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2019/02/23

大倉山梅林♪

★大倉山梅林♪

晴れ♪

暖かかった♪

  

保土ヶ谷バイパスの町田立体化によって、大和バイパスが冷遇され、
最悪な渋滞とか発生してきたため、大和バイパスを敬遠していた。
あれから3年…、もう大丈夫だろうと、何の根拠もなく東名入口交差点
から大和バイパスで横浜へ。

結果、みんな渋滞回避しているのか、今日はすいすい…。
そして、新桜ヶ丘インターから横浜環状2号線に。

ほとんどが片側3車線で立体交差が多いため、交通量が多くてもスピード
はそれなりに…。

ずっと順調だったが、新横浜手前の菅田入口交差点あたりから渋滞…。
新横浜駅前は相鉄線の延伸工事もあって、かなり混沌としていた。

 

右に新横浜駅ビルなどを。

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実家に行く時はクルマで環状2号を走るので、綱島街道や大倉山駅を見ることは
ほとんどない…。
とはいえ、昨年夏には電車に乗って大倉山駅で”青ガエル”を撮った。

東横線「青ガエル」~♪ 2018.07.24 

 
 

綱島街道沿いにはアチコチ思い出の場所…。
特に、大倉山交差点界隈にはアレコレ…。
交差点脇にあるセブンは岩田屋という文房具なども扱っていた”よろず屋”
というか、何でも屋だった。
その先にある理容室”TAKAHASHI”は小中高校生時代に毎月通った床屋さん。
今も営業されていたので、恐らく息子さんが後を継いでるのかと…。
綱島街道を挟んで向かいの交番は、昔は池だった所。

このエリアにはため池が多かったのだが、ほとんど埋め立てられた。
恋駄目…、いや、肥溜め(こえだめ)も多かった…。
年に1人か2人の”犠牲者”がでた…。

つまり、農村だったのだ…。
今では都会のフリしてるけど、昭和40年代まではのどかな農村だった…。

昭和39年10月に東海道新幹線が開通して、新横浜駅が忽然と現れた頃から
、少しずつ変貌していったのだ。 
 
その頃、父は近所の知人から土地を買ったのだが、50坪で100万円ほど。
住宅ローンなんてない時代なので、祖父から借金して買ったのだが、
当時としては大金の100万円なのに、数年で完済した。
それは、高度経済成長に伴う超インフレが成せる技だった…。

 

大倉山駅から綱島街道につながる商店街には小中学生当時の友人の家や店
がたくさんあった…。
しかし、ほとんど消えた。

ところが、広い敷地の I 君宅…。
10年ほど前にはそのままで、表札はI君の名前に変っていたのだが。
なんと、ビルに変っていて、”I 薬局”の看板が。
I 君自身か、あるいはお子さんがやっているのか…。

 

  
大倉山駅。

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大倉山駅前エルム通り商店街。

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エルム通りはギリシャ風建物で統一されている。 

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大倉山うめまつり♪

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大倉山駅から急勾配の坂道を登る。
   
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記念館坂。
 
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大倉山駅周辺は急勾配の坂道が多い…。
この記念館坂と、反対側のパチンコ屋だったとこを脇に入り、新幹線のトンネル
の上をいく坂道、そして、梅宮アンナも通った、今はなき東横学園女子高校脇の
坂道など。(正しくは東横学園大倉山高校。)

特に、東横学園脇の坂道では途中でクルマを停車させるとサイドブレーキを使わない
と発進できないほどだった。

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東京メトロ副都心線直通。
東京メトロ10000系。

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大倉山駅の駅名の由来でもある横浜市大倉山記念館。
 
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「大倉」の名と重厚な建物から、大倉財閥が連想されるが、大倉違いであり、
かなり崇高な思いで作られ、維持されてきた「大倉精神文化研究所」。

母校の大綱小学校、大綱中学校どちらの校歌にも歌われている大倉山記念館。

横浜市大倉山記念館


  
  
子供の頃はしょっちゅう来ていたが…。
数十年ぶりの大倉山梅林。

昭和初期、乗客誘致のため、東急電鉄により開設された。
大倉山梅林。
 
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ぽかぽか暖かい♪

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ぽかぽか陽気♪

子供の頃、親に連れられてよく来たものだが、とにかく寒いの一言…。
当時は露店などが並び、それに釣られて来た…。
”見世物小屋”もあった。

実家のアルバムには梅林で撮ったモノクロの写真がたくさんある。
 
そんなことを思い出しながら…。

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しだれ梅。

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駅の近くにある和菓子の青柳。
  
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数十年ぶりにこちらで和菓子を。

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子供の頃は遊び場だった師岡熊野神社。
当時はうっそうとしていたのに、今では明るい雰囲気。
  
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サッカー神社としても有名になってしまった。

神社の紋は三足烏であり、熊野三山において信仰された八咫烏(やたがらす)に
由来する。
三足烏は日本サッカー協会のシンボルマークでもあるため、近年はサッカー神社と
しても親しまれ、サッカー日本代表の公式エンブレムのついた日本サッカー協会公認
のお守りや絵馬が販売されている。


師岡熊野神社
 
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昔はなかった社務所など。 
とにかく、立派な神社になったものだ。

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石段のある正面入口へ。  

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”いの池”。
  
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熊野神社市民の森。
切通しのような道で、いつもぬかるんでいたが、なんと、舗装されていた。

子供の頃の遊び場だった。
この道を登っていくと、ウチの実家がある。
さらに先には、今はない東横学園女子高校の裏手に出る。
 
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熊野神社の社の裏には”のの池”がある。
昔は人の手が入っていないただの小池だったのだが、コンクリートで
固められた池に変身していた。

先程の”いの池”、こちらの”のの池”、そして、少し離れたとこにあった
”ちの池”の3つで、”いのちの池”と呼ばれている。

子供の頃、”ちの池”については合戦に敗れた兵士が血を洗い流した池
と教わっていたのだが…。
どうも、そうでもないらしい…。
江戸時代からの農業灌漑用水だったらしい。

”ちの池”は昭和40年代に埋め立てられて、現在は綱島街道に面した
公園となっている。
    
”いの池”、”のの池”、”ちの池”/はまれぽ.com


   
人工的になっていた”のの池”。
 
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帰路も環状2号と保土ヶ谷バイパスで順調に。
そして、驚いたことに中央林間まで30分足らずで到着。

道路整備が進むと、そんなことが可能になるのかと…。




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