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2022/11/12

秦野&山北へ♪

★秦野&山北へ♪

晴れ♪

暖かかった♪
汗ばんだほど。


20年ほど前から源実朝公御首塚のある「田原ふるさと公園」に行きたいなと…。
そば処「東雲」も美味しそう。
近くの「石庄庵」にはたまに行くのだが、田原ふるさと公園は通り過ぎてしまう。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、そろそろ公暁が暗躍しそう…。
タイミング的にはぴったり…。



ということで、246を西へ西へ。
秦野市、新善波トンネルを抜けると、お約束の富士山♪
ちょっと前までは雪で白くなった富士山が見えたのだが、雪が解けてしまった。

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名古木交差点から県道70号秦野清川線へ。
少し上ったあたり、寺山という集落の交差点で脇道へ入り、「田原ふるさと公園」
を目指す。

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分かりやすい看板。

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いかにも里山といった風景。

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まずは、腹ごしらえ。
ふるさと伝承館のそば処「東雲(しののめ)」へ。

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芸能人の色紙がずらり。
旅番組やバラエティ番組で外せない店なんだろうな。

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天ざる。
美味しいそばだった。

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そば処 東雲(しののめ)

そば処 東雲(秦野)/食べログ




みかん、野菜が豊富に並んでいた。
ウチもかなりの野菜とみかんを買った。

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柿の木。

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1219年(建保7年)、鎌倉幕府三代将軍の実朝公は鶴岡八幡宮の大銀杏の影から
甥の公暁に暗殺された。
御首を得た公暁は三浦義村の家来に討たれ、御首の行方も不明であったが、同家来
の武常晴らが見つけ、この地に運び埋葬し供養したといわれている。

源実朝公御首塚(みしるしづか)。

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暗殺された実朝公の御首は鎌倉より運ばれ、この寺に持ち込まれた。
そして、近くに埋葬し、供養の木造の五輪の塔を建て、寺名は実朝公の法号「金剛寺
殿」にちなみ、金剛寺とした。

大聖山 金剛寺。

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この寺は間口は狭いのだが、奥は広大で驚いてしまった。
こちら、本堂には源実朝像が安置されているが、非公開…。
金剛寺本堂。

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源実朝公御首塚~なぜ、秦野にあるのか~/北条高時ブログ

源実朝 wikipedia

金剛寺 wikipedia





県道70号秦野清川線へ。
第二東名の高架下をいく。

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蓑毛バス停の先。
いつも気づかずに通過するばかり…。
大日堂、仁王門。

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大日堂は宝蓮寺(大日堂諸堂を管理しているお寺)縁起によると奈良時代の「天平14
年(742年)聖武天皇勅願所として大日堂を建立し」とあり、「翌15年行基や良弁僧正
の努力で蓑毛大日堂に五智如来が造立された」とある。
良弁、行基とも東大寺大仏殿の創建に尽力した。
行基は近鉄奈良駅の地上の広場に銅像が建てられ、待ち合わせ場所として有名であ
り、おそらく、多くの奈良県民は行基を身近に感じている。(…そのはず。)
良弁は言わずと知れた大山寺の開基といわれている。

その後。
相模の国分寺は当初、海老名国分にあったが、奈良時代の平地仏教が平安時代の
山岳仏教に変移すると、元慶2年(878年)頃、海老名より大住郡の蓑毛に移り、
大住郡の国分寺で相模の国の政治の祈祷や祭式が行われたと推論されている。

仁王門は江戸時代末期の建立と言われているが、傷みがひどく、改修費用の寄付を
呼び掛けている。

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仁王像。
なかなか、睨みをきかせている。

こちらの二王立像は平安時代後期(12世紀半ば)の作とされ、秦野市の重要文化財
に指定されている。

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本堂「大日堂」を。

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家族でお参りしていた。

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木造十王像などが安置されている。
茶湯殿。

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大日堂の奥には。
御嶽神社。

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御嶽神社本殿。

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色づいた紅葉と大日堂。

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すぐ隣にあるカフェ。
山くじらコーヒー。

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店内はこんな感じ。
掃除が行き届いている。
居心地良い♪

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暑かったのでアイスコーヒーを。

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山くじらコーヒー

山くじらコーヒー(秦野)/食べログ






店を出たら。
思わずパチリ。

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昭和55年(1980年)初夏。
山をやっていた若かりし頃、ハイキング気分で塔ノ岳に登り、蓑毛を目指して下山したら
この道にでた。
金目川蓑毛橋のところに降りてくる道路「柏木林道」。
「柏木林道」を登るとヤビツ峠へ抜ける。
途中で分岐していて、「蓑毛越」をいくと大山山頂あるいは、大山阿夫利神社下社へ
至ることから、西側からアプローチする裏参道である。

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金目川(下流では花水川)はこの辺りの春岳山(はるたけやま)(標高949m)が源流。

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神奈中バス、蓑毛バス停。
昭和55年(1980年)5月、ここからバスで秦野駅へ向かった。
いや、当時は「大秦野駅」だった…。
昭和62年(1987年)3月に「秦野駅」に改称された。

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「小蓑毛の鳥居」。

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学生時代からずっと不思議に思っていたが、昨年10月、ようやく鳥居に立ち寄った。
50年間も不思議だと思いながら通り過ぎていたが、ちゃんと見ることができた。

秦野へ♪ 2021.10.09




246下り…。
こんなにも渋滞が慢性化していることに驚いた。
善波トンネルは伊勢原市側から渋滞がはじまり、秦野市ではほぼ全線がノロノロ…。
渋沢駅を過ぎると、動かない時間が増える…。
渋沢駅周辺の246沿いは無電柱化が進んでいて驚いた。
そういえば、愛甲石田駅周辺も246沿いは電柱がなくなっている。
日本中の電柱をなくすには300年かかるという説があるが、1,500年かかるという説
も出てきてガックリ…。

そして、新東名新秦野インターからの合流はイライラするほどの状態…。
その先、蛇塚交差点を過ぎた辺りから普通に動き出す…。
約10kmほどの大渋滞…。

そういえば、Fヨコの道路交通情報では「蛇塚」が連呼されることが増えてきた。
その正体を見た思いだが、なぜ渋滞が発生するのか…。
東名大井松田~御殿場間の工事による迂回が原因なのか、はたまた、新秦野インター
が原因なのか…。
なんなのか…。
小田急線撮影ポイントへのアクセスもクルマは断念するしかないのか…。
東名で何かあったのかもしれない…。

そういえば、蛇塚交差点手前にある「みや古食堂」。
コロナ禍の最中、先代の死去により閉店…。
あのトラック野郎御用達の食堂の閉店…。
このエリアは小田急線の撮影ポイントが点在していて、「鉄ちゃん」も利用する店。

再開を求める声が大きくなった。
そんな「みや古食堂」は昨年12月、孫娘さんと常連さんの協力で再開した。
今日も大型トラックが20台近くとまっていた。

みや古食堂(渋沢)/食べログ

みや古食堂/J:COM





246下りの渋滞で名古木交差点から1時間15分かかった。
246向原東交差点にて。
ここから旧道(旧246)へ。

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旧246。
これが大動脈246だったことが信じられない…。
確かに、ここへ来ると途端にノロノロになったものだ…。
今は生活道路に戻った。

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大野山♪ 2015.10.24




駅前ロータリーはできない立地。
よって、駅近ロータリーが作られていて、送迎車やコミュニティバスが出入りする。
ロータリーから徒歩1分で東山北駅へ。

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2019年3月から「TOICA」が利用できるようになった。

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JR東海御殿場線、東山北駅。
1面1線の簡素な駅。
昭和31年(1956年)12月、住民の請願によって新設された国鉄の駅。
同じく御殿場線の相模金子駅も同時に開業した。
昭和45年(1970年)、県立山北高校が駅近くに移転してきたことから、多くの高校生
の通学の足として利用されるようになった。
1日平均乗車人員は800人弱と、お隣の山北駅よりも200人ほど多い。

東山北駅 Wikipedia



ホームから見た向原地区の様子。
典型的な「農村」といった風景だったのだが、2、30年前だったか、マンションが出現。
すっかり、この町に定着した。

下の平地を走っていた246は数年前に高架の山北バイパスとなり、御殿場線と同じ高さとなった。
向こうの山の中腹には東名の左ルートが走っていて、カーチェイスの現場を見る思い。
旧246は農家やマンション住民の大切な生活道路として当時の面影のまま残った。

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松田駅方面、東をのぞむ。

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大野山がよく見える。
東名もくっきりと。

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普通沼津行き、313系。

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多くの乗客が下車した。

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後追い…。

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相変わらず、246下り線は蛇塚交差点を先頭に渋滞していた。
見ていても気の毒なほど。

蛇塚交差点付近にはこのような看板があちこちに。
そう、昨年2021年8月の大雨…。
国道135号は米神付近で土砂崩れにより通行止め…。
同じころ、松田町神山の県道710号は近くを流れる川音川の増水で地盤が削られ、
片側1車線の道路が約30メートルにわたって崩落した。
あの小田急線撮影ポイント、第一川音川橋梁の目の前…。
門屋畜産南側の辺り…。
県道710号は付近が通行止めとなっており、復旧のめどは立っていないと報じられた。

あれから1年3ヶ月…。
まだ、復旧工事中で通行止めとは…。

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2021年8月15日のTVニュース。
県道710号、松田町神山地区の道路崩落現場。
道路の向こう側に門屋畜産が見える。
第一川音川橋梁付近の水位が上がっているのが一目瞭然…。
川音川増水及び線路点検のため、小田急線秦野~新松田駅間で一時運転見合わせ
となったが、この時間は運転再開された電車が見える。

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246下りは相変わらず渋滞、渋滞、渋滞…。
蛇塚交差点を先頭に渋沢駅付近は動いていなかった。
善波トンネルもひどい渋滞だったが、その後は普通に流れていた。
246下りが壊れているのを見て、愕然とした…。

新東名に乗ろうかと考えたが、246上りは順調なので、このまま自宅まで。




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