さすが、小田急…。
ロマンスカーといえども、いつものように若干の遅延…。
いや、遅延気味とでも…。
小田原駅での乗り換えは4分間のつもりだった…。
それが、2分半ほどに…。
ちょっと小走りに東海道線に。
熱海行きに滑り込みセーフ。
遠足か社会見学の小学生がわいわい、ガヤガヤ…。
5月はそんな時期でもある。
小学生たちはお隣の早川駅で下車…。
小田原漁港の見学か、あるいは、一夜城まで”遠足”か…。
そんなことを思いながら…。
根府川駅。
いつも、クルマで立ち寄る大好きな駅…。
電車から見るのも、いいな~♪
熱海駅…。
この光景はまさに熱海駅。
新幹線で通過する時もこの光景で熱海と…。
何十年も見てきた光景…。
頭に染みついてる…。
熱海駅前のビル。
東海道新幹線開通から3年後、1967年(昭和42年)に出来た。
てことは、今年は50周年…。
ビルの中は昭和レトロでいい雰囲気…。
・
第一ビル名店街-ATAM IX。
熱海駅止まり…。
折り返し。
行き先表示…。
「古河」…。
こちらの人は古河なんて、どこにあるのかピンとこないのでは…。
まさかの茨城県とは…。
東海道線は東京行きが似合う…。
平日の9時半…。
いつもの賑わいは、これからか…。
豆相人車鉄道の後、熱海軽便鉄道に。
その時に活躍した熱海軽便鉄道7機関車。
■豆相人車鉄道。
1895年(明治28年)、熱海~吉浜間で開通。
翌1896年(明治29年)、小田原~吉浜間が開通したことによって、
小田原~熱海間25.6km全線開通。
1908年(明治41年)に熱海軽便鉄道に引き継ぐ。
以降、国有鉄道の熱海線がその名の通り、国府津から熱海に向かって、徐々
に西へと延伸してくる。
熱海線が真鶴まで開通した翌年、1923年(大正12年)の関東大震災により
熱海軽便鉄道、熱海線ともに壊滅的な打撃をうけ、熱海軽便鉄道は廃止した。
駅から田原本町交差点を左折。
急な下り坂を…。
途中、大江戸温泉物語が見える。
あそこが当時の熱海駅…。
ホテルの前に豆相人車鉄道・熱海駅跡のレリーフが設置されている。
□
豆相人車鉄道・熱海駅跡。
南明ホテルの頃。(現 大江戸温泉物語) 2007年2月撮影
トンネルを。
春日町交差点。
ここから国道135号へ。
大型マンションが連なる。
振り返ると。
熱海港が輝いてる。
真鶴や湯河原に”移住”するのもわるくない…。
今の家と海辺の家を行ったり来たりもいい。
で、調べてみると、熱海の物件数は圧倒的に多い。
こんな所に住むのもいいな。
そんなことを話しながら…。
馬頭観音。
昭和16年の文字…。
伊豆から西湘にかけては、北条政子と源頼朝ゆかりの名所が点在する。
秋戸郷跡。
水葉亭。
1951年(昭和26年)開業というから、65年…。
昨年閉店したが。
今年、GWから大江戸温泉物語の傘下としてリニューアルオープン。
熱海ビーチラインの赤い橋のとこから見える水葉亭は存在感があった。
伊豆山神社から眼下に見える姿も…。
最近、煩雑に折込みチラシが入る。
・水葉亭/大江戸温泉物語
・大江戸温泉物語

いいお天気♪
新緑が眩しい♪
徒歩…。
汗ばむを通り越して、汗びっしょり…。
今年初の半袖…。
もちろん、薄手の長袖も持参…。

走り湯。
かなり急な坂道を下っていくと、熱海ビーチラインに。

逢初橋(あいぞめばし)バス停。

逢初橋(あいぞめばし)。
頼朝と政子が出会った橋。

・逢初橋/熱海市
逢初地蔵堂。
頼朝と政子の長女大姫の病気平癒を願い作られた地蔵堂。
何年前だったか、NHK大河ドラマのそんなシーンを思い出させてくれる。
急坂の途中に…。

鎌倉幕府つながり。
鎌倉にも重要な橋がある…。
行合橋(ゆきあいばし)。
今は…。
湘南海岸に面した、最も華やかなエリア♪
・鎌倉長谷寺の梅-2♪ 2011.01.30

走り湯から続く、伊豆山神社への参道…。
これからが長い長い石段…。
837段…。
以前、ここを往復したら、かなりの”運動”に…。
もう二度と…。
途中に国道135号の信号のある横断歩道。
■過去記事
・伊豆♪-2 2013.02.10

そして…。
気がついたら…。
豆相人車鉄道・伊豆山駅跡のプレートが見当たらない…。
行き過ぎた…。
少し戻ると…。
確か、これだ…。
以前は熱海市の出張所…。
ずいぶん以前に閉鎖したとは聞いていたが…。
今は地区のコミュニティセンター、つまり、公民館か…。
どちらかというと、防災センターとして…。
で、プレートはどこにもない…。

近所の商店や伊豆山郵便局などで聞いてみたが、知らないと…。
今回は諦めて…。
尚。
こちらで伊豆山駅跡のプレートが見られる。
・豆相人車鉄道跡を歩く
・廃線探索 - 豆相人車鉄道
道路の向こう側、熱海駅行きの伊豆山中央バス停。

豆相人車鉄道跡に沿って歩く。
スーパービュー踊り子♪

クルマで伊豆山神社へ向かう場合、こちらから。

この時間帯、1時間に1本のバス。
ちょうどバスの来る時刻。
折角だから、バスで…。
稲村バス停。

向かい側には待合室のあるバス停。

バスがやって来た。

パスモ、スイカが使えるとばかり思っていた…。
そか、ここは静岡県…。
軽いカルチャーショック。
整理券を取って、運賃が上がっていくのを見つめていた。
バスに乗るのが嫌な理由…。
小銭の用意、バス会社や路線によって、乗降するドアが前だったり、後ろだったり…。
パスモ、スイカによって、それらがずいぶん軽減…。
東海バス。
小田急グループの一員で伊豆を中心に活躍。
・東海バス

湯河原駅行きで、静岡県熱海市から神奈川県湯河原町に入ったところ。
国道135号沿いにある門川八幡神社前で下車。

「熱海 本家 ときわぎ」、株式会社常盤木の広告。
わざわざ、本家と名乗らざるえない状況。
で、やはり、本家にエールを送りたい。
門川八幡神社バス停から数歩。
お地蔵様。
いや、道祖神なのだ。
「伊豆型」ともいわれ、小田原市から伊豆稲取温泉あたりまで分布している。

中島モータース。

豆相人車鉄道・門川駅跡のプレートは店頭に。

門川駅跡。

すぐ近く。
行列のできる『らぁ麺屋 飯田商店』。

さらに店の近くに。
な、なんと…。
行列は延々と…。

この行列…。
昔、若かりし頃、東池袋の大勝軒に並んだことを思い出す。
1時間の昼食時間でよく並んだものだ…。
もちろん、大勝軒で食べた日は多少の遅刻は大目にみてくれた…。
・らぁ麺屋 飯田商店
・らぁ麺屋 飯田商店/ラーメンデータベース
・らぁ麺屋 飯田商店(湯河原)/食べログ
■未来記事
・湯河原…♪ 2018.11.09
さて。
吉浜温泉場バス停。

□
吉浜。
こちらでは、先日、吉浜駅跡のプレートを撮影。 2017年5月3日撮影

当時の吉浜をいく豆相人車。

※wikipediaより
吉浜沖。
海上自衛隊のイージス艦だろうか…。
電車で来る時も同じ場所に停泊していた。
ここで何を…。
今日は大勢のサーファーが…。
キムタクは…。
彼のおかげで、吉浜の知名度は相当に…。

箱根登山バス。
これも小田急グループ。
もちろん、パスモ、スイカが使えた。
終点、真鶴駅で下車。

真鶴駅。

□
真鶴駅ロータリー内には豆相人車鉄道・城口駅跡の立派な銘板が立ってる。
2013年4月撮影

よく来る西湘。
根府川、江之浦とか…。
先日、GWに来た時に知ったバス停「石名坂」。
平日しか運行していないバスの存在を知った…。
それも、聞いたことがない「石名坂」バス停~小田原駅。
石名坂。
よくよく調べたら、ウチが真鶴料金所の手前で右折して急な登坂
の松本山から県道740号に入る、あの場所…。
確かに、バスが転回できるだけのスペースがある。
その石名坂へ。
真鶴駅から行くには真鶴町のコミュニティバスしかない。
ところが、コミュニティバスだと、13:02着。
箱根登山バスの方は石名坂13:00発…。
なんということ…。
で、歩くと時間的に…。
やむを得ず、タクシーで。
1,000円ちょっと。
関連記事
・こどもの日♪ 2017.05.05

■石名坂バス停。
そうそう、この松本農園のドッグランの看板…。
ウチはクルマで坂道を駆け上がり、ここで県道740号へ。

こちらは箱根登山バスの「折り返し場」となっている。
バス会社によっては「転回場」と称しているとこもある。
バスはここで転回して根府川駅や小田原駅方面へ戻るのだ。
いつもクルマで土日に通過するだけだったのだが…。
バス停は各所にあるのに、バスを見かけたことがないと思ってた。
ある日、撮ってきたバス停時刻表の写真を見て愕然…。
土曜、日祝は「運行いたしません」とはっきり書かれている。
つまり、平日オンリーの運行。
そして、こちら石名坂バス停が終点…。
こんな山の中(失礼…)のバス停が終点とは…。
てっきり、真鶴駅あたりまで結んでいるのかと思っていた。
ただし、ここから真鶴駅までは真鶴町コミュニティバスが運行されている。
本数は少ないけどね…。
・こどもの日♪ 2017.05.05
箱根登山バス。
土日祝日は運行なし。
平日は1日上下各10本。

真鶴町コミュニティバスのバス停。

・コミュニティバス/真鶴町
こちらで駅弁を♪
熱海駅で買った駅弁「鯵と小鯛の押寿司」。
熱海駅では、いつも、東華軒の駅弁だったので、今回もかと思ったのだが…。
よく見たら、大船軒のだった…。
なんか、いつもと違う味…。
絶妙な塩加減と、鯵や小鯛があまりに大きくて、その美味しさに大満足♪

・駅弁/大船軒
・大船軒
石名坂行きが到着。

行き先が小田原駅行きに変った。
出発まで15分。
乗車させてくれて、車内で。
もちろん、パスモ、スイカでOK。

□
途中、江の浦バス停を通過。
豆相人車鉄道・江之浦駅跡。 2017年5月3日撮影

□
現在の根府川駅よりも江之浦寄り。
根府川駅跡。 2008年10月撮影

いつも、クルマで走る県道740号。
平日しか運行していないバスなので、バスを見たことがない…。
そんな、初めてのバスからは、いつもと違う風景に見えて新鮮♪
根府川駅で下車。

外壁塗装中…。

根府川駅の跨線橋は美しい♪

・根府川駅wikipedia
ここから徒歩で…。
閉店してしまったペッシェグロッソ…。
どうなるのか…。

徒歩…。
ホントに新鮮♪
いつもと違う風景に見える♪

海~♪
ちょっと赤潮…。

豆相人車鉄道から熱海軽便鉄道になり…。
一方…。
国有鉄道としての熱海線が根府川、真鶴まで開通した翌年、大正12年(1923年)
関東大震災で鉄道事故としての大災害…。
根府川駅構内にも関東大震災殉難碑が立っているが、こちらにも。
現在のスルガ銀行の創業者で、62年間も頭取を務めた岡野喜太郎氏の妻と娘
は湯河原に湯治にゆく途中で犠牲に。
東海道線の法面下に、その慰霊碑と思われる一角が…。
いろいろな資料では根府川駅から真鶴寄りと記載されているが…。
静岡県の住所、岡野氏の名前なども刻まれている。
どうみても、こちらも慰霊碑かと。
あるいは、こちらに移されたのか…。

平日、クルマは少ない。
見慣れた光景、根府川交差点。

市道に入る。
センターラインはそこまで。
あとは1.5車線ほどの道路。

海がきれい♪
突堤は米神漁港。

片浦橋。

いつもの米神あたり。
正面にお馴染みの「浜屋」が見える。
この国道135号、通過する集落とのコントラストが面白い。

米神駅はこのあたり。

豆相人車鉄道・米神駅跡のプレート。

保育園か幼稚園か。


米神漁港。
手前の建物は「浜屋」。
食事処、土産物など、いつも賑わう店。

・浜屋
・浜屋(小田原市米神)/食べログ
米神あたりの越波対策工事現場…。
下り線は一段高いとこに。
これが正規ルートなのか、それとも、暫定なのか…。
不自然…。
ところが、かさ上げが正規の工事なんだとか。
現在は海側の下り車線だけがかさ上げされているが、今後、山側の上り車線
もかさ上げされるとか。
・波対策3mかさ上げ - 国道135号・米神の一部区間/タウンニュース

市道をひたすら歩く。
佐奈田トンネル。

下りが来た。
E231系。

なかなかよいロケーション。

佐奈田霊社、源頼朝らの石橋山古戦場、佐奈田トンネル。

おっ。
猿…。
最近、このエリアでは猿によるミカン畑などの猿害が…。

カラスが群がっている…。
電車にひかれたタヌキの死骸に…。

特急スーパビュー踊り子、251系。

貨物とE233系。

ま、あまり時間はない…。
徒歩、徒歩…。
小田原漁港が見えた。

そして…。
見慣れた光景…。
石橋の鈴廣かまぼこ。

鈴廣かまぼこ。

こちらで休憩…♪

そうそう…。
マップを見ていて、気になること…。
マップでは、この鈴廣かまぼこ石橋店が出てこない。
石橋公民館と表示…。
なぜ…。
店を出て、石段を降りてみた。
1階だと思っていた店舗は…、実は2階だった…。
階下にも…。

で…。
よく見たら。
店舗は2Fで、1Fには石橋公民館と。

納得…。
ようやく、すっきりした…。
こちら…。
お馴染みの石橋合流部…。
今日はバイパスから合流するクルマがいない…。

バイパスへの入口もご覧のとおり。
平日はいいな…。

紀伊神社。
地元では「木の宮さん」と呼ばれ、昔から木地師の信仰が厚い。
祭神の惟喬親王は9世紀中頃、都を追われ、伊豆に遠流された。
途中で嵐に遭い、国府津に流れ着いたことから、こちらに住みついた。
伴の者が木地細工を作って生計を立てた。
つまり、箱根細工の元祖であることから、木地師たちの信仰を集めた。
惟喬親王がこの地に流れつかなかったら、箱根細工は存在していなかった
てことか…。

道祖神。
ただの道祖神ではない…。
小田原市指定重要文化財。

185系。

また、185系。
こちらでは、しょっちゅう185系に遭遇する…。

国道135号へ。
この先は小田原漁港。
GWに訪れた時は酷い渋滞だった…。
今日はがらがら…。

紀伊宮下バス停。
滅多にないバス…。
タイミングよくバスが来る時刻。
こちらからバス…。

10分かからず…。
国道135号の終点、早川口から国道1号に右折。
100m足らずで早川口バス停。
こちらで下車。

豆相人車鉄道・小田原駅跡の石碑。

豆相人車鉄道。
明治28年(1895年)、熱海駅~吉浜駅間が開通。
翌明治29年(1896年)、小田原駅~吉浜駅間が開通して、25.6km全線開通。

国道1号。
手前の道路を左折すると。

上の写真の手前を左折すると。
現在の国道135号に該当する道路はなく、こちらに豆相人車鉄道は敷かれ、
旧 早川橋の方へと進んだ。
この写真の右手の建物あたりに小田原駅が設けられた。

手前の八百屋さんで湘南ゴールドを見つけて購入。
しばらく、湘南ゴールドを食べられる♪
2軒目の店は片野呉服店。
こちらには豆相人車鉄道の資料、ジオラマなどが展示されている。

呉服店の玄関というより、豆相人車鉄道の資料館とでも…。

つばめの巣。

資料の展示、ジオラマなど。

何枚かの写真を撮らせていただいた。

・豆相人車鉄道について/お城南通り商店会
ところで…。
豆相人車鉄道は軽便鉄道に変貌する…。
そして、国有鉄道側は熱海線を敷設していく。
そんな状況を描いたとされる芥川龍之介の小説「トロッコ」。
大正11年(1922年)が舞台だとすれば、熱海線の敷設工事を舞台
に繰り広げられたと解釈できる。
この年、小田原~真鶴駅間が開通し、その先への延伸工事が行われていた。
その翌年、大正12年には関東大震災がおこり、壊滅的な打撃を受ける。
・トロッコ/芥川龍之介
さて…。
帰路に…。
小田原駅への近道。
星槎城山トンネル。

トンネルは比較的新しく、歩道もしっかり作られている。
この先に足柄街道との交差点が。

お城♪
小田原城。

呆気なく小田原駅へ。
白いロマンスカーVSE・50000形。

先頭車両。
小田原駅を出発したら、あっと言う間に足柄駅。

開成駅手前。
水田には水が張られていた。

伊勢原駅~愛甲石田駅間では新東名の工事が進んでいた…。
新東名を東京まで通すならともかく…。
そうでないなら、こっちまで延伸させないでいいのに…。
中途半端に延伸するくらいなら、御殿場JCTまでで充分…。
つまり、今のままで…。

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