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2020/07/28

箱根へ -2♪

★箱根へ -2♪

7月27日(月)。

どんより…。

肌寒く感じたり、蒸し暑く感じたり…。




リ・カーヴ箱根の朝食。
もちろん、朝食も弁当形式。

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朝の散歩。
仙石原のすすきヶ原。
「すすきヶ原」は僕が勝手にそう呼んでるだけなのだが…。

ちょっと調べたところ、「すすき原」、「すすき野原」、「すすき高原」、「すすき草原」などと
呼ばれている。
その中でも「すすき草原」が地元でも多く使われているようだ。

夏の「すすき草原」。

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仙石原湿原。

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雲が低く立ち込める…。

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国道1号を箱根湯本、宮ノ下の方から南下してくると、小涌谷を過ぎて芦之湯の
何もない所に「国道1号最高地点 874m」の看板。
ちなみに、箱根峠は標高846m…。

まずは、芦之湯と元箱根の間に位置する元箱根石仏・石塔群。
こちらの精進池のほとりに「石仏群と歴史観」が建っている。

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精進池を。

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石仏などのレプリカ。

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箱根の石仏群/箱根全山

芦之湯の顕彰




六道地蔵バス停。

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国道1号。

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国道1号の下には狭い歩道。

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国道1号の下にはトンネルが。

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トンネルを抜けると六道地蔵が建っている。

箱根の石仏群群は、今から約700年前の鎌倉時代後期に造られ、国の史跡と重要
文化財に指定されている。
鎌倉時代には京と鎌倉を結ぶ重要な交通路(鎌倉古道・現在の国道1号)であり、
当時、この地は火山活動の残る荒涼とした地形で「地獄道」と呼ばれ旅人に恐れられた。
そのため、石仏・石塔群を造り、旅人の安全を祈願したとの事。


ここ精進池畔沿いの道は鎌倉時代に箱根越えの道として開かれた。
現在、「湯坂道」と呼ばれるこの道は湯本から浅間山、鷹巣山などの尾根を経て、
ここ精進池畔を通り、箱根権現(現、箱根神社)へ下るルートで、元々は箱根権現
を信仰した源頼朝が伊豆の走湯山や三島大社と共に参詣する二所詣(あるいは
三所詣)を行う際に参詣道として利用したもの。
以後、二所詣は歴代将軍らに引き継がれ、この道も整備されていった。

これにより、人々の箱根越えの道は、それまでの箱根山の北側、足柄峠を越える
ルート・矢倉沢往還から次第にこの湯坂道が使われるようになった。
しかし、なんといっても険しい山道、しかも道中最も高地にあるこの精進池周辺は
時に霧が立ち込め、荒涼とした風景が広がっていた。

この頃、箱根を越えた都の歌人・飛鳥井雅有は紀行文「春の深山路」(弘安3年・
1280年)で、この付近のことを「此山には地獄とかやもありて、死人常に人に行あひ
て…」と記している。
旅人にとって、ここは「この世の果て」、地獄だったのだ。
この地に数多くの石仏や石塔が造られたのは、そんな思いが背景にあったと思われる。

矢倉沢往還 wikipedia


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※wikipediaより




六道地蔵堂。
石仏・石塔群のシンボル的存在。
上二子山の麓に位置しており、鎌倉時代に彫られた巨大な磨崖仏が座っている。
平成になって発掘されたもので、覆屋は室町時代のものと想定されており、復元された。

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六道地蔵。
地蔵菩薩坐像。

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応長地蔵。
応長元年(1311年)と刻まれている。

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多田満仲(源満仲)は平安時代中期の武将。
源氏の元祖で清和源氏発展の礎をつくったことで知られる武将。

日本人のほとんどの家系は清和源氏を祖先としているが、そのような立場の武将。
子孫の源頼朝は武門の棟梁として鎌倉幕府を開き、武家政権を実現した。

多田満仲の墓とされているが、永仁4年(1296年)建立であり、墓というよりは
供養塔かと思われる。
また、4年後、鎌倉極楽寺の開山・良観上人(忍性)が開眼供養の導師をつとめたとの
追刻があるとか。


それにしても。
このような国の重要文化財が無造作に置かれている。
そこを一般人が”鑑賞”する光景…。
700年前の空気を感じたい…。


宝篋印塔(ほうきょういんとう)。
「多田満仲の墓」と呼ばれている。

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後日、これとよく似たものを鎌倉市内で見かけた。
若宮大路の一の鳥居のすぐそば。
鎌倉幕府御家人、畠山六郎重保の墓塔といわれている「石造宝篋印塔」だった。

鎌倉へ♪ 2022.02.12




マップを見ると。
下二子山、上二子山の記載があり、六道地蔵は上二子山の麓に位置する。
これらの山は我が家のある座間市や湘南、西湘からもはっきり見える山で、身近に
感じる。







クルマは函嶺洞門付近のパーキングに。

国道1号を歩き、塔ノ沢駅へ。

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駅に貼ってあったポスター。
9ヶ月ぶりの運転再開…。

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塔ノ沢駅。
箱根湯本行き、3000形。

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強羅行き、1000形「ベルニナ号」。

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ここ2、3年、箱根登山電車に乗車することが多いのだが、いつもラッシュのような
込み具合だった…。
ところが、今日はガラガラ…。
ま、4連休も終わり、月曜日だということもあるのか…。

箱根という人気集中のエリア。
ところが、どこへ行っても適正な人数しかいない…。
どこへ行っても外国人観光客がほとんどいないというのも新鮮な驚き…。
いつもなら日本語なんか聞こえてこないのに、今日は小声の日本語だけが聞こえて
きて嬉しくなった。


車内。
1つのボックスに1人か2人座っていて、”密”はなかった…。

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早川橋梁(出山鉄橋)から塔ノ澤橋を。

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出山鉄橋。

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早川橋梁、「出山の鉄橋」とも呼ばれている。
この橋は中古…。
132歳…。

1888年(明治21年)、東海道本線の天竜川橋梁に架けられていたものを鉄道院から
払い下げを受け、転用したものである。
当時、第一次世界大戦により資材の輸入が途絶したしたため、窮余の一策として考えられた…。
1915年から工事が始まったが、深さ43m・幅60mという深い谷に架橋するため、
大規模な総木製の足場を組んで作業を行なった。
このために使用された丸太は約1万本ともいわれている。
完成は1917年5月で、翌日からは足場の解体にかかるというその夜、暴風雨により
早川が氾濫し、足場は全て流失してしまったが、鉄橋本体には全く影響がなかった。
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災では、鉄道線が震災により甚大
な被害を蒙った中、本橋は橋台を僅かに損傷した程度で、奇跡的に被害を免れた。
震災前は国道1号は鉄橋の出山信号場側で踏切によって平面交差としていたが、
震災後に国道側を掘り下げ、立体交差となった。
現在、登録有形文化財に指定されている。

早川橋梁(箱根登山鉄道鉄道線) wikipedia


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出山信号所でスイッチバック。

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さっき渡った出山鉄橋を。

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箱根湯本行きと交換…。

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大平台駅でもスイッチバック。

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3回目のスイッチバック。
上大平台信号所。

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仙人台信号所。
こちらは交換のためだけの信号所。

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昨年の台風19号(令和元年東日本台風)の爪痕…。
宮ノ下~小涌谷駅間の蛇骨陸橋の土砂崩れ現場…。
まだまだ工事は続いている。

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小涌谷駅にて。
箱根湯本行き、2000形。

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交換。

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函嶺白百合学園小学校の児童一同からのメッセージ。

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箱根駅伝の名物「小涌谷踏切」。
昨年の台風19号の時、箱根からの中継でいちばん驚いたのは国道1号が濁流のよう
になって踏切を含めて流れていく様子だった…。

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やはり、この区間やこの先の蛇骨陸橋の被害が甚大だったのだが…。
見事に工事完成。

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箱根登山バス・小涌谷駅バス停はエヴァンゲリオンだった。

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小涌谷駅にて強羅行き3000形と箱根湯本行き1000形の交換。
あれ、先程乗った1001F編成が強羅駅折り返して来た。

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車窓のあじさい…♪

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蛇骨陸橋の工事現場…。

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宮ノ下駅で下車。

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”NARAYA CAFE”を見下ろす。

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宮ノ下は歩くのがいい。

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リニューアルオープンしたばかりの富士屋ホテルに。

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富士屋ホテルのビーフカレーを♪

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渡辺ベーカリーへ。
右の井戸らしきものは熱い温泉が出ている。

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パンをあれこれ。

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宮ノ下駅へ。

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”NARAYA CAFE”の足湯カフェ。

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足湯。

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NARAYA CAFE

NARAYA CAFE(宮ノ下)/食べログ



ウチはテラス席へ。

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宮ノ下駅。

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箱根湯本行き、1000形。
ん、またもや、先程の1001F編成が箱根湯本駅折り返し、さらに、強羅駅折り返し
で3回も同じ車両になるとは…。

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強羅行き、2000形と交換。

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次の大平台駅にて、強羅行き、モハ109号車+モハ108号車がやってきた。

1998年に箱根登山鉄道としての創立70周年を記念してモハ108号車とモハ109号
車は縁色1色に変更され、2~3年後に元に戻された。
2019年4月には、箱根登山鉄道の箱根湯本~強羅駅間開業100周年を記念し、
再びモハ109号車が緑色に変更された。
なお、モハ2形はこの2両のみとなった。

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出山信号所。

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あれっ。
パーキングに駐車した時に隣のクルマのご夫婦が同じ電車に。
そして、どんぴしゃ塔ノ沢駅で下車。
ここで下車する人はほとんどいない…。

ウチもいつもなら塔ノ沢駅で下車するのだが、今日は湯本まで行って、お土産などを
探しながらパーキングに戻ることに…。




で…。
失敗作も…。

塔ノ沢駅にて。
モハ1形最後の2両、モハ104号車+モハ106号車。
106号車は箱根湯本~強羅駅間開業100周年記念として昨年6月から青塗装で運行している。
尚、モハ1形の103号車+107号車は昨年7月にラストランを行い、107号車は鈴廣
かまぼこの「えれんなごっそ CAFE107」として活躍している。

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箱根湯本駅到着。

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階段もエヴァンゲリオン。

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テレビでは閑散とした箱根湯本が映しだされていたが、今日はほとんど営業していて、
人出もそこそこだった。

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大好きな湯もちの「ちもと」。

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お土産は「菜の花」で。

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しかし。
それにしても、梅雨を恨めしく思った…。
予想では、もう夏本番だろうと思いながら予約したのに…。

箱根は県民の独占状態になったのは凄いことだが、県を跨いで行き来ができるように
なったら、どんなことになるのだろう…。
それが恐い…。

また、”GO TO トラベル”が急遽始まったのだが、ウチの場合はホテル料金がバックされることに。
でも、まだ送付先住所は不確定らしく、8月14日以降に申請書を送付することになるのだとか。


GO TOトラベル…♪ 2020.12.28 ・・・4ヶ月後、12月28日に還付金が振り込まれた…。





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