鎌倉 江の島 大山 新板往来双六♪
★鎌倉 江の島 大山 新板往来双六♪
晴れ♪
昼間は日差しが強くて暖かかった♪
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東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視・女性差別発言
について様々な声が聞こえてきた、そして、様々な影響が出てきている。
ボランティアの辞退、聖火ランナーの辞退、スポンサー企業からの批判、そして、
世界からの激しい批判、世界のトップアスリートたちの動向…。
発言撤回ではすまない状況になりつつある…。
いちばん的を得ているのは、森喜朗会長と同じ派閥でもあった山本一太群馬県知事
は「思い切って辞任を…」と発言し、森会長を批判した。
どちらにしても、不名誉なかたちは避けようとの思惑…。
政府、与党、組織委員会とも、ご自身での辞任待ち、そんな雰囲気が漂うが、
森喜朗会長は高齢過ぎて判断不能に陥っているのかとも思われる…。
もしかして、森喜朗会長の後任は安倍さんかなという声も…。
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先日、寒川で見かけた「鎌倉 江の島 大山新板往来双六」の「一の宮」の絵。
江戸・日本橋を起点に鎌倉、江の島、大山という神奈川の名所を6泊7日で巡る双六。
葛飾北斎唯一の双六なのだとか。
描かれている52のコマを書き出してみた。
1.日本橋 品川へ二里
2.品川 川崎へ二里半、荏原郡
3.大森 名物 海苔
4.川崎(川嵜) 神奈川へ二里半、橘樹郡
5.鶴見 名物 まんぢう(?) よねまんじゅう
6.神奈川 程が谷(保土ヶ谷)へ一里九丁
7.○○より 本牧をのぞむ図(?)
8.程が谷 (泊) 戸塚へ二里九丁
9.戸塚 武相の堺を、俗界木村と○○
10.同驛 ○○まで二里九丁
11.倉田、長沼、飯嶋
12.大道 小菅谷村、笠間
13.粟舩 ※現在の大船
14.小袋谷 市場
15.山の内
16.円覚寺 瑞鹿山
17.建長寺 巨福山
18.巨福呂坂
19.鶴ヶ岡 七里ヶ浜まで一里 ※鶴岡八幡宮の大銀杏も描かれている
20.雪ノ下 (泊)
21.琵琶小路 ※若宮大路の一の鳥居から二の鳥居の間、今も琵琶橋がある
22.稲瀬川
23.深澤 大仏 三丈五尺
24.長谷 海光山 長谷寺
25.星月夜の井 虚空蔵堂 ※星の井通りはいつも通るとこ
26.極楽寺 切通し、霊山山
27.針磨橋 ※江ノ電極楽寺駅から検車区を過ぎた辺り
28.稲村 足あらい茶屋
29.七里ヶ濱 腰ごえまで四十二丁
30.腰越 小動、江の島まで二十二丁
31.江の嶋 (泊) 藤澤まで○○○八丁
32.固瀬 ※片瀬
33.藤澤 四ツ谷へ一里
34.四ツ谷 一のみやへ二里 ※藤沢市城南2丁目
35.一の宮 田むら十八丁
36.田村 伊勢原へ一里十八丁 ※平塚市の田村十字路の田村
37.伊勢原 大山不動へ二里
38.大山 (泊) 伊勢原より○○へ十八丁
39.粕谷 愛甲へ十二丁
40.愛甲 厚木へ三十四丁
41.厚木 川原口へ十八丁
42.川原口 鶴間宿へ二里半
43.鶴間の原 ○○○○相模
44.鶴間宿 (泊) 長津田へ一里 ○○○武蔵
45.長津田 荏田へ二里
46.谷本 市ヶ尾をすぎて荏田○○都築郡 ※横浜市都筑区の原点
47.荏田 依田とも○○○ 二タ子へ二里
48.馬絹 橘樹郡 ※馬絹と北斎/馬絹町内会(川崎市宮前区)
49.溝ノ口 (泊) ○○○景光寺○○
50.二タ子 三軒茶やへ二里、玉川六○の水止
51.三軒茶屋 志ぶやへ壱里、荏原郡
52.渋谷 日本橋へ二里、豊嶌郡
1里は約4km、1丁は109m。
読めない文字は○で表記した。
それにしても。
190年前の双六だが、昔の地名と今の地名が変っていないことに驚いた…。
ま、当たり前ではあるのだが…。
とはいえ、「渋谷」が「志ぶや」、「保土ヶ谷」が「程が谷」とか、かえって新鮮な感じ。
近所にある江戸時代の道標などは誰もが読めるようにか、府中が「ふちう」、
八王子が「はちおゝじ」というようにひらがなが使われている。
僕らの世代の祖母や曽祖母、つまり江戸時代末期から明治時代の中頃までに生まれ
た人の中には文字の読み書きができない人が実際にいたのだ…。
ひらがなはかろうじて読めるというレベルだったそうだ…。
但し、祖父や曽祖父といった男性は読み書きができたので、性別による格差とか
都会と田舎といった地域格差があったのかと思われる。
また、女性といえども身分などによって異なることもあった。
父方は商家だったので祖母は達者な字を書いていて、帳簿なども書いていた。
母方の祖母は農家出身だったので読み書きはできなかったが、母方の祖父は武家の
出身だったので祖父の妹たちは読み書きどころか上の学校までいかせてもらった。
北斎唯一の双六絵。
武蔵・相模両国の名所旧跡をめぐる双六絵である。
江戸から東海道六郷の渡し~川崎~神奈川と来て保土ヶ谷で一泊。
戸塚から大道~円覚寺~建長寺、鶴岡八幡に詣で、雪の下で一泊。
露座の大仏、長谷観音、極楽寺から七里ヶ浜へ出て、弁財天の江ノ島に宿泊。
片瀬~藤沢~四ツ谷から大山道に出て、相模川を田村の渡しで越え伊勢原へ。
良弁の滝で身を清めて、大山に詣でて坊に一泊。
愛甲~厚木で相模川を越え、河原口~鵜の森~鶴間宿泊まり、大山街道の長津田~
谷本~荏田、国道246号を馬絹~溝の口と来て二子宿泊まり、多摩川を二子の渡し
で越え、三軒茶屋~渋谷~赤坂見付けを通り、歩いて6泊7日の大旅行の上がり。
柳亭種彦の撰に従い、北斎が描いた52駒の名所絵。
江戸時代にタイム・スリップした神奈川の名所巡りは、観光立県・神奈川のポスターそのものだ。
「初摺」の本図は、板元西村屋与八・鶴屋喜右衛門の共同で文政末年(1830年)ごろ発行された。
※馬絹町内会「馬絹と北斎」より
鎌倉や江の島などはコロナ禍でも東京や埼玉、千葉のナンバーが押し寄せて来る
けど、江戸時代も観光としての価値が高かったことがよく分かる。
・鎌倉江の島大山 新板往来双六/国立国会図書館デジタルコレクション
・鎌倉江の島大山 新板往来双六/川崎市宮前区 馬絹町内会
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