湘南軽便鉄道開通100周年…♪
★湘南軽便鉄道開通100周年…♪
晴れ♪
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発展に貢献「軽便鉄道」秦野など1市3町が100年記念しイベント開催へ。
秦野地域の発展を支えた軽便鉄道=旧秦野駅構内
の参拝客らを運んだ「軽便鉄道」。
馬車から蒸気機関車に変わり、今年で丸100年を迎えたことから、ゆかりの秦野市、
中井、二宮、大磯町で記念イベントが相次いで行われる。
秦野地域と東海道線の二宮駅を結ぶ輸送手段(総延長約10キロ)として、1906年
(明治39年)に馬車鉄道が開通。
輸送力を高めるため、1913(大正2)年に動力を蒸気機関に変更し、名称も湘南馬車
鉄道から湘南軽便鉄道(後に湘南軌道)に改めた。
ピーク時には年間の乗客数が十数万人に上ることもあったが、小田原急行鉄道
(現小田急電鉄)の開通や乗り合いバスとの競合もあり、1933(昭和8)年に旅客
運輸を休止し、1937年(昭和12年)に廃業。
100年の記念事業は1市3町でつくる広域行政推進協議会が主催。
軽便鉄道の関係者や各市町が所有する当時のレールなどの資料、模型を並べた
写真パネル展をそれぞれの市町で巡回開催する。
軽便鉄道の旧本社跡(二宮町)や旧秦野駅跡などを散策するウオークイベントも開催。
写真パネル展は次の通り。
いずれも入場無料、午前9時~午後4時半。
▽大磯町郷土資料館 12月8~23日=9、16日は休館
▽秦野市本町公民館 来年1月5~17日
▽中井町井ノ口公民館 1月21日~2月2日
▽二宮町生涯学習センター・ラディアン 2月4~11日=10日は休館
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1906年(明治39年)馬車鉄道として開通した湘南軌道。
秦野~二宮間10km,全8駅の小さな路線。
秦野の葉タバコを東海道線の二宮へ輸送する目的で敷設された。
当時、小田急線はまだない…。
1913年(大正2年)、旅客の増加により軽便鉄道となり、『湘南軽便鉄道』と改称。
火の粉が散らないよう煙突につけられたラッキョウ形のカバーが印象的だったと
いう蒸気機関車が活躍。
内陸部の人々を東海道線に運び、東京や横浜へ。
逆に海側や東海道線沿線の人々を内陸の大山へ。
もちろん、庶民の楽しみ”大山詣で”に一役かった。
最盛期には年間12万人もの旅客を運んだ。
今は二宮から秦野、246まで県道71号(新道)が快適なドライブをさせてくれる。
秦野二宮バイパスともいわれていて、ほとんどが片側2車線の快適なルート。
しかし、中井町あたりからはかなり急勾配。
この71号をなぞるように湘南軌道はあったようだ。
その湘南軌道跡は県道71号(旧道)と一致する。
蒸気機関車では上り坂の途中で止まってしまって、乗客に押してもらったことも
あるのだとか。
豆相人車鉄道でも、下等の客は上り坂では押すのを手伝ったと…。
豆相人者鉄道には下等、中等、上等と3クラスあったらしい。
その後、1918年(大正7年)経営不振から一時休止し、その後、経営が変わり
湘南軌道となる。
1927年(昭和2年)の小田急線開通によって打撃を受けて衰退し、1937年
(昭和12年)に廃止された。
湘南軌道の「秦野駅」は今のイオン秦野店(最近、大きなショッピングモールになった
とか)の場所。
元は日本専売公社(現 日本たばこ産業:JT)の秦野工場があった所で、そこが「秦野駅」だった。
従って、小田急が開通した時、同じ駅名を避けて「大秦野駅」となった。
10年後の昭和12年には湘南軌道は廃止となったのだが、相変わらず小田急は
大秦野駅が続き、今の秦野駅になったのは、昭和も終わりかけた昭和62年。
だから、僕が丹沢で登山訓練はじめた頃は大秦野駅だった。
それも、駅舎は小さな木造、駅前は砂利敷きで、そこから神奈中バスで蓑毛などへ。
それが、いつの間にか秦野駅に変わり、駅もずいぶん立派になった。
西湘には人車鉄道とか、馬車鉄道、軽便鉄道など魅力的な鉄道が存在した。
今も残っていたら、秦野から二宮にかけての広大なエリアを南北縦断。
きっと便利だろうな。
・湘南軌道wikipedia
「軽便みち」なるものがあるのだとか。
・湘南軌道-1/歩鉄の達人
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