内子、しまなみ海道で尾道へ♪
★内子、しまなみ海道で尾道へ♪
晴れ♪
暑かった。
昨日の大雨がウソのような晴天♪
朝食はバイキング形式で満足。
まずは、ホテルの近くで鉄分補給…♪
踏切の向こうには松山駅高架化工事が進捗していた。
予讃線松山駅1番ホームから今治方面へ50mほどにある南江戸踏切。
左には松山駅の1番ホームが見えた。
今治方面からの下り各停松山行き、7000系。
岡山行き特急「しおかぜ」・高松行き特急「いしづち」、8000系が通過。
後ろはアンパンマン列車。
伊予鉄路面電車。
伊予鉄路面電車、道後温泉行き。
改札を入ったら、1番ホームには岡山行き特急「しおかぜ」&高松行き特急「いしづち」、
8600系がいた。
そこへ、松山止まり特急「宇和海」が入ってきて、折り返し宇和島行き特急「宇和海」
となった。
なんと、この1番ホームは北側は岡山・高松方面の列車、南側は宇和島方面の列車が
使用するのだ。
この全国唯一の珍風景を「特急の寸止め縦列駐車」というらしい。
ん、縦列停車かな…。
宇和島行き特急「宇和海」。
2000系気動車。
宇和島行き特急「宇和海」、2000系気動車に乗車。
3番ホームに宇和島方面からの各停松山行きが到着した。
キハ185系3100番台気動車。
松山駅を出発して5、6分で松山運転所という車両基地があった。
いろんな車両が並んでいて壮観。
松山の平野部から次第に山間部へ。
かなりのスピードで走り、30分ほどで内子駅到着。
山あいの駅。
宇和島に向かっていく特急「宇和海」を後追い。
各停松山行き、国鉄キハ54形気動車。
駅構内には秋川雅史コンサート、内子座文楽のポスターが。
驚いたのは、この駅に降り立ったのは3組7、8人で、ほとんどがインバウンドの方。
中国や香港、台湾からかと。
彼らも個人旅行でピンポイントで観光地を旅するようになったのかと感慨深いものが。
これからも少人数での旅行をと…。
駅前にはC12がいた。
金毘羅灯篭(常夜灯)。
この灯篭は天保2年(1831年)に商家の方たちの尽力で建立された。
四国八十八ヶ所参りのお遍路さんや金毘羅参りの人たちがたくさん泊まり、
その人たちの道しるべとなっていた。
22年ぶりの内子座へ。
大正5年(1915年)、大正天皇即位を祝って創建。
歌舞伎、人形芝居、映画、演説会会場として活用したが、戦後、1階升席を撤去して
椅子式に改造、映画館的色彩を強めた。
昭和60年(1975年)復元工事が完成した。
大きな廻り舞台であることがわかる。
また、升席が存在感をもつ。
奈落。
22年前には全部見ることができたのだが…。
昨日の大雨により浸水してしまい、階下へは降りられなかった。
壮観。
廻り舞台、花道と本格的。
今年秋頃からは改修工事のため4年間閉館となる予定…。
ぎりぎりセーフだった…。
・内子座 Wikipedia
・内子座/内子さんぽ
・内子座/内子町
22年前、2001年8月に訪れたとき、七夕まつりが開催中だった。
内子町の散策へ。
商いと暮らし博物館。
内子町は木蝋、生糸が特産品。
郷土の偉人としては大江健三郎、日商(後の日商岩井、現、双日)創設者の高畑誠
一、日本のビール王といわれた高橋龍太郎(大日本麦酒、後のアサヒビール、サッポロ
ビール)。
そして、わが母校 神奈川大学の創設者である米田吉盛などがあげられる。
当時の商家の朝食。
一汁一菜といわれるが、ご飯と味噌汁、漬け物だけ…。
八幡宮。
栗饅頭の坂見輝月堂。
内子町の町並み保存地区へ。
僕は全然覚えていないが、22年前に訪れたことをママは記憶していた。
大森和蝋燭屋。
店内には色々な和蝋燭が。
1本だけ買い求めた。
和蝋燭の作業場。
道祖神。
町並み。
本芳我家住宅。
芳我家の本家。
庭園に入ることができる。
赤いポスト。
上芳我邸。
木蝋生産で栄えた商家で現在は木蝋資料館として見学できる。
贅を尽くした客間。
階段箪笥。
中庭から。
蕎麦、下芳我邸。
地元のお客さんや観光客で、ほぼほぼ席は埋まっていた。
じゃこ天蕎麦。
アシタバの天ぷらかな、美味しかった。
ママは焼き豚玉子飯セット。
美味しかった♪
・下芳我邸
・下芳我邸(内子)/食べログ
内子駅から松山行き特急「宇和海」に。
松山駅では岡山行き特急「しおかぜ」・高松行き特急「いしづち」と同じ1番ホームへ。
ここから特急「しおかぜ」・「いしづち」に乗換えた。
で、思ったのだが、宇和島側と高松側って別の特急券が必要になるのは…。
ちょっと気になった…。
この「特急の寸止め縦列駐車」は来年の松山駅高架化によって解消されるとか…。
瀬戸内海の青い海~♪
今治駅で下車。
駅前から高速バス「しまなみライナー」福山駅前行きに乗車した。
中国バスだった。
来島海峡第三大橋。
昨日とは打って変わって最高の晴れ♪
伯方島BS。
なんと、インターを降りて、一般道沿いのバス乗り場にBSがある。
大三島BSも同じタイプで一般道沿いにBSがあった。
待合室があって、2、3人が乗車してきた。
井口島へ渡る多々羅大橋。
瀬戸内海。
因島大橋BSに停車するとき、尾道方面への乗換えをアナウンスしていた。
聞き流したわけではないのだが、その先でも尾道方面のバスに乗換えができるのかと思った。
尾道で降りたいのだが、しまなみライナーはこの先、福山駅前まで行ってしまう。
向東BSで下車するとき、尾道行きに乗換えられるのかと尋ねたら、因島BSでしか
乗換えできないとのことだった…。
内心ほっとした。
尾道行きに乗換えられるという甘い誘惑にくらっとしていたのだが…。
ホントは向島から尾道への渡船フェリーに乗りたいのだ…。
もう1組のお客さんも下車した。
・しまなみライナー/中国バス
外の世界に出るとこにイノシシ侵入防止のために扉を閉めてくださいと…。
そういえば、他のBSでも同じ看板が見えた。
こんなとこでも、イノシシが出るのか…。
高速は高架となっていくが、こちらの歩道は緩やかな下り坂。
キャリーバッグも苦じゃない…。
国道317号二番潟交差点を渡って西へ。
「ユーホー」の看板が見えてきたので、東西橋交差点から川沿いの道路へ。
途中、何かしらのモニュメントか…。
戦争の匂いを感じた…。
案の定、戦時中の向島捕虜収容所跡地を示すモニュメントだった。
尾道の街が見えてきた。
尾道水道の向こうに千光寺が見えてきた。
尾道側から客を乗せて渡船(フェリー)「にゅう しまなみ」が向島の桟橋に着いた。
おのみち渡し船(株)の向島~尾道航路フェリー。
全日 6:00~22:00。
大人100円、小人50円、自転車、バイクを一緒に乗せる場合は10円加算。
自動車航送は3m以上~4m未満 120円、4m以上~5m未満 130円。(運転者1名分の運賃含む)
なお。
福本フェリーの場合は尾道駅に近くなり、大人60円、小人30円。
1/1と日曜日は運休なのだとか。
また。
このフェリー乗り場は大林宣彦監督の「新尾道三部作」の2作目の作品「あした」の
舞台となったとこ。
後で知ったのだが、この近くに当時のロケセットが移築されているとか。
・あした(映画) wikipedia
フェリーが着岸し、本土側からの乗客が下船してきた。
全員下船したので、こちらの乗船開始。
バイクが2台、チャリが数台、人は3人。
人は右側の「船室」で座ることができる。
5、6分ほどで本土、尾道へ。
こちらは尾道駅まで徒歩10分ほどと離れているが、高速を走る「しまなみライナー」
の向東BSから徒歩でフェリー乗り場につながるので、今回はこちらにした。
全員下船した後、尾道側からの乗客、バイクなどが乗船。
乗船終了後、すぐ出航する。
24年前、1999年(平成11年)に千光寺から眺めた尾道の街と向島。
その光景の中で渡船フェリーの存在が光っていた。
眺めている間にも何回となく往復する。
次はフェリーに乗りたいと…。
今回、マップを眺めまわしていたら向東BSからは徒歩でフェリー乗り場まで
歩ける距離のように思えた。
・向島~尾道渡船フェリー/尾道まちかど広報室
渡船フェリーを降りたら、こんな光景。
渡し場通りと。
暑い。
お茶でもしたい。
「ティールーム リオ」へ。
店内には絵画が何点もかかっている。
尾道の人たちが描いたもの。
カメラに収めたくなるような絵もたくさんあった。
レモンスカッシュを。
生き返った~。
フェリー乗り場を。
尾道センター街。
この尾道もインバウンドの人たちがたくさんいらした。
欧米系や東南アジア系の人たちかな。
尾道商店街から国道2号へ抜ける路地。
国道2号と山陽本線。
山陽本線、東尾道~尾道駅間の寺道踏切を通過する下り列車、115系。
上のほうに見えるのは宝土寺。
寺道踏切をいく上り列車、115系。
商店街。
以前は銭湯だったが、現在は飲食店になっていた。
林芙美子像。
尾道駅前から尾道水道、造船ドックを。
尾道駅。
1999年に来たときはもう少し小さな駅舎だったが…。
現在は立派な駅舎で開放的で使える駅って雰囲気。
尾道駅改札。
115系がいた。
・尾道駅 Wikipedia
おのみち渡し船(株)、富浜~尾道駅前航路。
向島行き渡船のりば。
駅の西側にあるホテルにチェックイン。
旅行支援については条件が合わないという理由で却下された。
ま、仕方ない…。
また、尾道本通り商店街へ。
土堂踏切をいく下り列車、213系。
持光寺前踏切に差し掛かる上り列車、115系。
持光寺前踏切をいく上り列車、115系。
路地から尾道水道を。
尾道水道から商店街へ抜ける路地。
お好み焼き「いけだ」へ。
肉玉、あげイカ玉を。
氷結♪
超美味しかった♪
・お好み焼き いけだ(尾道)/食べログ
持光寺前踏切は…。
この「おむすび屋 しろくま」の看板が目印。
持光寺前踏切をいく下り列車、115系。
115系でも通過するのかと気にかけなかった…。
えっ、TWILIGHT EXPRESS 瑞風が土堂踏切を疾走していった。(87系気動車)
夕暮れの尾道駅改札。
とにかく晴れてくれた♪
22年ぶりの内子、24年ぶりの尾道、10年ぶりのしまなみ海道と♪
最高の旅♪
回想…。
映画「転校生」(1982年)では一美が自転車で爆走して駆け上がるシーン。
そんな跨線橋をバックに。
1999年8月
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