大綱小学校♪
★大綱小学校♪
晴れ♪
今日はちょっとばかり暑くなった…。
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母校である横浜市立大綱小学校が児童数増加で新校舎増築♪
え、今時、児童数が増える学校があるのか…。
ま、東急東横線大倉山駅といえば、結構人気♪
いや、かなりの人気。
大綱小学校は1873年(明治6年)創立、大綱小学校としての開校は1900年
(明治33年)。
つまり、創立145周年、開校118周年で、港北区内で最も古い。
僕たちの頃は綱島街道沿いに学校があって、大正時代に建てられた木造校舎で勉強
していた。
昭和39年10月(1964年)、そんな木造校舎の脇を東海道新幹線が開通したことに
より環境悪化し、数年後、現在地に移転した。
8月に近くを通ったのだが、東横線の青ガエルを撮りに行くのに夢中で、
小学校には足を向けられなかった…。
近いうちに訪れたい…。
写真を見て、あまりに綺麗な校舎にびっくり。
木造の頃とは、比べようもない。
※タウンニュースより
自分の卒業アルバムを見ていたら、やたらと人数が多い…。
1クラス41名とか42名とか…。
で、今回のニュースを読むと、1クラス30名ほど…。
昔より10名も少なくなってるんだ…。
昭和36年ころ。
当時、校舎が足りなくてグランドにはプレハブ校舎が建てられた。
それでも、東京から、あるいは、地方から移り住む人が多かったため、
常に校舎が足りなくて、低学年は二部授業が行われた…。
「二部授業」といっても、理解できない人が多いと思うが…。
朝、普通に登校するクラスと午後から登校するクラスが1週間ごとに
交代するのだ…。
それって、自分たち専用の教室がないってことでもある。
2クラスが1つの教室を時間差で使うのだから…。
ま、低学年なのでなんとかなった、そんなとこか…。
当然、給食費も半額ほどに安くなった。
今では考えられない…。
僕も目黒区から転居してきた。
同じ東急とはいえ、それまで住んでいた武蔵小山とは大違いで、あまりに田舎
なので驚いた。
東横線大倉山駅のホームからは街並みが見渡せた。
ほとんど田畑で火の見櫓、大綱小学校、大綱中学校くらいしか大きな建物は
なかった。
大綱小学校は分校もできた…。
大曽根小学校、太尾小学校が分校として開校され、後に独立。
大曽根小学校からは師岡小学校が分校として開校し、後に独立した。
体育館もないのに、分校と合同で行われる運動会とか入学式、卒業式など。
教室と教室の壁をぶち抜き、体育館代わりに使う不便さ…。
分校が次々とできるほど人口が爆発的に増えた時代。
大綱中学校の場合はもっと酷くて、市内でも1、2位を争う生徒数…。
マンモス中学校と呼ばれていた…。
1学年12クラスもあって、1クラスが45名ほど…。
学校全体では1,500名を超えていた…。
僕が在籍していた3年12組は「訳ありクラス」で49名もいた…。
遠足は12台の大型バスを連ねて大変なことに…。
東横線で電車通学の生徒が多く、綱島駅、菊名駅、妙蓮寺駅から通学してくる
生徒や宅地開発が始まった新羽の方から歩いてくる生徒もいた…。
当時、大阪府には1学年19クラスの中学校があると聞いたことがある。
もちろん、団塊の世代の頃…。
僕らの頃は団塊の世代の後だったけど、こんな状況…。
団塊の頃は、どんなだったのか…。
大綱小学校卒業アルバムから…。
綱島街道側から見た校舎。
小学校の校歌は今でも歌える。
中学校の校歌は忘れた…。
でも、難解な歌詞の横浜市歌は今でも歌える。
・横浜市立大綱小学校
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