北海道♪-4
★北海道♪-4
晴れ♪
結構、暑い…。
網走ロイヤルホテルには、トヨタのラグビー部の他、デンソーの陸上部の数人が
合流していた。
北海道最終日…。
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女満別空港近く、大空町の「めまんべつ メルヘンの丘」♪
国道39号沿いにクルマと人が群がっている。
国道に沿って10台分ほどのパーキング。
広大なジャガイモ畑や麦畑。
その丘の上には7本のカラマツがランドマーク。
(上の写真では右側の7本のカラマツ。)
ゆるやかな丘陵地に連なる畑が、季節ごとに美しい田園風景を描く
「メルヘンの丘」。
1990年公開の故黒澤明監督の映画「夢」のロケ地でもある。
緑のジャガイモ畑と黄土色の麦畑で、それなりにコントラストが。
少し前だと、どちらも緑色の畑。
畑と空が織りなすのどかな風景が印象的な、いかにもメルヘンの世界の
ビューポイント。
2006年、女満別町と東藻琴村が合併して大空町が誕生。
大空町の由来は女満別空港の存在から…。
女満別空港は昭和10年(1935年)、気象観測用の飛行場として開設。
結構、昔からあるのだ…。
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メルヘンの丘から1.4kmほどの丘。
見渡すかぎり、畑、畑、畑…。
中国語で「熱烈歓迎」の看板…。
メルヘンの丘と同じく、1990年公開、黒澤明監督の映画「夢」の中で、ゴッホ
の「カラスのいる麦畑」を再現したロケ地。
その後、中国でも、こちらでロケした映画があるようで、彼らの立ち寄る場所
でもあるのだとか…。
それで、「熱烈歓迎」の看板が…。
見渡すかぎり、麦畑、ジャガイモ畑…♪
見渡すかぎり…。
そんな風景の中、農家らしき家はほとんど見えない…。
斜里岳♪
あいにく、カラスはいなかった…。
2Fから。
女満別空港。
JAL機が飛び立った。
折角なので、近くの「道の駅 メルヘンの丘めまんべつ」へ。
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石北本線・呼人駅(よびとえき)♪
石北本線で網走駅から一駅。
ストーブはそのまま…。
2面2線…。
跨線橋で。
キハ40形1700番台。
網走 - 遠軽。
スイッチバックの遠軽行き…。
網走 - 北見。
途中の北見駅止まり。
・美岬牧場/旅ナビ!網走
牧場の先には。
能取岬(のとろみさき)。
あいにく、灯台は改装工事中…。
ここの灯台は絵になるのに…。
堺雅人さん主演の「南極料理人」の撮影地などとして有名。
・映画ロケ地 網走市能取岬
ここでは…。
カラスも絵になる…。
・能取岬/旅ナビ! 網走
能取湖方面へ。
美岬トンネル。
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あれっ…。
能取湖畔を走っていたら…。
網走市鉄道記念館と卯原内交通公園。
1987年(昭和62年)3月20日、分割民営化直前に廃止された湧網線…。
網走駅0番線ホームを使っていた湧網線…。
そんな廃線となった湧網線の卯原内駅では当時の車両が静態保存されている。
網走市鉄道記念館には当時の駅の備品などが展示・保存されている。
・卯原内駅(うばらないえき)wikipedia
・湧網線(ゆうもうせん)wikipedia
・国鉄9600形蒸気機関車wikipedia
・網走市鉄道記念館/あばぶろ
9600型蒸気機関車 49643号機と客車が展示・保存されている。
49643号機は1920年(大正9年)製造。
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能取湖をぐるっと回り、サロマ湖へ。
到着前、羽根の一部が白いオオワシを目撃♪
なんか、かわいい♪
そろそろ…。
お昼…。
この辺りでは、店そのものが少ない…。
この先へ行けば、道の駅が3ヶ所あるのだが。
そんな中で、こちらのお店が好評とのこと…。
見た目では、選択はあり得ない店なのだが…。
客の入りはそこそこ…。
店の雰囲気はわるくない。
ほたて丼とホッカイシマエビ。
ホッカイシマエビ、夏は6月中旬から7月中旬までなので、ぎりぎりセーフ♪
甘くておいしかった♪
で、評判通りホントに美味しかった♪
満足♪
・レストハウス華湖/食べログ
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道の駅・サロマ湖。
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道の駅サロマ湖の背後には幌岩山がそびえ、標高376mの山頂からは
サロマ湖、オホーツク海が一望できる。
登山コースもある。
クルマで行く場合はサロマ湖外周をいく国道238号から林道に入り、
山頂から同じルートにUターンするか、あるいは、反対側の林道をいって
国道238号に出る。
山頂から東側を浪速林道、西側を幌岩山林道と呼ぶ。
全長10.1km、ほとんどが未舗装だが、国道近くは一部舗装されている。
やや狭く、待避所以外で対向車をかわす時は要注意。
サロマ湖。
・サロマ湖が一望できる標高376mの幌岩山山頂
飛行機の時間には、まだまだ時間がある…。
網走といえば…。
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網走監獄。
ちょっと緊張…。
1970年代。
高校生最後というか、大学入学直前の春休みに訪れた。
当時は博物館はなくて、本物を見学した…。
といっても、せいぜい、正門で記念撮影するだけ…。
それでも、かなり緊張…。
現在の博物館と比較すると…。
正門と庁舎の距離が若干短くなってるけど、配置は同じ。
網走刑務所前にて、僕とT君。
…。
で、上の写真…。
僕は高校卒業して大学入学前の春休み。
隣は北海道旅行で知り合ったM大学4年生になるT君。(アルバムには
偉そうにT君と…。)
この20数年後、僕は40歳になっていた…。
同じ会社内で群を抜いて恰幅のよい偉そうな人…。
でも、なんとなく雰囲気が…。
この時のT君がいた…。
僕はぺえぺえ、T君は役員一歩手前の立場…。
奇遇を喜び合った…。(多分…。)
あれもこれも、重要文化財とか登録有形文化財とか…。
通用門。(裏門)
網走刑務所…。
日本最北端の刑務所。
明治維新後の日本は、内乱による国事犯や政治犯が続出し、監獄は過剰拘禁
となっていた。
また、富国強兵を掲げて西洋列強と肩を並べるためやロシア帝国の脅威を防ぐ
ためには蝦夷地(北海道)の開拓が重要課題だった。
そこで、1881年(明治14年)に「監獄則」改正を行って徒刑、流刑、懲役刑12年
以上の者を拘禁する集治監を北海道に設置し、囚人を労働力として使役させて
北海道の防衛と開拓を進める政策を行った。
1890年(明治23年)、中央道路の開削工事を行うため、釧路集治監から網走
に囚徒を大移動させて開設。
発足時の囚人数は1,392人でその3割以上が無期懲役であり、ほかの囚人も
刑期12年以上の重罪人であった。
中央道路工事は、1891年(明治24年)のわずか1年間で、網走から北見峠
まで約160kmが開通しており、過酷な労働条件による怪我、栄養失調が
続出し、死者は200人以上となった。
1894年(明治27年)に、囚人使役は「囚人は果たして二重の刑罰を科される
べきか」と国会で追及されるほどの社会問題となり廃止された。
その後も網走刑務所は存続し、戦後の高度成長期になると、1965年、高倉健
主演の「網走番外地」シリーズが始まり、その人気によって、網走刑務所は
全国区の観光名所に。
1983年(昭和58年)には、網走刑務所の全面改築工事に伴い、旧刑務所
の教誨堂、獄舎などを移築復原した博物館網走監獄が天都山中腹に開館した。
つまり、北海道開拓の基礎は囚人によって行われたといっても過言ではない…。
囚人たちは本州など北海道以外の出身者。
北海道の厳しい寒さなど、過酷な状況が想像を絶する。
そんな歴史を垣間見ることができるのが博物館網走監獄。
休泊所。
囚人たちは北海道の開発に使役させられた。
中央道路の開削の時に使われた仮の宿舎は動く監獄といわれた。
1965年(昭和40年)から始まった高倉健主演による「網走番外地」シリーズ。
これにより、網走、網走刑務所の知名度は飛躍的に高まった。
網走駅0番線…。
1987年(昭和62年)3月、国鉄末期、湧網線は廃止された。
築105年…。
旧網走監獄舎房及び哨舎。
放射状に5棟の舎房が建っており、この入口を入ったとこにそれらを監視
するための中央見張所がある。
空港前の店でレンタカーを返却…。
レンタカー各社が軒を並べているのだが、この時間、返却されたクルマがびっしり…。
すごい台数…。
ま、知床半島などは、「わ」ナンバーだらけだった…。
マツダ・アクセラ…。
走行距離500kmほど、ガソリンは1/4ほど残った…。
1.5ℓだったが、とても気持ちよくドライブできた。
アイドリングストップ…。
これはいただけない機能でなんとも違和感を覚える…。
キャンセルして走行したが、たまにキャンセルし忘れると違和感…。
スタートする時の一瞬のもたつき…。
夕暮れの女満別空港。
この後、最終のJAL20:15発で。
羽田には22時過ぎ到着。
ターミナルから出た途端、熱風…。
蒸し暑い…。
バスは…。
横浜駅、YCAT方面を除く神奈川方面は11番乗り場。
学生時代には入り浸りだった北海道♪
社会人になってからは出張ではちょくちょく…、といっても大都会の札幌ばかり…。
そうそう、社会人なりたての頃、JALパックのスキーツアーでも1回行った…。
道東をプライベートでなんて40年ぶり…。
楽しい北海道の旅だった♪
~~~ 完 ~~~
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