ナハフ20形♪
★ナハフ20形♪
どんより、時々雨…。
一旦、晴れたのに…、また雨…。
傘は要らない…。
■
国産鉄道コレクション♪
かなり以前の7月16日に発売された第12号を買った♪
もちろん、お目当てはナハフ20形♪
あの特急寝台20系の中でも、飛びぬけてカッコいい♪
発売当初、これはパスしたのだが…。
この車両は渋すぎるのか、あちこちの書店で売れ残り…。
売れ残りを見ているうちに手が出てしまった…。
元祖ブルトレ20系♪
ナハフ20形。
”ネ”がないってことは寝台車ではない。
1958年(昭和33年)~1963年(昭和38年)に製造された2等座席緩急車。
最後部に連結される非貫通式流線型緩急車で、最後部右側半分を車掌室、
左側半分を展望車として乗客に開放した。
また、当初の1958年、1959年に製造された1-3、51・52は製造技術面の
問題で妻部窓ガラスを平面4枚窓とし、それ以降は曲面ガラス2枚窓が採用された。
今回の”おまけ”として付いてきた車両は前者タイプでちょっと無骨…。
後期の曲面ガラスの車両は美しかった。
1965年以降は寝台特急列車全席寝台化の方針により順次寝台車に改造され
ナハネフ20形に3両、ナハネ20形500番台に1両、ナハネフ22形500番台に
5両が改造され形式消滅した。
最後部車両としては、カニ21形やカニ22形などの電源車が記憶に残ってる。
子供の頃、横浜駅でブルトレをキャッチしていたのが東京オリンピックの少し前…。
小学生低学年頃からそんなことをやっていた…。
当時、夜の外出なんか許されるはずもなく、父親に連れてきてもらっていた。
そこへブルトレが滑り込んでくる電源車の唸る音に憧れた。
東京オリンピックの年の夏休み。
同じ四国出身のクラスメイトと二人で寝台特急「瀬戸」で四国へ♪
大人がいない子供だけの長距離の旅、最高の出来事だった♪
実はまわりの大人たちが見守ってくれていたようだが…。
で、後で気がついたのだが、当時の「瀬戸」は特急ではなく急行だったと…。
従って、見た目は似たような”ブルトレ”だが、車両は異なっていたのだ。
10系客車という、お世辞にも素晴らしいとはいえない車両…。
でも、そんなことはどうでもよい…。
今でも、あれは特急以上だったと思い込んでる…♪
あの当時、急行とはいっても、それなりの風格はあった。
その後、寝台急行”銀河”あたりからイメージが崩れてきた感がある。
でも、高校生から学生時代にかけては”銀河”にはお世話になった。
■
「瀬戸」といえば、日曜日早朝の横浜駅にもよく通った。
あるいは、夜の乗車風景も…。
「瀬戸」に乗降する乗客の訛りのある言葉を聞いて、四国のことを思い
浮かべる。
まるで、上野駅の啄木のようだが…。
四国で生まれたわけではないけど、2歳から3歳にかけて四国の祖父母
に育てられた孫の”宿命”…。
望郷…。
このことを、中学の文集に書いたら、母の目にとまってしまった…。
気品あるナハフ20形♪
・国鉄20系 車両解説/日車夢工房
・国鉄20系客車wikipedia
・国産鉄道コレクション/アシェット・コレクションズ・ジャパン社
| 固定リンク
コメント