連休明け…
★連休明け…
晴れ♪
台風一過…、気持ちよいお天気。
昨夜から涼しい♪
今朝は寒いほど。
秋♪
各地で河川の氾濫で床上浸水したり、突風で屋根が飛ばされたり…。
台風18号はとんでもない秋台風だった…。
ランチは秋刀魚♪
美味しかった♪
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17日午前10時25分頃、相模原市緑区のJR中央線相模湖駅で、東京発大月駅
行き快速電車(10両編成)がホームに停車しようとしたところ、最後尾の車両
が脱線し、止まった。
乗客約100人は相模湖駅で降車し、けが人はいないという。
この事故で、高尾駅~大月駅間は長時間の運転見合わせ…。
代行バスも運行されたようだが、夕方になって中央線の運転再開。
今の部署は八王子ということもあって、中央本線で山梨県側から通勤してる社員
がかなりいる。
山梨県から通勤…。
最初びっくりしたが、中央線は都内の最西端は高尾駅、そして、神奈川県では
相模湖駅、藤野駅、山梨県に入ると上野原駅、四方津駅と続く。
中央自動車道で戻ってくると、上野原インターを過ぎるとあっという間に相模湖
インター。
四方津駅前に開発された大規模ニュータウンは都会のサラリーマン向けに大々的
に売り出された…。
はるか昔…、バブル時代。
駅を降りて、コモアブリッジというどでかいエスカレーターで丘の上に広がる
ニュータウンの我が家に…。
都内かと思えるほど高かった…。
・コモアしおつ/積水ハウス
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今のトヨタを築いた豊田英二氏が亡くなった。
100歳。
トヨタ中興の祖。
昭和11年(1936年)にトヨタの前身・豊田自動織機製作所に入社。
以後、昭和57年(1982年)までが現役といえる。
実に46年間のトヨタ人生…。
最後の15年間は社長としてトヨタの礎に。
~~ 産経ニュースより ~~
トヨタ自動車の草創期を支え、世界有数の自動車メーカーに育て上げた元社長
で最高顧問の豊田英二(とよだ・えいじ)氏が17日午前4時32分、
心不全のため死去した。 100歳。
名古屋市出身。
トヨタグループの創業者、豊田佐吉の甥。
葬儀・告別式は近親者で執り行う。 後日、お別れの会を開く。
喪主は長男でアイシン精機会長、幹司郎(かんしろう)氏。
東京帝国大工学部在学中からトヨタ自動車工業の創業者、故豊田喜一郎(佐吉の
長男)の薫陶を受け、自動車製造の研究を始めた。
卒業後の昭和11年、豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)に入社。
翌年、同社の自動車部が分離独立したトヨタ自工に転籍し、本格的に自動車業界
に身を投じた。
一貫して技術畑を歩き、トヨタの自動車づくりを支えた。
昭和42年、トヨタ自工の第5代社長に就任すると、カローラを44年からの33年間、
車名別の国内販売1位に押し上げる基礎を築き、大衆車戦略を推し進めた。
米GM(ゼネラル・モーターズ)とも合弁会社を設立、トヨタのドル箱となった北米戦略
の成功に道筋をつけた。
部品在庫を抑え、生産効率を向上させる「カンバン方式」も確立し、トヨタを世界的
企業に育てた。
会長に退いてからは高級車ブランド「レクサス」を立ち上げた。
平成2年、勲一等旭日大綬章を受章。
平成6年には、ホンダ創業者の故本田宗一郎氏に次いで、日本人として2人目の
米自動車殿堂入りを果たした。
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