深大寺♪
★深大寺♪
晴れ♪
今日も暑かった…。
休みだし、天気予報は曇りから晴れに変ったし。
じゃ、どこかへ。
圏央道へ。
すいすい…。
さすが、高速…。
あっと言う間に中央自動車道・調布インター。
中央フリーウェイ。
1976年(昭和51年)荒井由実4枚目のアルバム『14番目の月』に収録された曲。
その数日後、横浜山手教会で松任谷正隆と結婚した。
その2、3年後、FRだった初代スターレットに会社の同期たちを乗せてよく走ったのが、
首都高3号渋谷線&東名とか首都高4号新宿線&中央フリーウェイだった。
中央フリーウェイの調布基地、東京競馬場、サントリーのビール工場…。
そして、山に向かって走ったものだ。
現在もそのまま存在していることが嬉しい。
その後、中央自動車道の東京都内区間とは縁のない数十年を過ごしてきたので、
今日は懐かしさと新鮮な気持ちと。
調布インターを降りて国道20号甲州街道を数百mいくと、武蔵境通りへ。
この交差点付近には電気通信大学が威容を誇る。
ま、通信関連の東大とも評される存在…。
叔父は戦中に入学して戦後すぐに卒業した。
当時、逓信省管轄の無線電信講習所で、後に中央無線電信講習所を経て文部省管轄
の電気通信大学となる。
叔父が在学中は目黒にキャンパスがあった。
卒業後、国鉄に入り宇高連絡船のレーダー一筋で定年まで高松駅に勤務した。
国鉄マンとはいえ、電車や気動車には無縁の船舶一筋の人生…。
昭和62年(1987年)、国鉄からJR四国になり、翌年には瀬戸大橋開通に伴う
宇高連絡船廃止…。
そして、叔父も定年…。
叔父は自分が卒業した学校があれよあれよという間に手が届かない存在に登り詰め
たことに驚きの感想を漏らしていた。
そんな電気通信大学を横目に武蔵境通りに。
深大寺入口交差点を右折すると、うっそうした雰囲気になり、そば屋が軒を連ねる。
深大寺山門前にて。
この山門は慶応元年(1865年)の大火から免れたため、300年以上前の
元禄8年(1695年)の普請で境内最古の建物。
なんと、草などが生えていた。
本堂。
・深大寺
元三大師堂。
深大寺における厄除け信仰の中心。
ここ調布市にある東京スタジアムはラグビーワールドカップの競技場ということも
あって、オーストラリア代表チームが必勝祈願したとか。
サイン入りユニフォームが展示されていた。
山門から門前を。
門前にはそば、そば、そば…。
この界隈で20店のそば屋がしのぎを削る。
そば「門前」。
その先、そば「鈴や」。
こちらでランチを。
目の前には鬼太郎茶屋。
店内ではなく、店外のテーブルへ。
外は暑かったけど、こちらは風が通り気持ちよかった。
僕は”とろろそば”にしたのだが、あっと言う間に食べてしまった…。
ママの天ざるをパチリ。(但し、天ぷらを1つ食べてしまった。)
・深大寺鈴や
・鈴や(調布、深大寺)/食べログ
気になってた、鬼太郎茶屋へ。
ゲゲゲの鬼太郎。
お土産売り場の向こうは喫茶。
お土産をあれこれ…。
折角だから。
神代植物公園へ。
深大寺門から。
広大な森を抜けたら、広大なバラ園。
バラ。
大温室に。
熱帯の花や木などが豊富。
神奈川県立相模原公園の温室はひと回り小さいけど、内容はよく似ている。
ラン。
ドラクラ・ギガス。
猿の顔のように見えるので、「モンキー・オーキッド」とも呼ばれる。
ベゴニア。
スイレン。
サボテン。
帰りの中央自動車道。
追い越し車線を制限速度ぎりぎりで走行する軽…。
もちろん、前はガラガラ…。
左車線の方が早い。
5、6分後、直後についてたトラックは左から追い越した。
もう1台の乗用車も同じく…。
イライラさせる原因のクルマ、千葉ナンバーの軽で初心者マークもつけている。
”あおり運転”してくださいといわんばかり…。
ま、どっちもどっち…。
僕も左側から追い越した…。
追い越した後、ルームミラーで確認したら、初心者マークにしては、
髪の毛の薄いおっさんだった…。
頑なというか、頑固というか…、なんなんだろね…。
で、帰りもすいすい。
1時間で自宅へ。
圏央道効果を実感♪
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