東海道新幹線60周年♪
★東海道新幹線60周年♪
どんより…。
涼しい…。
台風17号の影響か風が強い…。
■
昭和39年10月1日、1964年10月1日。
夢の超特急、東海道新幹線が開通した。
新幹線開業60周年♪
「夢の超特急」も還暦をむかえた。
今朝、東京駅19番ホームでは6:00発「のぞみ1号」の出発式が行われた。
60年前の開業日に「ひかり1号」が出発したのと同じ19番ホーム。
我が愛媛県が生んだ偉大な存在、第4代国鉄総裁で新幹線の父 十河信二。
そして、新幹線の生みの親である嶋秀雄技師長の名を思い起こす。
それまでは在来線の特急「こだま」は東京~大阪駅間を6時間半かかっていた。
ま、僕たちが四国へ行くのに24時間ほどかかったのだから…。
国鉄151系電車が鉄道史上初のかっこよさを振りまいた。
クリーム4号と赤2号の塗色は「国鉄特急色」として全国に広まっていった。
日帰り出張できる「ビジネス特急」ともてはやされ、往復13時間かかることを躊躇せず
に連日満席だったとか。
そして、「夢の超特急」開通により東京~新大阪駅間を4時間でむすんだ。
その翌年からは3時間10分時代が長くつづき、僕の脳裏には「3時間10分」が刻まれ
ている。 内心、10分削れよと思っていた…。
今では2時間21分という信じられないような速さ。
東海道本線は東京~神戸に対して、東海道新幹線は東京~新大阪ということで
ちょっと戸惑った記憶がある…。
当時。
なんでもかんでも東京オリンピックに照準をあわせた…。
首都高や羽田空港へのアクセス・東京モノレールから箱根の有料道路などのインフラ
整備やあれもこれも…。
そして、極めつけはオリンピック9日前開通の東海道新幹線。
僕にとっては東海道新幹線=新横浜駅という関係だった…。
「大倉山トンネル」を出た「ひかり」は僕らの大綱小学校すぐ脇の高架をスピードを
緩めずに通過した。
新横浜駅に到着する「こだま」はゆっくりと。
大綱小学校は綱島街道と東海道新幹線に挟まれ騒音問題…。
大正時代に建てられた木造校舎なので…。
横浜市は人口が急増していて、グランドにプレハブ校舎を建てたり、二部授業が行われ
たり、次々に分校がつくられたりした。
騒音や排ガスなどの環境悪化で移転を余儀なくされた…。
・大綱小学校♪ 2018.09.23
・梅雨の晴れ間に…新横浜♪ 2018.06.22
両親は四国出身で親戚は関西にも多くいるので、なにかと新幹線を使った。
当時、「ひかり」は通過して「こだま」だけ停車するローカルな新横浜駅。
昭和51年(1976年)に「ひかり」が1日1往復だけ停車。
我が家では四国や関西に行くには「こだま」で名古屋まで行き、「ひかり」に乗り換える
という面倒なことをしていた…。
そんなことを昭和60年まで20年間もしていた…。
昭和60年(1985年)には1日3往復停車し、その年には毎時2本停車にまで拡大。
毎時2本停車をきっかけに我が家でも「ひかり」乗車が当たり前になった。
平成4年(1992年)、「のぞみ」下りの一部が停車(当時、名古屋、京都通過)。
平成8年(1996年)、「のぞみ」上りも一部停車。
平成20年(2008年)、「のぞみ」、「ひかり」、「こだま」全車完全停車♪
なんと東海道新幹線開業44年にしての悲願達成。
昔は新横浜駅で乗車、下車するのが「田舎者」に見られるようで恥ずかしかったが、
最近は逆に「ステータス」かもと思っている。
サラリーマン時代。
とにかく、東海道新幹線や山陽新幹線は頻繁に乗った。
サラリーマンを40年以上もやってると、軽く見積もっても数百回は出張している。
月に2、3回、いや、週に3回なんてことも。
平成になってからは「のぞみ1号」の常連だった…。
新横浜6:17発(現在は品川停車で1分遅れの6:18発)。
4時半起きのご褒美に崎陽軒のシウマイ弁当とか横濱チャーハンを奢った。
そして、大阪、岡山、広島まで爆睡。
御堂筋や岡山の支店への臨店だったら、そのまま朝礼にも参加していた。
最近、「のぞみ1号」より7分早い品川始発の6:00発「のぞみ99号」の存在を知った。
サラリーマン時代の子育て時代の旅行はどこに行くのもドライブだった。
やはり、コストの問題…。 荷物もすごいし…。
定年後の夫婦の旅行はドライブか新幹線などの電車で行くか悩みは尽きないのだが。
どちらもそれぞれ良さがある。
新幹線&レンタカーの四国・しまなみ海道・尾道・鞆の浦旅行。
JAL&レンタカーの北海道道東旅行。
マイカーでの奈良旅行。
どれも良かった。
昨年は夫婦の旅行で四国・しまなみ海道・尾道などへ「のぞみ」に乗った。
我が家では毎年旅行しているが新幹線での旅行は40年ぶりだった…。
今年は四国や関西での冠婚葬祭で「のぞみ」利用をしているが、楽しい旅行で利用したいものだ。
新横浜駅4番線ホームからは篠原口ののどかな風景が見える。
篠原口は新横浜駅開業当時のまま…。
新横浜駅正面口の発展ぶりとは大違い…。
新大阪行き「のぞみ」、N700S。 2024年2月
開通から6年後、1970年撮影。(高2だった。)
「0系」の雄姿。
大倉山トンネルに吸い込まれる上り東京行きを後追いか。
むこうに見えるのは梅宮アンナも通った今はなき東横学園大倉山女子高校。
0系の独壇場が21年間つづき、100系、300系、500系、700系、N700系、
N700A、N700S系と。
300系がいちばん好きかも♪
500系は心躍る車両だったが、窓ぎわの席は窮屈な印象だった。
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JR東海の東海道新幹線60周年特設サイト
このイラストが楽しい♪
JR東海のTV-CM「会いにいこう」とリンクしている。
新横浜駅を過ぎると5分おきに出てくる「727」の野立て看板。
大阪の727化粧品の看板は東海道新幹線の車窓では定番中の定番。
1979年(昭和54年)から45年間も見続けているのだ…。
「クリスマスエクスプレス」の牧瀬里穂、崎陽軒のシウマイ弁当、車窓からの富士山、
「シンカンセンスゴイカタイアイス」も、昔の食堂車のカレーライスは懐かしすぎる、
京都駅を出ると東寺、いつか訪れてみたい。
・東海道新幹線60周年特設サイト/JR東海
・東海道新幹線 Wikipedia
・新幹線半世紀の旅/読売新聞
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