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2020/11/18

矢部駅へ♪

★矢部駅へ♪

晴れ♪

汗ばむほど暑い…。


通勤経路なのだが、以前から興味津々のエリアへ。
ハマ線の淵野辺駅~矢部駅~相模原駅エリア。
通勤線とはいえ、今日はプチ旅行だ♪


まずは。
いつもの相模大野…。
解体線は昨日までは1000形車両が次々と姿を見せていたのだが、今日は片付いた雰囲気。
しかし、防音シートは撤去せずに畳んだだけ…。

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ここ1、2年だったか歴代ロマンスカーに占拠されていたが、いずれもミュージアムに
搬入されて空っぽになった。
そして、昔のように通勤車両が入っていた…。

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町田駅でハマ線に乗り換え。
淵野辺駅手前の青学相模原キャンパス。
箱根駅伝の練習用にアップダウンのあるランニングコースが見える。

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昔、昔、昭和60年頃、ウチが神奈川県央エリアに”移住”してきた時代。
小田急線本厚木駅からバスで山奥へ入っていった辺りに広大な「森の里」というエリア
がある。
ここは富士通、NTT、日産、青学、松蔭大学などで形成された学園研究都市があった。
いや、過去形じゃなくて現在も健在なのだが、残念ながら青学は撤退した…。
当時、本厚木駅前では青学の学生がバスをパスして数人でタクシーに転がり込むよう
に乗車する姿を目撃したものだ。
やはり、これらがきっかけとなり厚木を出て淵野辺に移転したのだ。
もちろん、バスに頼らず駅から徒歩圏内…。

すっかり淵野辺の顔として定着した感のある青学相模原キャンパス。
やはり、箱根駅伝の快挙が大きく貢献しているのかも。

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淵野辺駅手前から見えてきた線路…。
かつては貨物扱いが行われており、北側の東神奈川方面に貨物扱い施設が、橋本方
面には米軍相模総合補給廠への専用線のための入換線があった。
このレールは貨物扱い施設の名残り…。

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淵野辺駅 wikipedia



横浜線上り東神奈川方面行きの北側。
同じく淵野辺駅構内にもレールは残っている。

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淵野辺駅を過ぎるとレールの上に建物が…。
こんな光景がずっと続く。
  
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矢部駅。

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北口。
バス、タクシーのりばなどロータリーになっている。

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矢部駅 wikipedia


以前はここに踏切があったらしいが、現在は地下通路で南北をむすぶ。

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淵野辺駅方面へ歩く。
手前には横浜線の北側に横たわる廃線跡のレールがそのまま残っている。

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一般の住宅が線路上にあるのだが、それらの住宅はこの商店街の店の建物だった。

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懐かしい金物店。
昔、ホームセンターなんて無い頃、金物店で買い物していた。
同じようにオートバックスとかイエローハットのようなカー用品店なんか無い頃は
個人商店の部品屋さん、ディーラー、ガソリンスタンドで買い求めていた…。
 
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高架の上から眺めると、横浜線の右側に薄っすらとレールが見える。

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矢部駅北口ロータリー。
相模原市コミュニティバスがいた。

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米陸軍相模総合補給廠。
もちろん、フェンスの向こうはアメリカ。

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米陸軍相模総合補給廠専用線の踏切跡…。
ここから米軍基地内に入っていた。

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矢部駅から。

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矢部駅。

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ホームの端からは米陸軍相模総合補給廠が目の前に。

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土手で視界が遮断される。

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土手がないとこはブロック塀。

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松任谷由実の曲で”LAUNDRY-GATEの想い出”。
”ふた駅ゆられても まだ続いてる 錆びた金網 線路に沿って”という歌詞。
これは立川基地のランドリーゲートを歌った曲。
青梅線の立川駅から西立川駅、東中神駅へと続く立川基地。
確かに2駅をいくほど広大な基地をうまく表現している。

相模補給廠も矢部駅を出て相模原駅の少し先まで続いている大きな基地。

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メインゲート(西門)。

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相模原駅より北部を見る。
この辺りは一部返還されて道路ができ、このまま進むと町田街道に出られる。
小田急多摩線の延伸も期待されている。

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横浜線・淵野辺駅~矢部駅間。

毎朝、ハマ線から見る車窓の風景。
淵野辺駅~矢部駅間には米軍相模総合補給厰への専用線が一部残っている。

専用線は全長6.1km。
淵野辺駅~矢部駅間は横浜線で最も短い800m。
てことは、6.1kmの内、ほとんど基地内の路線(?)距離…。

元々は旧陸軍の相模陸軍造兵廠(戦後米軍に接収され在日米軍相模総合補給廠)
に通勤する工員輸送のため、戦争末期の1944年(昭和19年)に淵野辺駅~
相模原駅間に相模仮乗降場として開業。

翌1945年(昭和20年)、敗戦により閉鎖。
そして、1950年(昭和25年)、在日米軍相模総合補給廠の人員輸送のため再開。

1957年(昭和32年)、駅に昇格、矢部駅として開業。
1908年(明治41年)開業の横浜線にとっては、後発の駅。

その後、相模総合補給廠専用線は鉄道貨物による軍需物質の輸送が行われて
いたが、1979年(昭和54年)に廃止された。


矢部駅近くになると…。
なんと、米軍専用線だった線路の上に民家が張り出している。
いかにも、増築したように見える。
数軒あるので、所々、線路が見え隠れする。

そんな不思議な線路は矢部駅北側の地下道出入口のとこで終わり。
それにしても、線路の上に民家というのは考えられない現象…。

ま、このエリアにはかなり多くの米軍関係専用線が現存してるし、あるいは、
廃止になったにもかかわらず、そのまま残っていたり…。
不思議な気分にさせられる。


在日米陸軍相模総合補給廠専用線/廃線探索

相模総合補給廠wikipedia

矢部駅wikipedia

横浜線wikipedia

 

  


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