水曜日…
★水曜日…
どんより…。
ちょっと涼しい。
夜になって、雨…。
台風18号は北陸沖で温帯低気圧に…。
帰りの小田急線…。
電車が10分遅れ…。
帰宅ラッシュ時に向ヶ丘遊園駅でホーム転落したとか…。
また、スマホか…。
■
東急田園都市線開通50周年♪
1966年(昭和41年)4月1日、東急田園都市線溝の口駅~長津田駅間開通。
同じ東急目蒲線(現 目黒線)沿線で生まれ、東横線大倉山駅エリアで育った
ので、小学生だった僕にとっても、一大イベントだった…♪
たまプラーザ駅、青葉台駅とか、お洒落な駅名が並んでた。
すごい大規模開発にも驚愕…。
東横線沿線のごちゃごちゃ密集ぶりと比べると、縁豊かでお洒落な田園都市…。
しかし、雨が降ったら、長靴が必需品…。
東京への通勤も東横線のほうが数倍便利…。
なんといっても、東横線族から見ると、未開の地…。
ハマ線の長津田駅と接続する路線…。
当時、ハマ線はローカルの象徴…。
そんなロケーションに不安も…。
様子見…。
■
そうそう、田園都市線…。
ところで、長津田駅から先は…。
2年後の1968年(昭和43年4月)、長津田駅~つくしの駅間開業。
さらに4年後の1972年(昭和47年)4月1日 つくし野駅~すずかけ台駅間開業。
そして、さらに4年後1976年(昭和51年)10月、すずかけ台駅~南町田駅~
つきみ野駅間開業。
この時、つきみ野駅構内を除き全線複線化。(つきみ野駅構内は単線)
翌1977年(昭和52年)、待望の渋谷駅~二子玉川園駅間が新玉川線として開業。
当時、二子玉川駅は二子玉川園駅と称していた。
新玉川線・二子玉川園駅、東横線・多摩川園前駅、小田急線・向ヶ丘遊園駅
は子供たちの聖地♪
なんと、つきみ野駅開業から、さらに8年後の1984年(昭和59年)4月、待望
のつきみ野駅~中央林間駅間開業。 (同時につきみ野駅構内複線化…。)
長津田駅までの開通から数えると、なんと18年後…。
長津田駅~中央林間駅はわずか6km…。
この6kmのために18年…。
ま、いろいろあったのだが…。
田園都市線はつきみ野までという記憶がインプットされて固定されてた…。
ウチが横浜市内からこちらへ”都落ち”してきたのは、東急中央林間駅開業の直後…。
■
金妻…♪
1983年(昭和58年)の第1作はつくし野駅エリア、たまプラ駅エリアが舞台。
翌年の第2作は東急として開業したばかりの中央林間が舞台。
ものすごくお洒落な街が印象的だった。
そして、”東急がバックアップ”した金妻は小田急の協力を得て、ロマンスカー
通勤を世に知らしめた。
僕は手術を経験した身…。
といっても、盲腸の手術に毛が生えた程度の…。
退院後、傷口が開くのではないかと…、風呂は気持ちわるいし、満員電車
で通勤なんてとんでもない…。
そこで、思い浮かんだのは金妻で登場したロマンスカー通勤…。
それで、会社に頼んで、フレックスにしてもらい、朝夕ともロマンスカー通勤。
通勤に都合よいロマンスカーは本厚木以西からで、新宿までノンストップ。
町田あたりからの朝のロマンスカーは通勤時間帯を過ぎた9時台…。
それで、フレックスに。
ただし、当時はフレックスなんてとんでもないということで、人事に頼み込んで
もらって、実現。
夜のロマンスカーも快適♪
なんといっても、当時は喫煙できるメリットは大きかった。
その後、10年以上も帰宅時のロマンスカー通勤となった…♪
そうそう…。
第3作はつくし野エリア。
そんなことから、バブル期には沿線の地価は超上昇。
中央林間でさえ目を見張るような高額だった。
神奈川県央エリアはどちらかというと、リーズナブルな地価なのだが、
中央林間、つきみ野エリアは突出して高かった…。
そんな時代にもかかわらず、こちらへ…。
”都落ち”してきたのは、金妻の影響大だった…♪
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しかし…。
田園都市線で中央林間駅へ帰るのは…。
ちょっと抵抗感があった…。
長津田駅で一気にガラガラ…。
さっきまでの喧騒がウソのように、閑散とした車内…。
取り残された気分…。
いわゆる”田園都市線”とは長津田駅まで…。
それ以西は田舎…。
そんなニュアンスが感じられ、卑屈な気持ちになった…。
ところが…。
沿線の住宅事情。
渋谷区、世田谷区、川崎市高津区、宮前区、横浜市青葉区、緑区、
そして、町田市と緑区の境界線を町田市側を、そして、なんのこっちゃ
大和市…。
田都。
いやいや、やはり、田園都市線と…♪
川崎市、横浜市エリア。
ずっとそれなりの住宅地として発展してきて、一戸あたりの面積も羨望の
眼差しで。
もちろん、以前からの住宅地は今もそれなりの風格は保っている。
憧れのエリア♪
で、車窓から見えるとこは。
今では乱開発が過ぎて、蜂の巣を連想させるような住宅事情へ。
いくら、ニーズが高いからと…。
やり過ぎ…。
やり過ぎの代償…、田園都市線の超ラッシュ…。
僕が小田急で通勤しているのはそのせい…。
その点、町田市&横浜市緑区境界エリアである、つくし野以西はそこまでの
開発は免れたので、景観はかなり上質。
生活もそれなりに充実。
この20年ほどで、そんな見え方がしてきた…。
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こちらのサイト。
当時の田奈駅の様子が…。
田奈は駅だけが出来て、まわりはそのまんま…。
つまり、当時の光景が素直に写されている。
・東急田園都市線長津田開通の頃 1966年
・東急田園都市線wikipedia
・東急電鉄
■未来記事
・東急田園都市線♪ 2018.11.28
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