同窓会♪
★同窓会♪
晴れ♪
たまに曇り…。
午前中は買い物など…。
家の中も徐々に落ち着いてきた。
お気に入りの絵を♪
■
夕方から高校の同窓会。
元町・中華街駅からすぐ。
最近ご無沙汰の中華街東門(朝陽門)。
同窓会会場はこの先のホテル。
中華街のホテルといえば、あそこ♪
40年ぶり…。
みんなおっさん、おばさん…。
男子はすぐわかるけど、女子はホント分かりずらい。
その上、名札には現在の姓、カッコ内には旧姓。
余計に頭が混乱。
卒業時のクラスごとにテーブルに。
僕は理系コースだったので、女子がほとんどいなくて男子ばかり。
だから、出席者の顔と名前はすぐにわかった。
水泳部の友人たちとはこの数年、つきあいが復活したので、すぐ打ち解けた。
恩師の方々も…。
懐かしさが…。
つい、昔のあだ名で呼んでしまって、失礼を…。
ウチの高校は新設高校のはしりで僕らは5期生。
僕たちが入学した頃、ウチの高校は越境入学の枠を大幅に増やして推進したり、
他府県からの編入を受け入れたりと…。
横浜市には転入者が多く人口が爆発的に増加…。
県立高校は今の1/3しかなかった時代。
当時50校程度だったが、「15の春を泣かせるな」…百校新設計画によって、
わずか15年間で100校を新設したため、150校に…。
当時…。
神奈川県は他府県からの編入が困難な県だった。
原因は県内一斉の「ア・テスト」(アチーブメントテスト)。
これを中学時代に完璧にこなさいと不利になる。
他府県からの編入でも容赦なかったらしい。
そんな状況なのに我が母校は真っ向から逆らった。
百校新設計画の直前に新設高校として開校して間がなく、『優秀な』生徒が集まり
にくい状況だったから。
それで、あの手この手で…。
当時、横浜南部学区と川崎学区にはトップクラスの高校が存在しなかった。
トップクラスは横浜翠嵐、光陵、横須賀、小田原、厚木で、超トップクラスは
湘南と平塚江南だった。
南部にも優秀な高校を…、悲願だったらしい…。
そして、横浜南部学区のウチの高校に北部学区から大量に送り込まれた。
北部学区の高校はいずれもレベルが高くて…。
断念せざる…。
僕もその一人…。
いわゆる駆け込み寺だった…。
※当時の横浜北部学区。
横浜翠嵐、川和、鶴見、港北、市立東の5校しかなかった。
北部学区とは港北区、鶴見区、神奈川区だったと記憶。
港北区とは現在の緑区、青葉区、都筑区を含んだエリア。
大きな区だった。
恐らく、上記の5校は今も偏差値の高い高校だと。
なお、港北高校は新設されたばかりだった。
神奈川県公立高校学区別一覧
・高校百校新設計画Wikipedia
・神奈川県高等学校一覧wikipedia
しかし、思った通りに優秀な高校にはなれなかった…。
そして、アチコチから生徒を集めたので、居住地は広範囲。
同窓会とか開催しても集まりにくい。
奇人、変人も多かった…。
そんな連中と…♪
同じホテル内の別の会場で二次会。
大多数が参加。
やはり、話し足りない…。
楽しかった♪
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