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2019/05/03

下北沢♪

  ★下北沢♪

晴れ♪

暑かった…♪
夏だ~♪

  
下北沢へ…。

実は…。
ママは小田急線沿線に移住してきてから30年余。
まだ下北沢に行ったことがない…。
いつか行こうと言いつつ、いつもの如く…。

僕は学生時代から社会人3、4年生くらいまでは月に2、3回は行ってた。
地方出身の友人たちがシモキタに住んでいたから…。
但し、小田急線に乗った記憶はほとんどない…。
最近は取引先訪問とかでたまに立ち寄ることはあったけど、
プライベートでは30年以上ぶり…。


 
■下北沢物語♪

東横線沿線に住んでいたので、小田急線は丹沢や大山に登山する際に
海老名駅から秦野駅(当時、大秦野駅)や渋沢駅まで乗る路線であった。

最短の横浜線経由は考えられないルートだった…。
それは、横浜線は原町田駅と称し、小田急線は新原町田駅と称していた。
その上、駅と駅が遠く離れていて、途中には信号機のある交差点まであって、
とにかく、よそ者には無理って思い込んでいた…。

昭和50年代になり、ようやくどちらも町田駅と改称した。
同時に国鉄が小田急に歩み寄って、駅を小田急に近いとこに移動したり、
両駅をペデストリアンデッキでつなげたりしたのが現在の姿。


学生時代。
昭和40年代後半から昭和50年頃。
地方出身者は下北沢とか中央線沿線に好んで住んだ時代。
僕は地元横浜の大学だったので、ほとんどが東横線沿線に住んでいたのだが、
学外の友人らはシモキタとかに多く住んでた。

五木寛之の「さらば モスクワ愚連隊」とか「風に吹かれて」とかに魅了されて…。
海外放浪をしようと、そういったサークルに籍をおいていたので、学外のメンバー
もたくさんいて、彼らはシモキタや高円寺などに住んでいた。

当時、彼らのアパートに遊びに行く時は東横線で渋谷へ、そして、新宿から小田急線
や中央線に乗ったりしていた。
小田急線には必要最小限しか乗らない…。
とにかく、小田急線って遠い存在って感じがして、どこへ連れていかれるか不安…。
そんな気持ちがあった。

そんな悪夢のような出来事…。(大袈裟かも…。)
横浜に住んでいた頃。
前6両は小田原行き、後4両は片瀬江ノ島行きなんていう分割・併合が行われて
いた時代。
新宿から小田急線に乗って…、相模大野駅でごちゃごちゃやってる…。
で、気がついたら聞いたことのない東林間駅に。
マップを見たら、とんでもないとこに行く電車。
慌てて下車して逆の電車に乗り換えた。
ま、大和駅で相鉄線に乗り換えて横浜へ出る手があったのだが、全く未知の世界
だったので、慌ててしまった…。

小田急って、遠い小田原や箱根へ連れていかれたり、江の島に連れていかれたり
、何をされるか分からない、そんなミステリアスな世界に思えた…。
 

クルマで行くのは至って大丈夫…。
綱島街道、中原街道、環七と走れば、大倉山の自宅から夜中だと30分足らずで
シモキタへ。

社会人になりたての頃。
昭和50年代初頭。
同期の同僚たちも地方出身者はシモキタ、成城学園前、中央線沿線に住んでいた。
だから、べろんべろんに酔って、同僚についていってアパートに転がり込む…。
そして、みんな風呂なしアパートだったので、銭湯に立ち寄ったり。
  
やはり、週末はクルマで同僚のアパートに遊びに行っていた。
但し、隔週週休二日制なので、隔週で遊びにいってた。

そんな同僚たち。
結婚を機に分相応な所に転居していった。
シモキタの駅近くに住んでたG君は南大沢に。
代沢に住んでいたKさんは、故郷のご両親の勧めで下宿のような住まい。
大家さんの大きなお屋敷に女子ばかりが下宿。
大家さんは次々にお見合い相手を勧めてくるのだが、超エリートばかり
を紹介してきて、最終的に某都銀(古い…)のエリート行員と結婚し、
東戸塚に転居。
 

僕は。
ママと婚約して、知人の紹介で婚約指輪や結婚指輪を作ったのは青山のジュエリー
デザイナーのお店。
数ヶ月後、指輪ができあがった時、オーナーの好意で小田急線代々木八幡駅近く
の日本料理店でご馳走していただいた。

帰り…。
小田急線は不慣れなので、そそくさと新宿に戻り、渋谷から東横線で帰宅した…。
その頃も小田急線に違和感を感じていた…。
とにかく、一刻も早く小田急から離れたかった…。

そう、私鉄沿線住民って、他の私鉄には違和感を覚えるようだ。
国鉄、JRには感じることのない違和感を他の私鉄には感じてしまう…。
東横線から見ると、内陸に深く入り込む小田急線に対しては強く感じた。



ところが、30歳の頃、超バブル時代、横浜市内に家を買うにも高騰して手が出ない…。
そんな訳で、昭和59年に海老名市の相鉄線かしわ台駅エリアに自宅を。
やはり、横浜につながっていたいという、淡い願望がそうさせた。

かしわ台からの初出勤…。
かしわ台駅から1駅で海老名駅。
海老名から小田急線の急行に。
とにかく、長い長い通勤時間…。
その上、ラッシュ時の混み方は異常で、特に、下北沢駅手前あたりの踏切
をノロノロと通過する頃は吊り革につかまり、必死の形相で耐えていた。
前の座席の人に覆い被さるくらい…。
とにかく凄い疲労感…。

そんな酷い状態で長時間の通勤時間なのに、”自然渋滞”による遅延で70分
遅延という事態が起きた…。
車内アナウンスは「前の列車と接近して…。」とか、要領を得ない説明だった。
そう、怒りのもって行き場がない…。
さすがに、70分遅れっていうのはその後はなかったが、”自然渋滞”による
10分、20分遅れっていうのは何回かあった…。
遅延常習…、「それが小田急の実態」だと知って愕然…。

毎晩、最終電車になるほど仕事に集中していた頃…。
ちょっと飲み会となると、上司の家に外泊…。
携帯なんかない頃、無断外泊…。
タクシーチケットで2時、3時の帰宅も…。

そして、さらに酷い…。
小田急の最終で帰宅しても、相鉄はとっくに終電がなくなっていた…。
そんな考えもしなかった事実にがっくり…。
早速、小田急線沿線に転居した…。
 
  
毎日の通勤電車の車窓…。
多摩川を渡ったあたりからは小田急線複々線化のための用地買収…。
当時は下を走っていたので、1軒1軒の買収が手にとるように分かった。
気が遠くなるような…。
僕が生きてる間に複々線化ができるのだろうか…。
そんな気持ちになった…。

 

下北沢駅到着。

各停でのんびり。
各停、準急はB1F(地下1階)の3、4番線。

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まだ工事中ではある…。
なんだか、昔の下北沢駅が思い出せないくらいに明るくて広い。

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『出会いそして旅立ち』。  宮永岳彦。  2019年。

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30年前、下を走る小田急線の車窓から見た複々線化を目指す用地買収や工事。
1軒1軒の用地買収が手にとるように分かる。
気が遠くなるような事業。

反対運動のノボリ。
最後の最後まで反対していたアパート…。

本当に複々線化、高架化ができるのかと…。
若かりし頃、自分が生きている間に実現するのかと疑問に思った事業…。

ところが、次々と現実のものとなり、とうとう、昨年に完結した♪

最後の〆となったのは、この下北沢駅。
約2kmに及ぶ広大な線路跡地の活用が完成したら、その時が本物の完結と
なるのだろう。


この陶板レリーフは、小田急が30年間に渡り進めてきた複々線化事業完成の
メモリアルとして設置された。
  
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宮永岳彦氏といえば。
秦野市在住だった縁で小田急ロマンスカー3000形・SE車のカラーリングを考案。
あのバーミリオンオレンジにシルバーグレーのツートンを基調とし、白帯を配した
塗装を考案した。
 

昭和32年(1957年)デビューのロマンスカー3000形・SE車のポスター
も宮永岳彦氏の作品。

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宮永岳彦 wikipedia

秦野市立宮永岳彦記念美術館

宮永岳彦 表現の世界

小田急ロマンスカー wikipedia 



ロマンスカー3000形・SE車。
    
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下北沢駅 wikipedia

小田急小田原線 wikipedia
 


演劇、音楽、古着、カフェなどサブカルチャーの街、シモキタ♪
 
ママにとっては初の下北沢♪
ちょっと想像を絶する風景だったようだ…。  

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本多劇場がオープンした頃、シモキタ住人の友人と1度だけ見た。

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こちらも本多劇場グループの「劇」小劇場。
こちらは席が空いていたようで、客引きさんに声を掛けられた。  

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社会人なりたての頃、隔週週休二日制だったので、2週間に1度、週末にクルマで
やって来た。
綱島街道、中原街道、環七をかっ飛ばしてきた…。
この高架の下をくぐった。  

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反対側に目をやると。
北沢タウンホール方向は電柱がなくなっていた。
 
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鈴なり横丁。
この先に同期のアパートがあった。

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その先。
下北沢一番街。
小田急線東北沢4号踏切跡。  

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広大な小田急線跡地。
どんな使い方がされるのか…。
成城学園前駅の時もワクワクして見ていたが、今回はさらに広大な土地。

 
※追記(2019年10月1日)
世田谷代田駅から下北沢駅を経て東北沢駅までが地下化されたことにより、
残された線路跡1.7km、面積2.75haという広大な計画が公表された。
なかなか、面白い計画で最終的には2020年12月から2021年3月に完成予定。

下北沢線路街
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下北沢駅東側の線路跡地…。
東北沢4号踏切跡。

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そうそう、車窓からこの商店街を見ながら通勤していた…。

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う~ん。
「Gakuya」とか「キネマ倶楽部」とか…。

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下北沢駅に近づく。
東北沢6号踏切跡。
小田急線から毎朝見ていたスーパー「オオゼキ」。

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わくわく♪

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ママが気に入って、あれこれ…。

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これも売り物かと思った…。
どうやって使うんだろうと…。

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いえいえ、雑貨屋さんの中にカフェもある。
今年初のアイスコーヒー。
アイスカフェラテ♪
  
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すごい作品…♪

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Zoff やABCマートなど、大手の店舗も並ぶ。
ABCマートはシモキタ界隈だけで3店舗も見た。

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東洋百貨店。
雑貨、ファッション、古着屋などなど。

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京王井の頭線下北沢駅。
吉祥寺寄りのホームは地上にあるかのように見える。
すぐ先には踏切もある。

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ところが。
ここも坂の街。
渋谷側は少し高架になり、この先では地上を走る小田急線を跨いでいたが、
現在は小田急線跡地を跨いでいく。

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下北沢南口商店街。
テレビなどでは南口商店街でのロケが多いかも。

それにしても…。
すごい人、人、人…。
渋谷、新宿、原宿などと変わらないくらいの賑わい…。

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なんか、つけ麺が食べたい。
つけ麺 銀座いし井。

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ま、美味しかった…。

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食後の散策。
代沢の方へ。
下北沢は駅のまわりは賑やか街なのだが、その周辺は閑静な住宅街。

お~、いつも見ていた光景…。

毎朝、小田急線の車窓から見ていた光景。
下北沢駅は目の前なのに、前の電車が詰まっていて、ノロノロ…。
こっちは吊り革につかまった腕が悲鳴を上げていた…。
下北沢3号踏切跡…。

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毎朝、小田急線の車窓から見ていた店…。

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下北沢3号踏切跡。
この踏切の近くに同期のKさんが住んでいた下宿があった。

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下北沢2号踏切跡。

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庚申堂。

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shimokita/下北沢商店街公認ポータルサイト
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老舗のせんべい屋、玉井屋。  
大正2年に本所で開業、昭和27年に当地に移転。

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玉井屋(下北沢)/食べログ

 

小田急線下北沢駅と京王井の頭線下北沢駅。

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小田急下北沢駅構内。
ホント、明るくて広い。
井の頭線乗換え口。

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B1F(地下1階)は各停、準急の3、4番線。

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B2F(地下2階)は1、2番線で急行などが停車する。
帰りは快速急行で。

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B2Fまで一気に下るエスカレータ。
途中、B1Fの3、4番線がガラス越しに見える。

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海老名で買い物したくて海老名駅まで乗った。
ロマンスカーミュージアムの建設が本格化している。

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ビナウォークの鯉のぼり♪

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