ランチ♪
★ランチ♪
今日ははっきりしないお天気…。
暖かいから過ごしやすいけど。
マフラーをはずさないと汗ばむほど。
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最近ランチでよく行くお店♪
昭和30年代のレトロというか貧しさから脱却しはじめた頃の日本というか。
この頃のこんなカッコ、よく覚えてる♪
目黒で生まれ育ち、その後、小学校からは横浜で育った僕にとって、正にこの
マネキンのまんま。
お母さんも子供も下駄ばき。
この店の若い店員さんはモンペに割烹着姿。
すごく新鮮でいい…♪
お母さん、この男の子、紙芝居屋さんは下駄。
・伝べえ 新宿3丁目店/ぐるなび
・炭火焼肉黒ベコ屋 新宿3丁目店/ぐるなび
・バル三丁目店/ぐるなび
この写真の光景はそこそこの街だと思う。
横浜のローカル、大倉山はもっと田舎だった…。
共通してたのは、子供たちは幼稚園や学校から帰宅すると下駄だったこと。
このマネキンと同じように母親たちも下駄だった。
そして、こんな割烹着姿だったな。
僕は帰宅してから野球やサッカーをやる年頃になってからはズック靴とか運動靴
になった。
いや、ほとんど野球ばかりだった。
サッカーは東京オリンピックの頃にボールを足で蹴る球技があると初めて教えてもらった。
僕は小学校高学年だった。
田舎だった大倉山が変わり始めたのは昭和30年代後半。
昭和39年を迎えるにつれて急に街らしくなった。
昭和39年10月1日は東海道新幹線が開通してすごい辺ぴなとこに新横浜駅が開業。
その10月10日に東京オリンピック開幕♪
僕たちの小学校の脇をかすめるように新幹線の高架ができて、騒音問題が起きた
ため、数年後に小学校が移転した。
全てはオリンピックへ♪
ちょっと前の北京オリンピックの時よりもエキサイティングだったかも。
東海道新幹線もオリンピックも、何もかもIMFからの借金だったと思う。
ココは新宿3丁目。
三丁目の夕日とひっかけてるのか…。
店内も昭和30年代。
このお店、なんだか、僕たちの世代がいちばん喜んでるような…。
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コメント
ururuさんへ
当時は子供心にも向上あるのみ。
そんな世相でした。
今のような下降線なんて考えもしなかったです…。
まさか人口が減るなんて…。
割烹着姿、今は懐かしいですね。
投稿: ゆ~ちゃん♪ | 2011/02/18 18:11
昭和30年代の日本は「これから頑張るぞ!」という空気だったと思います。
今ほど豊かじゃないけど、希望は沢山ありましたね☆
割烹着のお母さん。。。。
なつかしいなぁ。。。。
亡くなった母も当時はずっと割烹着でした☆☆☆
投稿: ururu | 2011/02/18 14:49