シモキタ♪
★シモキタ♪
晴れ♪
暖かかった♪
コロナ第8波も収まってきた…。
久々にシモキタに。
下北沢駅といえば、陶板レリーフ「出会いそして旅立ち」(2019年、宮永岳彦作)。
早速、歩き出す。
2011年、恵比寿にオープンした頃からのファンでもある。
最近、各地に店を出して元気な猿田彦珈琲。
店内もテラス席も満席…。
いつも通り過ぎていたのだが。
「中華そば 一龍」へ。
11:30、まだ行列ができていない。
福井県の敦賀気比ラーメンといわれるもの。
中華麺。
チャーシュー麺。
この後、1時間後に通りかかったら、すごい行列だった…。
・一龍(下北沢)
・一龍(下北沢)/食べログ
一龍のまん前。
デトール・ア・ブルーエ。
ウチの近所にもあるのだが、ここはつい立ち寄ってしまう。
品揃えが豊富で面白いのだ…。
バレンタインデー近し…、チョコレートコーナー。
最近は義理チョコは廃れてきて、なくなりつつあるとか…。
義理チョコが衰退するとは…。
羨ましい現象…。
現役時代は義理チョコのお返しに辟易していたので、なくなればいいと思っていた。
「スカンジナビアン フォレスト」のこのタイプを探していたので。
つい買ってしまった…。
店を出たら、一龍の2軒隣のインドカレー「NAN STATION」は長い長い行列。
「東洋百貨店」。
駅前エリアへ。
ん、なんだ、あのビル…。
オオゼキのビルがおかしなことに…。
小田急の駅前…。
不思議なオーラが…。
なぜか…。
小田急の駅前は混沌とした状態のまま…。
いつまでも手つかずのまま…。
昔はココを通勤電車で通っていたのだが…。
・下北線路街
下北線路街はどんどん変貌しているのに…。
ここは手つかず…。
ま、シモキタらしくていいけど…。
なんというデザイン…。
スーパー「オオゼキ」は健在…。
ま、本多劇場を…。
ミカン下北。
京王井の頭線高架下に出現した。
・ミカン下北
東洋百貨店も出店していた。
2Fは高架のすぐ下。
この居酒屋「下北六角」は雑誌のシモキタ特集で紹介されていた。
美味しそうな店だなと思っていたら、すごい行列ができていた。
いつもの南口商店街へ。
そこにある鳴門鯛焼きを食べたら、正統派の鯛焼きが美味しかった。
いいね♪
最近流行りの「パンの田島」下北沢店は閉店していた。
ほっとする光景。
庚申堂。
代沢へ。
行列のできる店がつづく。
この近くの「なすおやじ」はさらに長い行列だった…。
小田急線下北沢2号踏切だったとこから3号踏切を望む。
線路跡地が公園になっていた。
下北沢3号踏切だったとこ。
47年前…。
昭和52、3年ころ、社会人デビュー。
会社の同期が数人、この辺りに住んでいた。
地方出身者はこのエリアや中央線エリアに住みたがった。
土日、僕は東横線妙蓮寺の自宅からクルマを飛ばして同期の友人らの家に遊びに
きていた。
綱島街道や環七が身近な存在だった。
まだ週休二日制ではなく、隔週週休二日制がはじまったころ。
上の写真の3号踏切の左側にKさんの下宿があった。
女性オンリーの下宿で大家さんの了解をもらった男性しか入ることが許されなかった。
結局、Kさんは大家さんが勧める超エリート男性とお見合い結婚した。
3号踏切から2号踏切、下北沢駅方面を。
小田急線が地上を走っていた頃、毎朝超混んでいた。
特に、成城学園前駅~下北沢駅間が最も混雑していた。
そして、下北沢駅到着前に前の各停などが詰まっていて、この辺りはノロノロ…。
つり革につかまるのに必死の形相で耐えていたのがこの3号踏切だった。
ウチが横浜から小田急線エリアに「移住」したのは昭和59年(1984年)。
東横線や横須賀線での通勤もハードだったが、小田急線はさらにきつかった。
そう、東横線や横須賀線はせいぜい30分の乗車。
ところが、小田急線は1時間も乗って新宿着…。
そんな過酷な通勤は昭和59年(1984年)から始まり、60歳定年となる、
つい最近までの28年間つづいた。
定年後の再雇用は憧れだったハマ線沿線にしてもらった…。
ウチが小田急線エリアに移住した頃、小田急線和泉多摩川駅から世田谷代田駅間で
は高架や複々線化のための用地買収が始まった頃。
つまり、小田急線は普通に地上を走る路線だった。
踏切の多い路線でもあったので、踏切渋滞も見つめていた。
毎朝、毎朝、その進捗を見つめながら通勤した。
反対運動のノボリも増えてきたし、用地買収の成果も見えてきた。
僕が定年間近になる頃には今の高架&複々線になってきて、最後まで反対していた
住宅やアパートも撤去された。
最後に残されたのは世田谷代田駅から下北沢駅、東北沢駅の地下化だった。
そんな地下に潜った小田急線の跡地利用は興味深かったが、コロナ禍で混沌と
してしまった。
でも、そろそろ最終章に…。
朝、電車の進行方向左側に立っていたことが多く、これらの風景を毎朝見ていた。
下北沢2号踏切方面を。
下北沢2号踏切の近くに個人タクシーをやっているお宅があった。
毎朝、決まった時間にタクシーが戻ってきていた。
東北沢駅~下北沢駅~世田谷代田駅間の全長1.7kmの線路跡地を開発して
誕生する「下北線路街」。
世田谷代田駅へと線路跡地の街を歩いた。
・下北線路街
蝋梅(ろうばい)。
ちょっと見たことのある路地…。
線路街から寄り道。
世田谷代田駅から取引先に向かう途中、デイリーヤマザキがあった。
よく立ち寄った店。
この先、当時は地上に小田急線が通っていて、駅を跨ぐように跨線橋があったと記憶。
しかし、突き当たりには見慣れない建物が…。
※追記(2023年4月22日)
NHKブラタモリ、下北沢を見ていたら、タモリさんが30代前半に数年間ここに住んで
いたとのこと。
このエリアにはキャンディーズのミキちゃんも住んでいたと…。
当時のマンションやこのコンビニが出てきた。
このコンビニ、昔はサンカツ酒店という酒屋さんだったとのこと。
ダイニングバー「合心酉庵」。
焼き鳥などのメニューが。
「由縁別邸 代田」。
箱根芦ノ湖温泉の源泉を運んでくる温泉旅館。
・由縁別邸 代田
ここを電車が通っていたことが信じられない…。
世田谷代田駅、裏手に東口がある。
駅前ロータリー。
向こうには地上に出た小田急線が見える。
環七。
昔、地下に潜った世田谷代田駅から地上に出たのはこの辺り。
ここから先ほどのデイリーヤマザキ前を通って取引先へ歩いたものだ。
さて、戻ろう。
下北沢の踏切地蔵。
下北沢2号踏切の脇に立っていたことから、そう呼ばれていた。
ここは踏切事故が多かったことからお地蔵さんが建てられた。
お地蔵さんが建てられてから、踏切事故はピタリとなくなったという。
・踏切地蔵(下北沢)
庚申堂のとこへ出た。
この姿、いつまでも残ってほしい。
お茶がしたい…。
ここはいつも長い行列ができるパンケーキの店。
この辺りもコーヒーがのめる店が多い。
「BAGEL CAFE 88」へ。
ベーグルとホットコーヒーを。
美味しかった♪
京王井の頭線、下北沢1号踏切を通過する吉祥寺行き、1000系。
同じく渋谷行き、1000系。
下北沢駅に停車中の急行 渋谷行き、1000系。
京王井の頭線高架下のミカン下北へ。
「下北六角」の行列は解消していた。
いいね♪
代沢三叉路交差点に面している「パティスリー KOZU」へ。
いちごのロールケーキを♪
小田急線の改札口。
「京王 井の頭線は入場できません」の看板。
きっと間違いが多いのだろう…。
地下2F、1番線ホームを青いロマンスカー特急御殿場行き「ふじさん5号」が通過。
久々のシモキタ♪
小田急の駅前はそろそろ整備されるのか…。
楽しみにしたい。
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