
・世界の車窓からDVDブック・ロシア&ウクライナ♪ 2009.02.09
ロンドン、住んでたフラット。(Ellerslie Rd. 、Loftus Rd.、Shepherd's Bush駅から徒歩5分)
右端に見えるゲートはクイーンズ・パーク・レンジャーズFCのフットボールコート出入口。
僕の部屋から試合が見えた。
試合のある日は駅からここまでお祭り騒ぎだった。
警備の警察官は馬に乗った昔ながらのスタイルでかっこよかった。
・懐かしいLONDON~♪ 2014.11.21
ホーランドパークからノッティングヒルゲートに向かう僕にとっての散歩道♪
語学学校の教室にて。
ドイツ、ハンブルグセントラル駅構内。
イタリア、ナポリ港。
ベスビオ火山噴火によるポンペイ遺跡。
コロシアム。
帰りはPIA(パキスタンインターナショナル航空)の格安チケットを入手。
パキスタン、カラチで数日間のトランジット。
1970年代半ばの写真なので誤解のないように…。
カラチ市内。
数日後。
いよいよ帰国、PIAに乗り込む。
当時、ロッキード L-1011 トライスターと共によく目にしたマクドネル・ダグラス DC-10
だった。
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コメント
mayuさんへ
ロンドンって、暗いイメージが強いし、曇天が多いのですが、皆さん、いたって明るく楽しかったです♪
匂いで思い出すっていうのは、僕の場合、稀なんですが、ケンタの匂いは別格みたいです♪
それと、嫌な思い出はわりと忘れやすく、いい思い出ばかり、残る性格なんで…楽天家なんですかね…。(笑)
投稿: ゆ~ちゃん♪ | 2007/09/24 22:19
shionさんへ
匂いで、昔のことがよみがえってくるって、僕の場合、少ないのですが…、稲穂の匂いで、四国のこと。 ケンタの匂いでロンドンのこと。 紙石鹸の匂いと、ペンキの塗りたての匂いで小学校1年生の頃の教室を思い出します。
歌とか、音楽の場合は、あれこれ、けっこうあるんですがね…。 感情までよみがえるから不思議です♪
投稿: ゆ~ちゃん♪ | 2007/09/24 21:53
海外に住んでいたなんて・・・素敵ですね。私もロンドンには旅行で行きましたが・・・町並みも生活している人たちもみ~~んな素敵でしたね(●^o^●)
また、行きたい町ナンバー1です。
ケンタッキーは食べるたびにその頃のことを思い出せるものなんですね~~~。なんだか素敵ですね。
もっともっと、写真でも見ながら思い出話聞きたい気分です(#^.^#)
投稿: mayu | 2007/09/24 08:52
海外で働いていたことがあるなんて...
ケンタも、そんな思い出が詰まっているなんて
素敵ですね♪
投稿: shion | 2007/09/24 00:21