くだもの&山~♪
★くだもの&山~♪
台風12号ホントのろい…。
あちこちで大雨の被害が…。
夏休みにお世話になった奈良県や三重県での被害…。
今日も風が強くて、ちょっとはっきりしない天気…。
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毎年8月上旬から中旬にかけて藤沢市長後の安田農園で美味しいブドウ
「藤稔り」を買うのを楽しみにしてる♪
特にこちらの農園のは引っ張りだこなのでピンポイントで行かないとならない。
夏休みのとり方によっては収穫期を逃すこともあって、ありつけない年も。
今年は夏休みをとったのが遅くて、前後でバタバタしていたので、長後に
行けなかった。
それで方針変更、秋の梨を求めて、ご近所南林間の保田(やすだ)梨園へ。
同じヤスダなのだが字が違う。
ウチは毎年この時期に果物をお使い物として。
店頭に並べられたくだものを見てビックリ!!
なんと、藤稔りが♪
奥の農園にはブドウの房がたくさん。
梨も♪
店頭には梨、青リンゴ、ブドウの他にモロヘイヤ、キュウリなども。
この幸水はもうこれで終わり、ひとまわり大きい豊水が全盛。
ここに出ているのはお使い物にはならない物で安い。
お使い物には立派な豊水を。
自宅用には、もちろん藤稔りも♪
美味しかった♪
それでも、8月の猛暑の盛りに食べる藤稔りの方が甘いかな。
でも、今年は食べれないと思っていたので、嬉しかった。
保田梨園は、こちら♪
このエリアって、こんな街中でも一歩奥へ入ると農園なんてのがある。
南林間の北側の住宅街の真ん中にはリンゴ農園もあるし♪
■関連記事
・くだもの♪ 2008.08.30
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山…♪
昨夜のテレビ東京「土曜スペシャル・天空の宿へ」はよかった♪
特に、北アルプス燕岳と燕山荘は懐かしかった♪
しかし、燕山荘が泊まってみたい山小屋ナンバー1って…。
なんだか、山小屋でそんなランキング…。
確かにあそこは昔から最高だった♪
設備も絶景も、そしてスタッフも食事も。
でも、ランキングする対象なのか…。
合戦小屋でスイカを食べるシーンにはびっくり。
こちらではスイカとうどんが名物なんだとか。
荷揚げ用ケーブルの成せる技。
荷揚げ用のケーブルは当時からあったし、僕が撮影した合戦小屋での
昼食時の写真にもケーブルが写ってる。
でも、食材は自分たちで調達してきたもので済ませてた。
テレビで見る登山シーン…、それにしても高齢者だらけ…。
今でも山は若者の世界だと思い込んでいて、高齢者はその隙間を縫ってるのかと
思っていた。
ところが、だんだん分かってきたのは、ほとんどが高齢者で若者たちは
ごく少数派だってこと。
そういえば、山岳事故のニュースは高齢者ばかり…。
そんな事、想像もしてなかったのに、いつの間にか世の中が変わっていた。
日本だけ? それとも、世界的なのか…。
なんか、違和感を覚える…。
最近この事をよく書くけど、クルマのドライバーだって若者は少なくて、見渡す
とまわりは僕と同年代か、あるいはもっと上ばかり…。
ま、僕たちの価値観を強制しようなんて思わないけど、それにしても…。
昭和50年代はじめ。(1970年代後半)
僕らが山をやってた頃って若さがむんむんしてた。
山へ向う夜行列車からして若者だらけの世界だった。
通路に新聞紙を敷いて座ったり寝たり…。
北アの山々、きれいだな~♪
なんだか、再び始めたい気持ちも…♪
・北アルプス表銀座の山小屋/燕山荘
アルバムを開いたら、テレビの画面とだぶった。
昭和53年(1978年)正月、先輩が北ア・赤岩岳で遭難死した…。
7月に行われた追悼山行ということで、やたらと写真が多い山行だった。
新宿駅アルプス広場に集合して、夜行急行「アルプス」で大糸線・穂高駅下車。
中房温泉登山口から燕岳を目指した。
合戦小屋手前あたりで単独行していた50代くらいの元気のないおじさんに遭遇…。
この頃、高齢の登山者ってあまりいなかった…。
50代が高齢者かというと…。
当時の僕たちは50代の登山者を奇異な存在としてみていた…。
50代くらいのおじさんが単独行していて、きつそうだと合戦小屋の関係者に伝えた。
50代でも心配してしまう、そんな時代だった…。
これらの写真、僕は20代前半の社会人なりたての頃。
燕山荘からは槍ヶ岳が♪
初日は燕山荘、2日目は西岳山荘、そして3日目に上高地に下山。
数人は僕らよりも多く休暇を取得していて槍ヶ岳へ。
僕らの走行距離は約30km。
北ア表銀座は間違いなく最高のルート。
3日目、上高地河童橋にゴール。
当時、入社と同時に会社の山好きサークル「こまくさ会」に入会。
会報「山ぐつのうた」…。
これは入社当時に「山ぐつのうた」に掲載された僕のエッセー…。
ホント、汚い字…。
新宿駅アルプス広場、今もまだある。
だだっ広いだけ。
広場でもあるけど、通路でもある。
どちらかというと、単なる通路と化している…。
もちろん立派な電飾看板だってある。
いや、電飾看板だけのアルプス広場といったほうが正しいかも…。
昔の活気や熱気、そういった実態はどこにもない…。
アルプス広場を彷彿させるものは何もなく、電飾看板だけが「昔、ここはアルプス広場
だった。」と教えてくれている。
急行アルプス、アルプス広場…♪
以前のようにアルプスめざす若者の姿なんてあるわけないし。
はるか昔…。
昭和49年(1974年)、アルプス広場(当時はアルプスの広場)開設。
昭和52年(1977年)。
僕らが社会人になった頃は、ようやく隔週週休2日制になりかけた時代…。
土曜日の夜、そして、金曜日の夜はここアルプス広場は急行アルプスなどに乗る
登山客で溢れかえっていた。
1泊1日、2泊2日の山行が楽しくて仕方なかった。
仕事の都合で一緒に行けない先輩や上司などが差し入れ持参で見送りにきてくれて
楽しいひと時…。
22時過ぎの中央本線は新宿駅発の夜行列車が頻繁にあった、夏は臨時もあって華やいでいた。
普通岡谷行きや普通長野行き、急行アルプス南小谷行き、急行アルプス信濃森上行きによく乗った。
普通列車で行く時は近場の南アルプスとか八ヶ岳方面だった。
115系や12系客車に乗っていたことが夢のよう…。
115系は朝晩の通勤でも嫌というほど乗っていたけどね…。
週末のアルプス広場は薄暗くて多くの若者の熱気でむんむんしていた…。
酒盛りしてる姿も…。
急行アルプスなど列車の入線が近づくと駅員の誘導でホームに上がるのだが、かなり
ごった返す車内…。
普通列車の場合は酔っぱらったサラリーマンも乗り込んできてさらにごった返す…。
いや、サラリーマンの通勤車両に僕らが割り込んだと言ったほうが正しいかも…。
酒盛りの続きや新聞紙を敷いて仮眠する若者…。
八王子駅を過ぎる頃にはサラリーマンはいなくなり、登山姿の若者の世界に…。
毎週末、そんな光景が繰り広げられた…。
そんな「アルプス」。
昭和61年(1986年)、急行「アルプス」の昼行列車が廃止され、以後衰退した。
後継は特急「あずさ」…。
30代半ば企業戦士として、家族をもつ身として…、アルプスは遠い存在に…。
ところで。
昭和50年(1975年)までは中央本線にはキハ58、キハ65、キハ28が急行「アルプ
ス」、急行「こまがね」、急行「かわぐち」などで活躍していて新宿駅を発着していた。
同じく昭和50年(1975年)までは千葉・房総方面行きのキハ58、キハ60が
鹿島神宮行き「水郷」などとして本数は少ないが新宿駅発着として運用されていた。
新宿駅でキハを見られたとは…。
アルプス広場。
当時は薄暗くて多くの若者の熱気がむんむん…。
今じゃアルプス広場と言っても知らない人がほとんど。
看板だけのアルプス広場になってしまった。
社会人2年生の頃、新人歓迎山行で入笠山へ。
アルプス広場から普通列車に。
夜明けとともに到着した青柳駅にて。
・懐かしの中央線
・中央線の客車夜行「アルプス57号」
・JR新宿駅のアルプス広場
・ムーンライト信州(急行アルプス) wikipedia
・座間ひまわりまつりポスター&新宿の目…♪ 2019.07.02
■関連記事
・上高地に行きたいと考えてたら…♪ 2007.07.16
・鉄道絶景の旅・大糸線♪ 2009.07.10
※追記(2020年12月)
2020年7月、新宿駅東西自由通路が開通した。
これに伴い小田急線と京王線の連絡口からJR中央東改札に通り抜ける直通ルートが
使用できなくなった…。 (乗り換えの場合は従来通り可能。)
とまあ、小田急線住民のたわごと…。
・新宿駅東西自由通路が開通すると…♪ 2020.06.22
それ以上に大きな出来事が起きた…。
東西自由通路の工事に伴い、あの「アルプス広場」が消滅した…。
そして、アルプス広場にあったトイレ「アルプス化粧室」とその看板が残った…。
アルプス広場とセットで「アルプス化粧室」とされたのだろう…。
「アルプス」は残った…、そんなとこか…。
で、よくよく調べたら「アルプス化粧室」は10年以上前からあったようだ。
アルプス広場とセットで「アルプス化粧室」とされたのだろう。
そういえば、僕も利用したことがある。
ちょっとキレイなトイレだった…。
広場はなくなったので、アルプス広場の看板は撤去されてしまったが…。
「アルプス化粧室」の看板は残った…。
ま、昔この辺りに「アルプス広場」があったよという証(あかし)だと思えば…。
若い人には意味不明だろうけど…。
※Yahoo!ニュースより
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