幻の尾瀬自動車道…♪
★幻の尾瀬自動車道…♪
昨夜は深夜になってから、台風20号の影響か、かなりの風雨…。
どんより、時々、晴れ。
蒸し暑い…。
■
幻の尾瀬自動車道…♪
昨日の読売新聞夕刊。
残照 尾瀬…。
「草むす自動車道の痕跡」…。
群馬県側から尾瀬に入る代表的な入山口といえば、大清水。
大清水から尾瀬沼に向かって約3km先の一ノ瀬休憩所の近くに廃道がある。
その廃道は尾瀬沼の脇を迂回して、福島県側に抜けるはずだった自動車道
の痕跡…。
大清水から先の道路拡幅工事は1966年(昭和41年)に始まった。
八ヶ岳中信高原国定公園を通過するビーナスラインや大雪山国立公園
を通る大雪山縦貫道などの観光道路計画が目白押しだった時代。
福島県側の道路も沼山峠まで延びた。
そんな中で、三平峠~沼山峠間の工事中止は1971年(昭和46年)に突然
決まった。
建設推進の地元自治体を説得したのは、この年発足したばかりの環境庁
(当時)の長官、大石武一だったが、その背中を押したのは、尾瀬沼のほとりに
立つ山小屋を受け継いだ当時、30代半ばの平野長靖だった。
一ノ瀬から三平峠に向かう登山道の途中に湧き出していた豊富な岩清水
は、道路工事により破壊された。
物静かな平野を環境庁長官への直訴という思い切った行動に駆り立てた。
歴史を動かした水場の面影は今、その近くに流れる小さな清水にかろうじて
残されている。
尚、平野長靖氏は工事中止が決定した年の12月、豪雪の三平峠で遭難死…。
享年36歳…。
彼は尾瀬沼東岸に立つ長蔵小屋の3代目だった。
妻と幼い子を残して…。
そんな尾瀬の自然を守る急先鋒であった長蔵小屋…。
2002年、5代目平野太郎氏の代では、ごみ不法投棄事件を起こすといった
不祥事…。
衝撃的な出来事であった…。
※読売新聞 8月23日夕刊より
6月に尾瀬を歩いた。
浅草駅から夜行「尾瀬夜行23:55」に乗り、3時間半ほどで会津高原尾瀬口駅下車。
会津バスで2時間かけて沼山峠へ。
沼山峠から大江湿原を満喫し尾瀬沼を一周したのだが、「三平下」で見かけた道標。
沼山峠3.9km、大清水7.0kmとある。
当然、どちらも徒歩でしか行けない。
この約11kmが幻となってしまった訳だ…。
もしも、”尾瀬自動車道”ができていたら…。
大江湿原を縦断してしまうのか…、いや、多少は避けるだろう…。
そして、恐らく下の写真の辺りは道路になっていたはず…。
三平下の尾瀬沼休憩所、尾瀬沼山荘前にて。 2018年6月撮影
・尾瀬保護財団
・尾瀬へのアクセス/TEPCO
・尾瀬マウンテンガイド
・尾瀬ナビ/YAMAKEI 山と渓谷社
・弥四郎小屋(尾瀬ヶ原)
・長蔵小屋
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