四国へ♪
★四国へ♪
晴れてくれた♪
ちょっと蒸し暑い…。
台風2号の行方が気になる…。
5月29日、九州北部、中国、四国、近畿、東海と梅雨入り…。
30日には九州南部も梅雨入り…。
台風2号の行方も気になる…。
そんな最悪の状況…。
久しぶりに東海道新幹線「のぞみ」に。
出張でよく利用した新横浜駅6:17発の「のぞみ1号」…。
週に2、3回乗ったこともあるほど「のぞみ1号」のヘビーユーザーだった。
現在は品川にも停まるため、6:18発になった。
40数年もサラリーマンをやってたので、新幹線は公私ともに数百回は利用した。
圧倒的に東海道・山陽新幹線の利用がほとんどだった。
僕の両親が四国出身で、僕自身も2歳から3歳にかけての1年ほどを四国の
おじいちゃんの家に預けられていたので、四国の血が流れていると思っている。
プライベートに親子4人で四国に行ったのは1995年(平成7年)から2001年(平成13
年)にかけての夏休みに6回も出かけたが、いずれもクルマだった。
冠婚葬祭で四国や広島へ行くときは僕ひとりで新幹線利用だった。
今回は夫婦で新幹線利用ということで、費用面では厳しいことを思い知った。
飛行機にしようかと思ったが、やはり、新幹線がいい。
JR東海「会いにいく、が今日を変えていく。」 (30秒)
JR東海「会いにいこう」 feat.賀来賢人 (8分26秒)
・JR東海「会いにいく、が今日をかえていく。」♪ 2023.03.25
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早朝4時20分に起床した。
サラリーマン時代は嫌々起きていたが、今朝はすっきり起床した。
5時過ぎに自宅を出た。
キャリーバッグを転がして駅に向かうなんて数年ぶり。
町田駅でハマ線に乗換え、6時過ぎに新横浜着。
贅沢に崎陽軒のシウマイ弁当といきたいが朝食に900円は痛いので、690円の
横濱チャーハンを。
サラリーマン時代からそうしていた。
横濱チャーハンは人気なのですぐ売り切れてしまうが、早朝なので大丈夫。
向かいの上りホームは「こだま」の表示しかない…。
そう、朝早過ぎて三島や静岡始発の「こだま」しか来ない時間帯。
「ひかり」、「のぞみ」の表示が現れるのは1時間半後…。
懐かしい「のぞみ1号」の表示。
6:17時代が染み付いているが…。
1964年(昭和39年)開業からずっと「こだま」しか停まらない新横浜駅…。
2008年(平成20年)、「のぞみ」、「ひかり」、「こだま」完全停車が実現。
悲願達成まで44年間もかかった。
とにかく、関西や四国へ行くことが多い我が家としては面倒だった。
そして、肩身の狭い思いをしてきた。
最近は新横浜で乗り降りすることが「ステータス」のようにさえ…♪
「のぞみ1号」。
JR東海の車両でN700S。
ホームドアが恨めしい…。
最高~♪
行きは海側のA、B席にした。
新横浜~我が家エリア、相模川、早川、石橋、根府川、熱海と車窓からの一瞬の景観
を楽しむことができた。
いつも見ている景色が新鮮で違ったものに見える。
「727」も♪
岡山駅9:09到着。
サラリーマン時代は岡山支店の朝礼に参加したものだ。
ただし、当時は9:12着だった…。
岡山駅で下車、四国連絡の乗換えへ。
こちらは松山行き特急「しおかぜ5号」、8000系。
おっと。
国鉄急行色のキハ40系♪
津山行き、キハ47形(キハ47 47)はノスタルジーと称して国鉄急行色を採用。
やはり、嬉しい♪
北海道を旅行したときは北海道色のキハ40系を見た。
で、今日は国鉄急行色を見て感激した。
・国鉄キハ40系気動車(2代) wikipedia
津山行きの隣には四国連絡の高松行き快速「マリンライナー17号」が。
5000系。
高松方先頭車はこんな顔。
先頭車は2階建てグリーン車。
で。
ウチもグリーン席なのだが、運転席かぶりつき座席へ。
このグリーン料金は1,000円。
サラリーマン時代、「ぺえぺえ」はグリーン車は不可なのだが、この1,000円は経費で
支払ってくれた。
多分、経理担当者がグリーン席の料金とは思わなかったのだろう…。
この表示版で分かるように、1本のホームに5、6、7、8番線が同居している。
どれも、茶屋町、児島、四国、宇野方面で宇野みなと線(宇野線)、瀬戸大橋線
(本四備讃線)が使用する。
岡山駅の瀬戸大橋線ホームでは発着メロディ「瀬戸の花嫁」が流れうっとりする。
8番線の快速マリンライナーの前方には凸の形をした7番線ホームがあり、児島行き
115系がいた。
最初は単線だったが、途中で複線になったり単線になったり…。
妹尾駅に。
僕が知ってる妹尾駅はまわりが田畑で何もなかった…。
といっても、小学生から社会人1、2年生にかけてのこと…。
つまり、昭和35年から昭和55年頃のこと…。
上り快速マリンライナーと交換。
超懐かしい茶屋町駅。
といっても、こちらは立派な高架駅。
僕が知ってる茶屋町駅は田畑の真ん中にポツンとある小さな駅。
列車が到着するとシーンとしていたが、すぐにカエルのゲロゲロとミミズのジーという
鳴き声がやかましくなった。
夜行急行「瀬戸」や急行「鷲羽」などの車窓から見た光景が目に焼きついている。
妹尾駅と同じくまわりは田畑で何もなかった…。
建物といえば、農家とか普通の民家しかなかった。
学生服メーカーの看板などを鮮明に覚えている。
茶屋町駅の高架化。
なんと、昭和63年(1988年)の本四備讃線開業と同時に高架化されたのだ。
そうだったのか…。
見た目は立派になったが、存在感は…。
で。
時刻表で調べてみたら、快速マリンライナーは茶屋町駅に停車するが、四国連絡の
特急しおかぜ、特急南風などは茶屋町駅は通過し児島駅に停車する。
もちろん、特急サンライズ瀬戸も茶屋町駅は通過し児島駅停車だ。
軽いショックを覚えた。
茶屋町駅。
・茶屋町駅 wikipedia
昭和63年(1988年)、本四備讃線開業により児島駅は開業、出現した…。
出張や冠婚葬祭で列車に乗ってきた時、児島駅の存在感に圧倒されて軽いカルチャー
ショックを覚えたほど。
そう、家電量販店や商業施設っぽい建物などが車窓から見えて、賑やかさに驚いた。
宇野線ののどかな風景しか知らないのに、いきなり「街」が出現して狼狽するほど。
2013年にはクルマで児島駅に立ち寄ったが、街中の駅という印象だった。
昔は学生服の看板が多かったが、児島という土地柄かジーンズの看板が新鮮。
住所的には紆余曲折の末、倉敷市に編入されており、違和感を覚えた。
児島駅。
JR西日本とJR四国の乗務員交代。
・児島駅 wikipedia
昔、四国連絡の急行「鷲羽」にその名をいただいた鷲羽山を横目に瀬戸大橋線は
瀬戸内海へと踏み出す。
反対側の山の上には「鷲羽山ハイランド」という遊園地があり、大きな観覧車が
見える。
きっと、瀬戸内海、瀬戸大橋が一望できるのだろう。
瀬戸大橋を。
車窓から見える瀬戸内海の島々。
いよいよ、四国上陸。
高松駅手前の車両基地、高松運転所では寝台特急「サンライズ瀬戸」285系がいた。
今夜の運行に備えての留置か。
高松駅到着。
昔の高松駅の面影はない…。
国鉄一筋とはいえ列車ではなく、宇高連絡船一筋(レーダー、船舶無線)だった叔父の姿もない。
松山行き特急「いしづち」、8600系がいた。
高松止まりの普通列車、7000系。
都会っぽくなった高松駅前。
高松駅から徒歩2、3分。
玉藻公園。
高松城の石垣が美しい。
ここの堀は瀬戸内海の海水を引き込んだ平城(水城)である。
潮の干満による水位調整のための水門も設けられている。
良櫓(うしとらやぐら)。
本丸跡と二の丸跡をむすぶ鞘橋(さやばし)からは堀の向こうに、ことでん高松築港駅が見える。
ことでん高松築港駅。
琴電琴平行き。
高松琴平電気鉄道1100形電車。(京王5000系(初代))
昔、叔母や従弟たちと歩いた片原町駅、瓦町駅は下車してアーケード商店街を歩きた
かったのだが、今回はパス。
栗林公園駅で下車。
ママは来たことがないので、栗林公園へ。
栗林公園といえば飛来峰からの景色など見どころ満載なのだが、時間がないので、
ストレートに北門へ。
高徳線栗林公園北口駅へ。
高架下をくぐると稲荷大明神。
栗林公園北口駅ホーム。
高松行き、1500形。
高松駅でコインロッカーからキャリーバッグを取り出し。
次なる目的地の「うどん」を目指す。
松山行き特急「いしづち9号」に乗車。
8000系電車。
アンパンマン列車。
天井もかわいい。
四国の鉄道は瀬戸大橋開業によって大きく変貌した。
今年は青函トンネル、瀬戸大橋線開業35周年。
高松の叔父は国鉄一筋。
その中でも異色の宇高連絡船一筋の通信屋(レーダー、船舶無線)だった。
四国を訪れた際には正装して迎えてくれたもの。
いつだったか、作業着のまま迎えてくれた時はかっこよさを感じた。
官立無線電信講習所(戦後、電気通信大学となる)を卒業。
昭和30年の紫雲丸事故をきっかけに国鉄四国支社に設置された宇高船舶管理部に
採用され、宇高連絡船の安全の要、レーダー、船舶無線一筋だった。
昭和63年、本四備讃線(瀬戸大橋線)開業によって宇高連絡船は廃止され、叔父は
定年を迎えた。
その後、クルマで訪れることが多かった四国だが、出張や冠婚葬祭などでは列車で
移動するのだが。
ある日、冠婚葬祭で西条市に行ったとき、かなり高齢になった高松の叔父も一緒に
なり、帰りは同じ特急「しおかぜ」・「いしづち」に乗車。
途中、宇多津駅で僕は岡山行きの特急「しおかぜ」の車両に移動し、叔父は特急「いし
づち」のまま高松へ。
意味が飲み込めないまま、アナウンスに従った。
昔の予讃線は高松駅がすべての起点であり玄関口だったが、瀬戸大橋線開業によっ
て地政学的に四国の玄関は宇多津駅や多度津駅、坂出駅となってしまった。
このことが、僕の固い頭では理解しずらい…。
岡山駅から四国に向かう際、松山方面に行くなら特急「しおかぜ」に、高松に行くなら
快速マリンライナー、高知方面なら特急「南風」に。
尚、高松から高知方面には特急「しまんと」が出ている。
高松から松山方面は特急「いしづち」でいき、宇多津駅、あるいは多度津駅で岡山から
の特急「しおかぜ」とドッキングする。
ということで、瀬戸大橋線開業35周年にして、ようやく理解してきた。
・宇高連絡船♪ 2009.09.04
宇多津駅で岡山からの特急「しおかぜ9号」を連結する。
作業員も乗車してきて一大イベント…。
香川県の詫間駅~津島ノ宮駅(臨)~海岸寺駅間。
予讃線でもハイライトというべき美しい瀬戸内海の景観。
沖合いにある津嶋という小島が橋で結ばれていて、島には津嶋神社がある。
津島ノ宮駅というれっきとした駅があるが、毎年8月4、5日の夏季大祭の時だけ
営業する、日本一営業日数の少ない駅。
JRで、最高に好きな景色♪
晴れた日に、列車に乗って眺めると、ホントに最高の気分になるとこ♪
・津島ノ宮駅 Wikipedia
・津島ノ宮駅/海の見える駅
観音寺駅で各停の普通列車に乗換え。
伊予西条行き、JR四国7200系電車。
これは国鉄121系電車を改造・形式変更したもの。
乗換え時間3分、向かいのホームへ地下道を渡り、ぎりぎりセーフ…。
ワンマン運転。
この図のように運転席側でなく、後部ドアから乗車。
2両編成なのに、2両目の車両は回送車両ということで閉まっていた。
箕浦駅下車。
普通 高松行き7000系と交換。
町田~高松~伊予西条の連続乗車券にしてあったので、高松駅で改めて買い求める
必要がない。 細かいことだが、使い勝手がよい。
箕浦駅。
国道11号の向こうは瀬戸内海。
・箕浦駅 wikipedia
1977年(昭和52年)、社会人なりたてで伊予三島(現、四国中央市)に赴任していた
頃、高松の叔父が何回か連れてきてくれた、うどん屋「かな泉」があった箕浦駅。
月日がながれ、1999年(平成11年)、2000年(平成12年)にはママや息子たちを
連れて、はるばる800km。
わざわざ高速を降りて箕浦駅へ「かな泉」のうどんを食べにきた。
2006年か2007年に「かな泉」箕浦店が閉店し、2012年6月、跡地に「上戸うどん」
がオープン。
2012年11月には「かな泉」本体が破綻したと聞いてがっくりした…。
「かな泉」創業60周年を目の前にして…。
「上戸うどん」って、どんな店なんだろう…。
そんな思いが募ってきた。
2013年8月に訪れたら、なんと、定休日…。
当時は日曜日が定休日…。
リベンジしようと思っていたら、10年経っていた…。
現在は年中無休で6:00~14:00、売切御免。
香川県の西端で、少しいくと愛媛県に。
讃岐西端うどん「上戸うどん」。
今日は高松では時間がないを連発…。
そ、「上戸うどん」を最優先。
少しでも早く着いて、「売切御免」なんて失態だけは避けたい…。
そんな思いで店に入った。
・四国へ♪ - 1 2013.08.17
・箕浦駅のうどん♪ 2012.08.27
予讃線箕浦駅の隣で国道11号に面している。
「燧(ひうち)のいりこは日本一」とうたう「上戸うどん」。
燧灘のいりこ。
沖合10kmほどにある伊吹島の「伊吹いりこ」を使用している。
四国本土の讃岐うどんの店では「伊吹いりこ」が出汁とりなどに使われている。
13時。
国道11号に面しているので交通の便は最高。
そ、国鉄が「かな泉」を誘致したのは、この国道を走るクルマがターゲット。
箕浦駅の隣にある店だが、クルマで訪れることを見事に当てたのだ。
ランチタイムを過ぎ、駐車場には営業車らしきクルマが3、4台ほど。
後からトラックが入ってきた。
店内には5、6人の客。
テーブルも空きはじめた。
うどんはセルフで温める。
10秒温めて出し汁を注ぐ。
あれもこれも欲しくなる。
白天、えびかき揚げを。
10年以上、夢見てきた「上戸うどん」。
白天、えびかき揚げを。
最高に美味しい♪
食べログでは2017年以降、百名店を5回受賞。
・西端手打 上戸(箕浦)/食べログ
・上戸うどん番犬/twitter
箕浦駅。
島式ホーム1面2線の地上駅。
1番線は上り多度津、高松方面、2番線は下り新居浜、松山方面。
交換列車がないときは列車種別に関係なく2番線に入線する。
1日平均乗車人員はコロナ前の2019年は18人。
以前の記事を読んでいたら、1977年(昭和52年)頃の乗降客数は200人。
ずいぶん減少したものだ…。
駅舎からホームへは構内踏切を渡る。
簡素な警報機はあるが遮断機はないので、ちょっと注意…。
松山行き特急「しおかぜ・いしづち」号、8600系が通過。
普通松山行き、7000系に乗車。
新居浜駅から先、車窓の風景を…。
昭和52年だったか53年だったか、社会人1年のころ、伊予三島に赴任していたので、
西条市のおじいちゃんの家に行った帰りのこと。
伊予西条駅から東に1、2kmのとこで出火した山火事が中萩駅の辺りで最悪の状態。
行けども行けども、延々とつづく山火事…。
消防車といっても村の消防団の小さな消防車が茫然と火事を見つめている。
新居浜駅では焦げたような匂いがして窓を開けたら火の粉が降り注いできた。
数日間、延々6、7kmほども焼けた。
あのような山火事は初めて見た。
そんな昔の恐怖を思い出した…。
1時間ほどで伊予西条駅到着。
瀬戸内エリアでは岡山駅の瀬戸大橋線ホームや児島駅、JR四国では高松駅はじめ
特急停車駅の駅メロに「瀬戸の花嫁」が使われているケースが多い。
伊予西条駅の「瀬戸の花嫁」も愛着があるというか、好きだったのだが…。
なんと、秋川雅史の「千の風になって」に変更されていた。
ま、西条市出身のテノール歌手だから…。
駅メロだけじゃない、ホームにあった「うちぬき」も撤去されていた…。
バリアーフリー工事に伴い撤去されたとか。
なお、当駅の1日平均乗車人員はコロナ前で1,500人ほど。
乗降人員では3,000人ほどか…。
いいね♪
駅を出てすぐ。
鉄道歴史パーク in SAIJOへ。
入館と同時に署名のお誘い。
NHK朝ドラで土佐の牧野富太郎先生「らんまん」が好評。
だったら、同じ四国の伊予の名士といえば、我が十河信二国鉄総裁。
てことで、朝ドラに十河さんをとの署名運動。
もちろん、快諾した。
四国鉄道文化館 北館。
忘却の彼方にいってしまった急行「うわじま」、急行「土佐」のヘッドマーク。
今回、松山から先へ行くときに乗ったのは特急「宇和海」だった。
そか、「うわじま」じゃないのかと怪訝な思いで乗った。
0系。
新幹線の原点である0系新幹線。
DF50 1。
DF50形ディーゼル機関車「1号機」。
駅を跨ぐ跨線橋を渡ると、四国鉄道文化館 南館へ。
フリーゲージトレイン(第2次試験車)が屋外にある。
左に見えるのは、カーバイト庫。
円筒形の給水塔も右手のほうにあるのだが…。
どちらも、大正10年(1921年)の開業時からのものだとか。
亡くなった父のアルバムにはこれらの写真が残っている。
カーバイト庫のまわりには職員詰所なのか大きな建物がたくさんあったのだが。
DE10 1。
DE10形ディーゼル機関車「1号機」。
いよいよ♪
キハ65 34。
キハ65形急行用気動車「34号」。
1年間、四国のおじいちゃんの家に預けられていた3歳の僕は身も心も四国の子。
そんな僕を東京へ連れ戻す時、おばあちゃんも一緒に乗るんだよと言っていた列車は
蒸気機関車だった。
その蒸気の顔は今でも覚えている…。
だからか、今もSLは好きじゃないというか、拒否反応…。
三つ子の魂百までも…。
その後、小学生から高校生くらいまではキハ58系の急行だったと思う。
高校生、大学生の頃はキハ65形気動車の急行に変わっていた。
そして、いつの間にか特急になっていった。
キハ65形車内。
C57 44。
コカ・コーラ瓶♪
昭和のコカ・コーラを飲みながら昭和のキハ65を。
・鉄道歴史パーク in SAIJO
駅を。
各停松山行き、7200系。
そ、JR四国の駅では行先表示板に「各駅停車」と表示されていた。
せとうちバス、新居浜駅行き。
恐れていたこと…。
ご多分に漏れず伊予西条駅の周辺はこれといった飲食店がない…。
昔は賑わっていた商店街は寂れてしまって、見る影もない…。
クルマで産業道路、バイパス沿いに行けばなんでもあるのだが…。
30分ほど駅前散策を兼ねて歩いてみたが…。
駅前にあるのはホテル、コンビニなど普通の光景。
そして、やたらと斎場が軒を連ねていた。
ちょっと驚いた…。
駅前ロータリー前の「焼きとり 紬(つむぎ)」へ。
宿泊するホテルの真ん前だし。
生~♪
美味しい♪
焼き鳥などを。
美味しかった。
ママはシャケじゃなかった鮭茶漬けを。
僕は玉子かけご飯を。
伊予西条駅前で道路を渡ったとこのホテル。
新しいホテルができたのだ。
僕が中学生のときに撮った昔の写真では個人経営の医院だったとこ。
その隣は第一生命のビルで、今も続いている。
旅行支援は枠オーバーということで適用なし…。
こちらの新しいホテルにしたのは、大浴場があるってことが決め手。
大浴場、やっぱり気持ちよかった。
中学生の頃に撮った写真だから、昭和44年(1969年)頃。
54年前…。
この夜、TVでは中国・四国地方の大雨予報のニュースばかり…。
特に四国は雨量300mmを超える線状降水帯が襲うみたいな嫌な情報…。
いちばん恐れていたこと…。
でも、台風2号の心配はなくて、日本列島をそれて太平洋上を北上するらしい。
ただし、台風の影響で前線が刺激されて大雨とのこと…。
夕刻から雨が降りはじめ、次第に本降りに…。
明日はどうしよう…。
そんな悩ましい夜だった…。
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