相模線「西寒川支線」跡地へ♪
★相模線「西寒川支線」跡地へ♪
晴れ♪
昨日に続き今日もかなり暖かかった♪
16℃近くまで上昇したとかで、暑いくらい…。
クルマでは冷房にしたほど…。
行きたいと思いつつ数年…。
相模線西寒川支線跡地を訪ねてみた。
相模線寒川駅から分岐した寒川支線が存在していた。
西寒川駅(起点から1.5km)、終点の四之宮駅(起点から2km)があった。
西寒川駅は大正12年(1923年)2月の開業当初は東河原駅として相模川で採取した
砂利を取扱う貨物駅であった。
昭和14年に昭和産業駅に改称、昭和15年より旅客営業開始、昭和17年に四之宮口
駅に改称、昭和19年に西寒川駅に改称するとともに、当駅から四之宮駅間が廃止され
終着駅となる。
昭和59年(1984年)3月31日をもって寒川支線は廃止…。
寒川支線は国鉄分割民営化を前に廃止された旅客路線のうち首都圏で唯一の廃線であった。
寒川支線の廃止に伴い廃止された西寒川駅…。
上記のように西寒川駅は開業以来、駅名を3回変更している。
相模線本線と分かれていた寒川支線の跡地は、本線からの分岐点からのほぼ全てが
「一之宮緑道」として整備されている。
一部区間には線路も残され、車輪などが展示されている。
また、一部のレールは西暦ではなく皇紀での刻印がされているとか。
西寒川駅の跡は「八角広場」という小さな公園になっており、線路が一部残されて
いる。
当地には、当駅と相模海軍工廠跡の記念碑がある。
四之宮駅は西寒川駅から500mほど南西にあったらしいが、川砂利採取のために
相模川の河原に面していたと思われるのだが、その痕跡はない…。
・相模線 wikipedia
・西寒川駅 wikipedia
・神奈川・相模線「西寒川支線」跡地でのんびり廃線ウォーキング
・相模線・西寒川支線
・205系500番台 wikipedia
・GO!GO!相模線/相模線複線化等促進期成同盟会
午前中から暑い暑いと言いながらクルマを走らす。
寒川町に入ると、道路を歩く人がやけに多い…。
少し先で寒川町町議会議員選挙のポスターがあり、今日が投票日だと知った。
寒川駅近辺の道路は見違えるほどきれいになり歩道も広々…。
そして、電信柱のないすっきりした風景。
寒川駅近くのコインパーキングにとめて、駅北口へ。
茅ヶ崎方面を眺めると、右側には不自然にレールが見えるが、これが西寒川支線へと
続いていた線路跡…。
夏に見たときはレールが草に埋もれていた…。
反対側に目をやると、レールは撤去されて草ぼうぼう…。
西寒川支線はここから向こうにつながっていた。
寒川駅。
南口方面を。
階段には「寒川神社の最寄り駅は宮山駅です」の表示。
そ、僕もてっきり寒川駅が最寄り駅かと思い込んでいた…。
大山踏切。
踏切のこちら側が不自然に広いのは、西寒川支線の名残り…。
寒川跨道橋付近。
こちら側の草むらは廃線跡…。
県道46号相模原茅ヶ崎線。
この辺りでは「産業道路」と呼ばれている。
ウチは茅ヶ崎とか西湘からの帰りはここを通る。
なぜか”帰り”だけ…。
それは、産業道路、県道46号の終点、柳島交差点に新湘南バイパスの終点が合流す
るのだが、圏央道とつながってからは群馬や埼玉のクルマが大挙して押し寄せて来る
ため、柳島交差点が大混雑…。
で、ここから134に入るのを避けるようになったのだ…。
大門踏切から寒川神社一の鳥居を。
踏切前の交差点を渡るとゲート広場。
このゲート広場前から「一之宮緑道」が始まる。
昭和59年(1984年)に廃線となり、昭和62年(1987年)に廃線跡に「一之宮緑道」
が整備された。
寒川町の小中学生が作ったタイルが埋め込まれている。
みんな力作。
車輪のモニュメント。
一之宮公園。
実際に使われていたレールが残されている。
レールに「1925」の刻印…。
1925年だとすれば、大正14年のこと。
この西寒川支線が開業したのは1922年(大正11年)5月。
あり得なくもない…。
さて、真意のほどは…。
一之宮公園にある車輪のモニュメント。
さらに進むと大山道とぶつかる。
八角広場。
こちらは西寒川駅があったとこ。
ここにもレールが残されている。
昭和59年(1984年)3月、廃止1週間前の西寒川駅…。
1面1線の地上駅、廃止当時は無人駅で改札口の上に屋根があるだけで駅舎は
なかった…。
車両は外吊り式片側3扉が特徴的なキハ30形・キハ35形・キハ36形か…。
※wikipediaより
当時の西寒川駅は茅ケ崎駅発着の1日4往復(8時台に1往復、16時台から19時台
にかけて3往復)のみ。
寒川駅では「この列車は西寒川行きです。橋本方面には参りません。」と注意放送が
流され、慌てて降りる乗客もいたとのこと。
・相模線 wikipedia
・西寒川駅 wikipedia
・国鉄キハ35系気動車 wikipedia
旧国鉄西寒川駅、相模海軍工廠跡の石碑。
ここから500mほど先には西寒川支線の終着駅である四之宮駅があったと…。
相模川で採取された砂利を積み込むための駅…。
西寒川駅の当時の駅名は四之宮口駅であったが、昭和19年(1944年)の国有化と
同時に西寒川駅に改称され、当駅から四之宮駅間が廃止されて、西寒川駅が終着駅
となった。
この先で目久尻川が相模川に注いでいる。
目久尻川は座間市の小田急線沿いで川として確認できるようになり、相武台東小学校
のグランドの下を暗渠で通ったあとは比較的大きな河川となり地元で親しまれている。
以前はどぶ川だったが、最近は”清流”とも言われている。
目の前には圏央道の高架が。
八角広場前バス停。
「一の宮」の浮世絵(?)…。
葛飾北斎「鎌倉 江の島 大山 新板往来双六」の1場面で、この辺りを描いたもの。
文政年間(1830年頃)に発行されたもので、江戸時代にタイムスリップした神奈川の
名所巡りを52コマで描かれている。
・鎌倉 江の島 大山 新板往来双六/国立国会図書館デジタルコレクション
・鎌倉 江の島 大山 新板往来双六/川崎市宮前区 馬絹町内会
・鎌倉 江の島 大山 新板往来双六♪ 2021.02.10
こちらから東へ500mほどの一之宮小入口交差点付近に鎌倉時代の武将、梶原景時
の館址がある。
1180年の石橋山合戦に大庭景親に従い参戦し、大敗した源頼朝を捜索。
「鵐(しとど)の岩屋」で頼朝を発見するが見逃して命を救った。
「鎌倉殿の13人」の一人である。
・「鎌倉殿の13人」ゆかりの地をたずねる/湘南モノレール
さて、戻ろう。
帰りは相模線の北側の道路で。
大門踏切から寒川駅方面を。
この先で右へ分岐されているのが見える。
西寒川支線はススキのあたりに分岐していった。
梅♪
大山踏切。
寒川駅を。
駅前ロータリーにあったそば屋さん「巴屋」へ。
店内はかなり万全なコロナ感染対策。
アクリル板のパーティションとか完璧というかすごい。
一体いくらかかったんだろうと、思わず考えてしまった…。
僕は鴨せいろ。
美味しかった♪
ママは天ざる。
・巴屋 駅前店(寒川駅)/食べログ
帰路。
今日も寒川神社付近は渋滞…。
2月初旬だというのに初詣がとまらない…。
一体、いつまで続くのだろう…。
そういえば。
海老名SA(下り)がリニューアルして久しい。
立ち寄ってみた。
ちょっと広めの外部利用者用駐車場もできていた。
こちらはたまたま空いていて誘導された。
この通路からSAに入るのだが、振り返ってパチリ。
上りと同じく、こちら下りもEXPASA海老名になった。
メロンパンの露出がすごい。
ま、海老名SA下り線といえば、メロンパン♪
このベンチでパチリする人が多かった。
さすが、EXPASA…。
レストラン、土産物店、フードコートがグレードアップ…。
あれこれ…。
もちろん。
メロンパンをゲット♪
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