豆相人車鉄道の旅…かな♪
★豆相人車鉄道の旅…かな♪
今日も晴れ♪
穏やかなお天気♪
東名は横浜・町田インター付近で短い渋滞らしいので、246で厚木へ出て
小田厚にのることに。
大山、丹沢の山は少し白いものが混じってる。
小田厚はちょっとクルマが多いっ。
平塚PA手前で覆面に捕まってる。
さらに行くと平塚料金所の先や二宮あたりでも。
あの短い距離、短時間に3台も…。
これでもかって位に見せつけられて、みんなスピードが落ちてくる。
小田原からは富士山が♪
小田厚、箱根方面は渋滞ないようだが、早川から石橋にかけて3kmの渋滞…。
あの渋滞、たとえ1kmでも嫌い。
途中でおりて、一般道を。
ここ国道135号は石橋といえども、渋滞はない…。
合流直前で若干ノロノロ。
海だ~♪ すごく輝いてる♪
真鶴半島と小さく見える三ツ石。
石橋の合流地点にて。
135号、合流後はスムーズ。
まずは、根府川の手前で裏道へ。
住民にとっては、むしろ海岸線の135号よりこちらのほうが生活道路として
使ってると思うけど、僕たちよそ者にとっては、未知の世界…。
ここは少し前に根府川駅を訪ねた時に使ったことがある道路。
といっても、ホントに短い距離、入口部分だけ。
今日の目的地がこの裏道というか山側の道路沿いにあるもので。
大きなカーブのとこで、どっちが道なりなのか判別できなくて、違う方向へ行き
かけたけど、すぐ気がついて…。
こういうミスって、後々記憶に刻まれるからウェルカム。
目的地が近づくにつれ、「おかめ桜の里」って書かれたノボリが。
根府川、江之浦地区ではおかめ桜まつり開催中なのだ。
2月26日~3月20日までなのだが、肝心のおかめ桜は固いつぼみ。
大幅に遅れてる。
離れのやど星ヶ山。
以前から有名ではあるけど、興味なかった。
ところが昨年秋、ここに豆相人車鉄道の車両が復元された。
こんな広告を見てしまっては、居ても立ってもいられない。
離れのやど星ヶ山って、広大なエリアにログハウスが8棟。
他にレストランや露天風呂などの施設が自然の中に点在。
こんな看板が。
こちらはミニカーハウス。
ここにはミニカーがとにかく全ての壁面にびっしり。
鉄道モデルも相当数あるし、鉄道ジオラマも。
但し、ジオラマは完成品かな。
そして、豆相人車鉄道の車両が復元されてた。
「上等」、「FIRST」の文字が。
こちら、昨年秋からなので、まだ新しい。
ほんの10mほど走らせることも出来るのだが、あいにく今日は担当者が多忙。
ホントは人車鉄道だけ見たら、次のポイントへ向う予定だった。
いや、さらにホントはココは最後に訪れる予定だったのだが、あまりにも居心地よい
ので敷地内のレストラン「ななつの星」で早めのランチを。
売り物の猫のぬいぐるみが。
店内、明るくてフレンドリーで、いい雰囲気♪
ひな人形が飾ってあった。
これ、昭和5年頃のものだとか。
伊豆に近いせいか、つるし雛も。
桜茶♪
ここは普段、和食はないのだけど、今日は、おかめ桜まつり限定メニューという
ことで、あじ丼(ごまだれ漬け丼)を。
あじ丼。
とっても美味しかった♪
おかめ桜はまだ固いつぼみ。
こちらは河津桜♪
梅も♪
・離れの宿 星ヶ山・根府川
・おかめ桜まつり
・豆相人車鉄道
■関連記事
・江之浦~根府川のおかめ桜♪ 2012.04.01
・東海道本線&絶景イタリアン♪ 2008.10.12
JR根府川駅近くの豆相人車鉄道の根府川駅跡のモニュメント。
2008年10月撮影
星ヶ山を後にして、下り坂を下っていたら、海がまぶしい♪
思わずクルマをとめてパチリ。
そこには大きなお家があって、みかんを売ってた。
湘南ゴールドがほしいのだが、あちこち聞いてもまだ収穫してないと…。
ゴールデンオレンジを買った。
いろいろオマケしてくれて♪
この光景、つい最近、TV局もこのお家の庭から撮影したのだとか。
やっぱり、目をつけたか…♪
東海道本線白糸川橋梁。
ゴールデンオレンジ。
湘南ゴールドを食べるようになって、その親のゴールデンオレンジも好きになった。
小さくて皮が固くて、だけど、みかんとは違った味。
美味しい♪
135号に戻らず、山の中の道路を。
途中、元祖からみもちのお店。(以前、ブログ友のきんたろうさんが記事にしてた)
住民しか通らないのか、クルマは少なく、わりと快適。
狭い箇所やブラインドカーブもあるけど、苦ではない。
以前、石橋のみかん山を通ったとき、あまりの狭さに恐怖を覚えたけど、
あれは、みかん農家の専用だったのだろうな…。
海沿いの135号がサイコーって思っていたけど、実はこちらの山の中を行く
県道740号、かなり高いトコをいくので、海が眼下に見えたり遠目に見えたり。
かなり気に入ってしまった♪
またまた絶景を見てしまった。
そして、ついでに撮ったヒルトン小田原リゾート&スパ。
よくぞ、こんな山の上に建てたものだ。
次の目的地への看板が。
ここからは、みかん畑の中の急な下り坂。
すごい坂…。
ホノトにこんなとこにあるのか…。
あったあった。
思ってたよりちゃんとした建物。(失礼…)
・江の浦テラス
・江の浦テラス・根府川&江之浦/食べログ
想像してたのと全然違う…。
山の中のバラックみたいな建物を想像してた。
エントランス、すごくお洒落♪
後で知ったのだが、ここは宿泊施設もある、いや、宿泊施設がメイン。
お~っ、ここからの海の眺めもサイコー♪
今日の海はどこまでも青い。
今日はテラス席でもと思ったけど、ココはちょっと風がある。
ここから見る大山♪
いつもと違う姿。
対岸の街は小田原市街。
山側に目を向けると、さっき下ってきた、みかん畑の農道。
やっぱり、すごい急勾配。
ひな人形♪
つるし雛も。
ここで一日中のんびりしていたい♪
そんな江の浦テラスだった。
海を見たら、瀬戸内海のある島での光景とだぶった。
オレンジやシトラスの島だったからかな。
ここから江之浦に下りて、国道135号にのろうかと思っていたけど、
山の中の道路も快適だと思えてきて、そのまま。
裏道って表現は間違ってた、かなり快適な道路。
恐るべし県道740号♪
・国道135号 Wikipedia
・神奈川県道740号小田原湯河原線 wikipedia
あっと言う間に真鶴を越えて湯河原に。
ここから135号へ。
当初の目的地、湯河原の味楽庵へ。
広くもない駐車場に大型の観光バスが。
なんと、バスツアー客に和菓子作りの体験をさせている。
そ、ここは和菓子の店。
さらには、かなり以前から豆相人車鉄道の復元した車両が展示されている。
行きたいと思いつつ…。
豆相人車鉄道は明治28年(1895年)から同41年までの約13年間、
小田原~熱海間26kmを4時間でむすんでいた。
当時、海沿いの路線は起伏に富んでいたので、上り坂で押すのは苦労だった
と偲ばれる。
・味楽庵・湯河原
・熱海鉄道wikipedia
・豆相人車鉄道(小田原~湯河原~熱海)
豆相人車鉄道のパンフはこちら…。
・etc.♪ 2011.03.06
もちろん、お菓子も♪
いちご大福、美味しかった♪
花もち、人車もなか、あん杵…、目が買ってしまった。
こういう生菓子は賞味期限が短い…。
早速、あれこれ…♪
人車もなか。
最近、湯河原といえば、たんたんたぬきの坦々やきそば♪
まだお腹がすかないけど…。
僕たちは、湯河原一番亭の14種類の野菜の交響曲風坦々やきそば。
中華のお店らしく、美味しいやきそば。
満足~♪
・一番亭/食べログ
湯河原には幕山公園の梅林とか、温泉とかには寄ったことがあるけど、
駅前は初めて。
ちょっと散策。
駅前の商店街はたくさんお店があるけど、シャッターが下りてるとこが多い。
駅から遠くなるほど、シャッターが閉まってる。
中には土日は休みのとこもあるけど、店の営業をやめてるとこが多い。
シャッター…、こんな光景も…。
なんだか、この国を象徴してるような。
今日のドライブ、どこへ行っても高齢者ばかり…。
みなさん、ホントにお元気だし、いろんな楽しみかたをよくご存知。
若者はどこへ行ったのか…。
いないのか、はたまた、行動しなくなったのか。
新宿や渋谷、表参道とかにはたくさんいるのに…。
登山人口もスキー人口も激減だとか。
登山は高齢者ばかり。
僕らが山へ入ってた頃は若者だらけだったぞ。
夏山シーズン、列車も駅も若者の熱気でむんむんしてたぞ。
スキーもスノボも僕らはこぞってトライしてた。
みんな、どうした…。
クルマのドライバーを見ると、高齢者ばかりとは言わないけど、白髪まじりの
オッサンばかり。
若者のドライバーは…。
バリバリ音たててもいいよ…、走らないのか…。
留学生も激減だって…。
なんで…。
外の世界も面白いぞ。
経済的な問題なのか、活力の問題なのか、満たされてるからか、興味がないのか。
興味あることは、ヴァーチャルの世界が教えてくれるのか。
ヴァーチャルで体験したら、リアルの世界は必要ないのか。
ホントにどうしたんだろ?
JR湯河原駅。
改札口。
駅前の道路の向こうはお土産屋さんがたくさん並んでる。
小田原の鈴廣などのかまぼこ、干物などが。
湯河原は10年にわたって、さがみの小京都をキャッチフレーズにしてきたが、
最近これを返上した。
そ、どこをどう見ても馴染まない。
駅前には京都っぽい小さな公園みたいなスポットがあるけど、これはどうするのかな。
でも、潔く返上したのはよかったと思う。
駅前ロータリーのとこには地元の土肥実平公と夫人の像。
昔は土肥村であったが、町村合併などによって、現 湯河原町となる。
西伊豆にも土肥という地名があるけど…。
土肥実平は源頼朝に仕えた武将。
石橋の合戦前の戦略会議は土肥実平の館で行われた。
また、敗れて真鶴から安房(千葉)へ逃れる時も土肥実平が手引きしている。
頼朝は伊豆に流されていたことから、地理的にこの辺りに縁のある所が多い。
石橋の合戦、そして、敗退して隠れていた真鶴半島の貴船神社近くの「しとどの窟
(いわや)」が有名ですが、湯河原の山の中にも全く同様の言い伝えの「しとどの窟
(いわや)」がある。
頼朝はここから房総半島に行きついて、そこで態勢を整えた後、鎌倉へ。
・相模の武将、土肥実平
熱海の伊豆山に、赤い逢初(あいぞめ)橋というのがある。
あの橋は頼朝と政子が劇的な対面をした橋なのです。
それで、逢初橋とつけられたそう。
あの鎌倉・七里ヶ浜の行合橋の由来にはびっくりしたけど、こちらの由来、
なかなかです。
過去記事
・鎌倉長谷寺の梅♪-2 2011.01.30
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
豆相人車鉄道
豆相人車鉄道。
明治28年(1895年)、熱海駅~吉浜駅間が開通。
翌明治29年(1896年)、小田原駅~吉浜駅間が開通して、全線開通。
人車鉄道の小田原駅は国道1号早川口交差点手前の歩道橋のあたりに
石柱がある。 2017年5月撮影
小田原駅は早川口交差点の近く。
現在の国道135号に沿う道路はなく、国道135号の東側に旧早川橋
に向かう道路に沿って豆相人車鉄道は敷かれた。
その後、現在の早川駅付近から現 国道135号に沿って南下。
石橋付近からは市道のほうへ。
米神(こめかみ)駅跡のプレート。 2017年5月撮影
そして、根府川から現在の県道740号沿いに。
おかめ桜がかわいい♪
JR根府川駅の先に人車鉄道の根府川(ねぶかわ)駅跡が。 2020年3月撮影
根府川駅跡のプレート。 2008年10月撮影
根府川駅と江之浦駅の間から少しはずれると。
復元された豆相人車鉄道の車両が。
10mほど手押しで動かすことができる。
離れのやど星ヶ丘にて。 2012年4月撮影
現在の江の浦バス停付近に人車鉄道・江之浦(えのうら)駅のプレートが
埋め込まれている。 2017年5月撮影
県道740号沿いから国道135号に…。
小田原市から真鶴町に。
JR真鶴駅前。
駅前ロータリーには豆相人車鉄道の「城口(じょうぐち)駅」があったことを示す
銘板が建てられている。
人車鉄道の頃は城口駅であったが、軽便鉄道になってからは「真鶴駅」に。
2013年4月撮影
さらに南下すると。
真鶴町から湯河原町に。
海岸に沿った吉浜(よしはま)駅のプレートが。 2017年5月撮影
すぐ目の前の小澤さん宅は「テイシャバ」という屋号で呼ばれていた。
2017年5月撮影
※wikipediaより
湯河原町の西端には門川(もんがわ)駅跡。
現在は中島モータースというバイク屋さんの前。 2017年5月撮影
そして、千歳川を渡ると熱海市へ。
走り湯、伊豆山神社のある伊豆山へ。
ここにも伊豆山(いずさん)駅があった。
ところが、2017年5月に訪れたのだが…。
熱海市役所出張所は廃止されて、防災センターに。
そして、出張所の外壁に取り付けられていた伊豆山駅跡のプレート…。
どこにも見当たらなかった。
防災センター。
伊豆山駅跡のプレートは見当たらなかった。 2017年5月撮影
終点、熱海駅。
現在のJR熱海駅のずっと先。
大江戸温泉物語の玄関前。
豆相人車鉄道の熱海駅跡のレリーフ。
撮影当時は南明ホテル前だが、現在は大江戸温泉物語に…。
2007年2月撮影
・豆相人車鉄道跡を歩く
・廃線探索 - 豆相人車鉄道
■関連記事
・etc.♪ 2011.03.06
・江之浦~根府川のおかめ桜♪ 2012.04.01
・GWのお出かけ~♪ 2017.05.03
・豆相人車鉄道を♪ 2017.05.19
・梅&河津桜♪ 2007.02.17
■
熱海駅前の熱海軽便7号機。
1895年(明治28年)、吉浜~熱海間で豆相人車鉄道が開通。
翌1896年(明治29年)全線開通。
10年余、人車で運んだ後、人車鉄道から軽便鉄道へ。
1908年(明治41年)から1923年(大正12年)にかけて熱海~小田原間
の約25キロを2時間40分かけて人々を運んだ蒸気機関車。
時速10km以下…。
1920年以降、現在の海側ルートの東海道本線の基礎となった国有鉄道の
熱海線延伸に伴う軽便鉄道の縮小や、関東大震災による壊滅的打撃
により廃止した。
長さ3.36m、高さ2.14m、幅1.39mの初期の小さなSL。
熱海駅前に展示してあるのはその7号機で1975年(昭和50年)12月から
置かれている。
人車鉄道、軽便鉄道ルートは小田原を出て、現在の国道135号、根府川
からは県道740号、そして、再び国道135号を…。
SLの展示。
長らく足湯・家康の湯や間欠泉の近くに鎮座していたのだが、2013年12月
、こちらの仲見世通り入口付近へ移されてきたのだ。
2016年4月撮影。
・熱海鉄道wikipedia
・豆相人車鉄道/小田原市
豆相人車鉄道のパンフはこちら…。
・etc.♪ 2011.03.06
■2017年4月追記
尾崎紅葉の『金色夜叉』。
読売新聞に1897年(明治30年)から1902年(明治35年)まで連載され、
紅葉が35歳の若さで死去。
『金色夜叉』は未完…。
後に門下の小栗風葉によって書き継がれた。
今年は連載開始から120年…。
もちろん、熱海が舞台。
熱海サンビーチには「お宮の松」と「貫一お宮の像」が…。
宮は母親と湯治のため熱海に向かう。
『金色夜叉』の連載が始まった1897年(明治30年)当時、東海道線は熱海
を経由せず、国府津から北上し、内陸の山北を経由するルートであった。
つまり、現在のJR東海・御殿場線が東海道線であった。
東京から行くには、まず国府津まで鉄道で2時間半、小田原まで馬車鉄道で
30分余、最後はレールの上を人力で客車を運ぶ『人車鉄道』に4時間乗り、
計7時間かかった。
ま、それ以前は籠か徒歩だったわけで…。
そんな不便な熱海ではあるが、江戸時代から有名な温泉場であった街は
西南戦争後、政財界のお歴々らが好んで滞在したり、別邸を建てたりして
発展した。
梅園や熱海御用邸はこの頃に作られた。
人車鉄道としては13年間の短期間であったが、以降は軽便鉄道の熱海鉄道
が担う。
1922年(大正11年)には国有鉄道の熱海線が国府津~真鶴間で開通。
1923年(大正12年)に発生した関東大震災により、国有鉄道も熱海鉄道
も壊滅的な打撃を受け、熱海鉄道は全線廃止とする。
1925年(大正14年)国有鉄道の熱海駅開業、国府津~熱海間が熱海線
として名実ともに活躍。
1934年(昭和9年)、熱海駅の先、丹那トンネルが難工事の末貫通。
以後、東海道本線は小田原、熱海を経由する海側ルートとなる。
山北、御殿場を経由する御殿場ルートは御殿場線となる。
ここで『人車鉄道』として紹介されているのは「豆相人車鉄道」のこと…。
1895年(明治28年)~1908年(明治41年)の約13年間。
小田原~熱海間26kmを4時間もかかったうえ、登り坂に差し掛かると、
下等クラスの乗客は人車を押す手伝いをさせられたとか…。
現在の小田原~熱海間は東海道新幹線「こだま」で8分、在来線では
20分余…。
クルマでは30分ほど。
元々、このエリアは文学を語る上では宝庫…。
人車鉄道は国木田独歩の小説「湯河原ゆき」に、軽便鉄道は芥川龍之介
の小説「トロッコ」と、志賀直哉の小説「真鶴」、「軽便鉄道」に描かれている。
■こちらはシンプルで分かりやすい。
■関連記事
・etc.♪ 2011.03.06
・江之浦~根府川のおかめ桜♪ 2012.04.01
・GWのお出かけ~♪ 2017.05.03
・豆相人車鉄道を♪ 2017.05.19
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コメント
ururuさんへ
根府川、湯河原、ホントに何回訪れてもいいとこです♪
湘南という言葉の発祥は大磯の鴫立庵♪
だから、湘南電車という呼び方は湯河原や小田原と結んでいたからなんです。
その地のみかんの色とか、みかん畑のカラーなんです。(こじつけもあるんですが。)
行政的にも、湘南という呼び名は相模川より西側を指していたんです。(わりと最近まで…。)
ところが、いつの間にか「湘南」は東へ移動してきて、元祖湘南のことを西湘と呼んだりして失礼を重ねているわけです。
本来なら江の島、鎌倉あたりこそ東湘と呼ばれるべきなんですけどね…。
山と海、そのコントラストがいいですね♪
投稿: ゆ~ちゃん♪ | 2011/03/07 23:28
湯河原、根府川・・・いいですね~♪
この辺りから見え隠れする海は湘南より蒼い感じがします☆
海から見える大山!?
新鮮ですぅ~~~♪
投稿: ururu | 2011/03/07 13:56
きんたろうさんへ
基本、西湘が好きなんです♪
今回は旧国道135号、いや県道740号オンリーでした。
今までは尻ごみしてたのですが、通ってみると快適でした。
今日は昼過ぎには上りの石橋を先頭に湯河原辺りまで渋滞したようですね…。
県道を行くとほぼ全線で迂回できますね。
投稿: ゆ~ちゃん♪ | 2011/03/06 16:16
またまたこちらの方へいらしていたのですね(^^ゞ
休日を満喫されたようで、良かったです♪
(花粉は大丈夫なのかな(@_@))
豆相人車鉄道、知らなかったです…。
旧R135は、真鶴道路の抜け道ですよ。
休日の渋滞にはかなりの時間短縮効果ばっちりですよ!
投稿: きんたろう | 2011/03/06 14:22