雨…
★雨…
雨…
ちょっと寒いっ…かも…。
3連休だ~
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そういえば、愛知県の長男から連絡があった。
GWは4月26日に帰省してくるらしい。
なんと、あの会社のGWは10連休とか11連休なのだとか。
製造業って…。
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アシェット・コレクションズ・ジャパン社の”国産鉄道コレクション”3号♪
隔週刊、水曜日発売。
全80号。
発売日を勘違いしていた…。
1週間遅れで購入。
創刊号は790円(税込)だが、2号以降は1,990円(税込)。
増税後は創刊号812円(税込)、2号以降は2,047円(税込)。
3号には151系がついてる♪
国鉄初の特急電車。
151系特急形直流電車。
東海道本線東京~神戸間の電化が完成したのは1956年(昭和31年)11月。
それまでは部分的に電化区間や非電化区間が複雑にからんでいたとか。
したがって、東京~大阪、神戸をむすぶ列車はSLやDLということになる…。
1956年11月の電化完成に伴い東京~大阪をむすぶ特急「つばめ」、「はと」
は、それまでの所要時間より30分短縮して歴代最速の7時間30分となった。
国鉄はさらなるスピードアップを目指し、優れた特急列車を東京~大阪間に
走らせる構想をもつ。
とにかく、所要時間7時間以内…。
7時間以内…、これなら日帰り圏内となり得る。
そういう着想。
線路の改良と車両の開発。
まずは、車両の開発へと動く。
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高速・高性能車両の開発には小田急の3000形特急電車と国鉄のモハ90形
(後の101系)が踏み台となった事は有名過ぎる話。
・小田急3000形電車(初代)wikipedia
国鉄101系は国電と言われた路線を席巻していた。
しかし、国鉄時代にほぼ整理され、関東では南武線の南武支線での運用が最後
となり2003年に姿を消した。
そして、全国で唯一現役で走っていた秩父鉄道で23日にラストラン、引退した。
・国鉄101系電車wikipedia
※追記(3月24日)
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1958年(昭和33年)11月、151系デビュー♪
デビュー当時はモハ20系と呼ばれた。
東京~大阪・神戸間の特急「こだま」として営業運転開始。
東京~大阪間の所要時間は6時間50分。
念願の7時間を切った。
したがって、日帰り出張が可能であると。
”ビジネス特急”と呼ばれた。
このビジネス特急「こだま」は従来の「つばめ」、「はと」と比べると速いだけでなく、
”三等車”にも冷房がつくなど快適な設備をもっていたため、非常に好評。
翌1959年(昭和34年)9月には10分短縮され6時間40分となったことで、
一層需要が高まったため、それまでの8両編成から12両編成に増強された。
そして、同年6月、国鉄はモハ20系を151系と改めた。
翌1960年(昭和35年)6月、東海道本線の線路改良工事が完成し、ついに
東京~大阪間は6時間30分となった。
それまで客車で運転されていた「つばめ」、「はと」は…。
「つばめ」は151系に置き換えられ2往復することに。
そして、戦後日本の平和の象徴「はと」はひとまず廃止に…。
この頃の151系はビュフェ、パーラーカー(ま、サロンカーとでも)、食堂車と盛り
だくさんの贅を尽くした車両のオンパレード。
1961年(昭和36年)10月、東京~大阪間には2往復ずつの「こだま」、「つばめ」
に加えて「はと」1往復が設定され、東京~神戸・宇野間には「富士」2往復、
東京~名古屋間の「おおとり」、大阪~宇野間には「うずしお」が各1往復ずつ増発。
宇野。
それは四国連絡重視の表れ。
四国出身の父は喜んだ。
父は元々、国鉄マンだったし…。
この日から1964年(昭和39年)10月の東海道新幹線開業までの3年間が151系
の黄金期であった♪
・国産鉄道コレクション/アシェット・コレクションズ・ジャパン
151系♪
とにかく衝撃的…。
それまでのくすんだ色あいの列車しかない。
いや、色なんて概念は列車には存在しなかったのかも。
鮮烈なデビュー♪
ま、これは父の感想。
でも、僕が子供の頃のサイコーの電車は151系だった。
新幹線よりも好きだったかもしれない♪
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