2023/08/26

24TVマラソン2023年♪

★24TVマラソン2023年♪

晴れ♪

ギラギラ暑い…。
でも、真夏のギラギラではない…。




24TVマラソン46「愛は地球を救う」♪

チャリティランナーは当日発表ということ…。
誰だろう…??

昨年は3年ぶりに公道での開催。
そして、単独のマラソンで走るのは5年ぶりだった…。
さて、今年は…。


24時間テレビ 愛は地球を救う/日テレ

24時間マラソン自転車追跡班/twitter

24TVマラソン♪




昨年に続き、246が花を添えた。
多摩川沿いで80kmを消化して、残り20kmを246などで稼ぐ。
昨年、今年のそんなルートが定着しそうな。





8月26日(土)

19:53 チャリティーランナーはヒロミ(58歳)と発表。
      スタート地点は生田スタジオではなさそう。


20:12 スタート。
      スタート地点は日野市クリーンセンター。
      スターターはアンコウズのアビコタツヤ。
      今年の走行距離は102.3km。
      多摩川上流へ。


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20:27 石田大橋渡る
20:32 石田大橋東側の階段降り、多摩川左岸を西進
20:46 日野橋手前、立川公園南側にて休憩
20:52 日野橋くぐる
20:55 モノレール下通過
20:57 残堀遊歩橋渡る
21:03 中央本線くぐる
21:20 福島第五児童遊園休憩
21:39 八高線くぐる
22:04 拝島自然公園休憩
22:14 拝島自然公園折り返し、拝島橋くぐり八高線方面へ
23:00 中央本線下くぐる
23:06 モノレール下付近で休憩
23:18 残堀遊歩橋渡る
23:27 根川貝殻坂橋通過
23:33 サイクリングロード入る
23:35 中央道下くぐる
23:42 鴻池前通過
23:59 三屋交差点付近通過

00:01 府中市四谷高架下くぐる
00:07 八中角交差点付近通過
00:10 京王線下くぐる
00:17 関戸橋通過
00:24 南通り入口交差点付近通過
00:33 是政6丁目休憩(雨)
00:41 休憩終了
00:48 南武線高架下くぐる
00:53 府中街道是政橋渡る
01:00 稲城市大丸
01:08 府中市小柳町6丁目休憩…稲城市の中に飛び地のように存在する
01:38 稲城多摩川原交差点右折(鶴川街道)
01:40 矢野口駅下
01:42 ローソン前で休憩
01:50 休憩終了、生田方面へ
02:00 稲田堤駅右折、生田方面へ
02:16 生田スタジオ休憩
05:35 大休憩終了
05:48 稲田堤駅左折
05:55 松屋駐車場にて休憩
06:18 稲城市大丸
06:32 星野珈琲前通過
06:36 新大丸交差点通過
07:01 連光寺坂上交差点直進
07:09 向ノ岡交差点直進
07:14 鎌倉街道南下
07:20 びっくりドンキー駐車場休憩
07:29 休憩終了、町田方面へ
07:47 愛宕交番前交差点直進
07:50 カメラのキタムラにて休憩
08:00 休憩終了
08:09 多摩センター駅入口交差点直進
08:17 多摩ニュータウン通り西進
08:23 松が谷トンネル通過
08:26 八王子市入る
08:31 コスモ石油休憩
08:38 休憩終了
08:42 ブックオフの交差点右折(大栗川橋南交差点)
08:45 レッドバロン交差点右折(大栗川橋北交差点)
      野猿街道東進
08:47 ラーメン二郎前通過
08:54 中央大学南交差点直進
09:01 堰場交差点直進
09:04 松屋駐車場休憩
09:13 休憩終了
09:26 殿田橋交差点直進
09:36 日野市
09:40 一の宮交差点右折、川崎街道へ
09:42 クリエイトにて休憩
09:49 休憩終了
09:54 聖蹟桜ヶ丘駅前通過
10:02 新大栗橋交差点直進
10:23 連光寺坂上交差点直進
10:47 醫王寺(医王寺)大休憩
11:49 大休憩終了
11:52 新大丸交差点直進
12:01 マック川崎街道稲城店前通過
12:10 東長沼交差点直進
12:18 矢野口駅入口交差点直進
12:21 矢野口交差点ローソン前休憩
12:31 休憩終了
12:37 多摩川原橋交差点左折、多摩川左岸西進
12:43 河川敷沿いの道、多摩川左岸を東進
12:59 多摩川堤公園にて休憩
13:04 多摩川左岸東進
13:15 多摩川市民広場休憩
13:23 休憩終了、多摩川左岸東進  
      走行距離70kmを超えた
13:47 世田谷通り多摩水道橋くぐる 
13:51 小田急線高架下くぐり、多摩川左岸を東進
14:21 東名くぐる
14:27 駒沢大玉川キャンパス前通過
14:41 二子玉川緑地運動場駐車場脇で休憩
14:43 休憩終了
14:47 コヤマドライビングスクール二子玉川先で左折、多摩堤通り東進
14:57 246高架下左折、側道入る
15:07 瀬田交差点直進、246を渋谷方面へ
15:14 用賀一丁目交差点直進
15:19 ロイホ桜新町店休憩
15:25 休憩終了
15:51 上馬交差点右折、環七へ
16:06 野沢交差点直進
16:13 駒沢陸橋交差点左折、駒沢通りへ
16:14 日産駒沢店休憩
16:27 休憩終了
      環七内回りへ
16:36 柿ノ木坂陸橋交差点左折、目黒通りへ
16:50 目黒郵便局前交差点直進
16:54 揚げまんじゅう御門屋本店にて休憩
17:00 休憩終了
17:10 大鳥神社交差点右折、山手通りへ
17:19 かむろ坂下交差点直進
17:25 大崎郵便局前交差点直進
17:28 西五反田1丁目交差点左折、第二京浜(国道1号)へ
17:33 山手線五反田駅下通過
17:43 高輪台駅前通過
17:49 明治学院前交差点直進
17:55 清正公前交差点直進
18:02 白金一丁目交差点右折、国道1号を北東へ
18:06 魚籃坂下交差点直進
18:13 日産三田高輪店にて休憩
18:42 休憩終了、国道1号へ
18:43 ラーメン二郎三田本店前通過
18:53 赤羽橋南交差点右折
18:59 芝園交差点左折、日比谷通りへ
19:01 芝公園グランド前交差点にて小休止
19:07 増上寺付近にて小休止を繰り返しながら前進
19:14 御成門交差点直進
19:21 新橋四丁目交差点直進
19:32 内幸町交差点直進
19:39 日比谷交差点直進(引き続き日比谷通りだが、ここから国道1号)
19:48 和田倉門交差点直進
19:53 大手町交差点直進(国道1号ここまで)
19:58 首都高高架下くぐる(神田橋)、小休憩
20:00 小休憩終了
20:09 小川町交差点右折、靖国通りへ
20:12 淡路町交差点にて信号待ち
20:23 岩本町駅前通過
20:34 浅草橋交差点直進
20:40 両国橋渡る
20:41 両国二丁目交差点左折
 
20:46 両国国技館ゴール
      102.3km完走
      お疲れ様
      おめでとう♪





24時間テレビのフィナーレを飾るのは加山雄三、谷村新司による「サライ」熱唱。
2022年、加山雄三が85歳という高齢を理由に、コンサート活動から引退する
ことを表明。
楽曲完成から30周年を迎えたこの年の『24時間テレビ45』が加山最後の24時間テレ
ビでのサライ歌唱となった。
今年は加山雄三が外れ谷村新司にその大役が任されるのだが…。
今年3月、谷村新司は急性腸炎のため入院。
6月よりアリスの全国ツアーを控えていたが、ドクターストップにより休止。
年内いっぱいは治療に専念するとのこと…。
加山雄三が見守る中、出演者らにより歌われた。
時代は変わった…、そんな思いが…。





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2023/08/21

最古の不二家店舗、86年の歴史に幕…♪

★最古の不二家店舗、86年の歴史に幕…♪

晴れ♪

暑かった。




最古の不二家店舗、86年の歴史に幕…♪

横浜市で86年間、地域の人々に愛されてきた洋菓子店が20日夜、建物の老朽化に
伴い閉店した。
1937年(昭和12年)、伊勢佐木町に開店した店。
現存最古の不二家が閉店。
昭和、平成、令和と3つの時代にわたって多くの人を喜ばせてきたお店…。
ビルの老朽化により、一旦閉店するとか。
そんなニュースを見て、びっくりした。

「不二家 横浜センター店」は伊勢佐木町イセザキ・モールにあり、「ゆず」が路上ライブ
をしていた場所としても知られている。
戦後、進駐軍に接収され、兵隊さんたちの食事やお茶を飲む場所になったというから、
当時はモダンな場所だったことがうかがえる。

その不二家レストランは僕たちが高校生の時に足げく通っていた店でもある。
今から54年前、昭和44年(1969年)から3年間通った。
学校が半ドンの日、市営バスでやってきて横浜東宝で映画を観るためだった。
まずは腹ごしらえに不二家レストランでランチするのだが、必ずカツカレーを食べた。
当時、カツカレーなるものの存在を初めて知ったのが不二家レストランだった。
こんなに美味しい料理があるのかと、感嘆したものだ。

映画はジョージ・レーゼンビーの「女王陛下の007」がいちばん印象に残っている。
コロンビア大学の学園紛争を扱った「いちご白書」のキム・ダービーも可愛かったし、
印象に残っている。
「いちご白書」といえば、主題歌のバフィ・セント・メリー「サークルゲーム」を。
この曲を聴くと、不二家レストランのカツカレーの味を思い出すから不思議…。
学園紛争が大学から高校へ飛び火してきたのもこの頃だ。
大学に入ったら、もっと酷いことに…。

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2023/07/21

東海道新幹線新チャイムへ…♪

★東海道新幹線新チャイムへ…♪

晴れ♪

毎日暑い…。

昨日は中国、近畿、東海が梅雨明け。
今日は四国、北陸が梅雨明けした。
そろそろ、関東もかな…。




昨日から話題になっているニュース。
JR東海が新幹線内で使っていた車内チャイムの曲を今日7月21日から変更した。
昨日まで流れていたのは、TOKIOの「AMBITIOUS JAPAN !」の一節だった。
2003年、東海道新幹線の品川駅開業を機に採用されたもので、約20年にわたり
親しまれたメロディー。
「AMBITIOUS JAPAN!」に代わって新しいチャイムとなったのはUA(ウーア)の
「会いにいこう」。
ミュージシャンの岩崎太整氏作曲、UA(ウーア)の歌声がバッチリ。
CMでも繰り返しこの曲が流れているので、耳に馴染んできた。
車内チャイムとしては完璧な出来で気に入ってしまった。

一方、東海道新幹線にはJR西日本も乗り入れているが、こちらは同じく2003年から
鬼束ちひろの「いい日旅立ち・西へ」を採用。
この曲は今後も使われる予定なので、N700Sなど同じ系列の車両であっても、流れる
メロディーでどちらの会社の車両かわかる。

20年前といえば、いちばん出張が多い時期で毎週のように東海道新幹線、山陽新幹
線で右往左往していた頃。
「AMBITIOUS JAPAN !」、「いい日旅立ち・西へ」のチャイムはよく聴いた。

6月に四国、尾道などに行った時、どちらのチャイムも聴けたので満足していたのだが。
今度は「会いにいこう」も聴いてみたい。

昔、東海道新幹線は開業時から数年間は「鉄道唱歌」が車内チャイムとして採用されて
いたが、在来線特急(電車)も同じく「鉄道唱歌」だったのでご機嫌だった♪



JR東海「会いにいく、が今日を変えていく。」 (1分00秒)






JR東海「会いにいこう」 feat.賀来賢人 (4分14秒)




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2023/06/04

尾道♪

★尾道♪

晴れ♪

暑い。



早朝、下を走る列車の音で目が覚めた…。
といっても、そんなに大きな音や揺れでもないのだが、ホテルのすぐ脇を山陽本線が
通っている。
5時前、長い長い編成だったので、貨物列車が通過していったのかと。

ホテルは人気のようで、多くのお客さんがチェックインカウンターに並んだ。
特に若者に人気があるらしい。
ただし、朝食は数に限りがあるらしく、予約のときに避けることにした。
今回の旅行、他のホテルでは朝食をつけていたのだが、こちらでは避けた。
かなり混雑するという説明だった…。
また、旅行支援の申し出も呆気なく却下された。


なので、朝早くにチェックアウトして、駅のコインロッカーにキャリーバッグを預けた。
なんと、交通系ICカードをドアの開閉や支払いに使う方式だった。
鍵を持たなくていいし、100円玉を6個も8個も入れる必要がない。
現金支払いの場合は鍵の代わりにQRコードが印刷されたシートが交付され、
このQRコードでドア開閉をするのだとか。

最近、交通系ICカードが「使える」ことに驚いていたのだが。
身近なとこではコンビニの支払いとかショッピングモールなども買い物に使える。
たまたま、マイナポイントはSuikaで対応したのだが、小田急線やバスだけでは
使い切れないので、ユニクロやイオン、セブンなどで使った。
今日はコインロッカーにも使った。

明日の鞆の浦では鞆鉄バスでSuikaを使った。
そう、バスの小銭支払いにもたつくのでICカードの利用がホントに救世主のよう。
Suikaが地方のバスで使えるなんて、ちょっと前には考えられなかった。

Suikaが地方でも使えることに驚いた。
交通系ICカードというワードがキーワードらしい。

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駅前から国道2号沿いの商店街へ。

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昨日からしつこいくらい撮った。
下り普通列車115系が土堂踏切に。

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朝食はこちらの「パンのなる木」でパンを買った。
お隣の岡村春子商店のお惣菜や食堂もかなり美味しそうで食欲をそそったが、
パンが食べたくて。

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美味しそうなパンが並んでいた。

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店の前には尾道水道に面した公園があったので、そちらで食べた。
パンなどを食べている人がちらほら。
おのみち渡し船のフェリーが行き来していた。

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さくらホテル1Fのカフェさくら坂でホットコーヒーを買った。
パンとコーヒー、最高だった♪

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路地から商店街へ。

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千光寺前踏切をいく上り普通列車、115系。

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千光寺前踏切をいく下り普通列車、115系。

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このエリアは道祖神たちがたくさんいる。

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山陽本線の線路下にも。

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千光寺山ロープウェイ乗り場。
1999年(平成11年)8月にも乗った。

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千光寺の眺めがいい。

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山頂駅から。
昨日、高速バスを降りた向東BSから歩いた道路、ホームセンターユーホーの看板が
手に取るように見える。
すぐそこにはフェリー乗り場も。

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尾道水道。
尾道大橋としまなみ海道の新尾道大橋の2本が並行して架かっている。
手前の大きな建物は尾道市役所で、新しく開放的な市役所だった。

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市役所と手前の商店街のアーケード。

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尾道駅の対岸には造船所、ドックが並ぶ。

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「文学のこみち」へ。

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ロープウェイ。

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千光寺本堂。

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石鎚山鎖修行場へ。
24年前は家族で鎖場を登ったが、今日は見るだけにした。

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中国観音霊場第十番 千光寺。

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千光寺



「文学のこみち」を下っていく。
天寧寺の三重塔。 海雲塔とも呼ばれている。

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眼下には下り普通列車、115系。

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天寧寺




千光寺通りを下る。

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尾道といえば、猫♪

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坂の街、文学の街、映画の街、猫の街、寺の街などなど。
尾道水道、瀬戸内海の島々とともに風光明媚なまち。
志賀直哉旧宅などにも立ち寄った。
「氷」♪

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千光寺新道へ。

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宝土寺。

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あの国道2号から見上げた宝土寺から見下ろすと、貨物列車が通過。

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そう、眼下にあの寺道踏切が。

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昨日撮影した寺道踏切を通過する下り列車、115系。
今日は、あの山門から見下ろしたのだ。

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そろそろ坂の街もラスト…。

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カフェの脇を下る。
線路の向こうの道路は尾道水道への「渡し場通り」。
山陽本線の小さなガード下をくぐる。

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ガード下をくぐったら、土堂2丁目交差点。
国道2号を渡り。
振り返る。

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お腹がすいた。
トップクラスの人気がある尾道ラーメンを。
尾道駅ビル1Fに並ぶ「尾道ラーメン たに」へ。
12時5分、行列が途切れたとこを見計らって入店。

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尾道ラーメン♪
背脂、ねぎ。
美味しかった♪

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店を出たら、凄い行列になっていた…。

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満足♪

尾道ラーメン たに(尾道)/食べログ

尾道ラーメン たに





土堂踏切を通過する下り貨物列車、桃太郎EF210。

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土堂踏切。
普通福山行き、227系。

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後追い。

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次々。
下り普通列車、115系。

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路地から。
持光寺前踏切を通過する列車。
なんだろう…。
丸窓らしきものが見えたし、もしかしたら、etSETOra(エトセトラ)かな。

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ママがデザートを要求…。
持ち帰りパフェBerryへ。

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昨日から気にはなっていた…。
路地で食べた。
最高に美味しかった♪

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お持ち帰りパフェ Berry
お持ち帰りパフェ Berry(尾道)/食べログ




映画「転校生」で一美が自転車で爆走した跨線橋はこちらの踏切の左側にある。
「東今の2踏切」を通過する普通列車115系。

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千光寺前踏切は人が多い。

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こちらも人気の「尾道ラーメン 丸ぼし」。
湯河原の飯田商店かと思えるほどの長い行列…。

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来る時に乗った渡船フェリー「にゅう しまなみ」が向島を離れた。

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凄い数の人。

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郵便配達のバイクやチャリ軍団が下船してきた。
自転車、バイクの場合、大人は100円+10円、小人は50円+10円。

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百島と書かれたフェリーが。

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尾道ともお別れ。
Suikaをタッチしてコインロッカーを開けた。
ホント、便利。

尾道駅は2019年に駅舎を一新したが、コロナ禍によりテナントは変遷したようだ。
開放的な雰囲気で好感度の高い駅にみえた。

向かいのホーム2番線から岡山方面行きに。

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尾道駅 wikipedia




福山駅前にあるリッチモンドホテルにチェックイン。
旅行支援を申し出たら、即行で対応してくれた。
客室のバスなども新しいタイプで、この手のホテルとしては最高だと感じた。



普通列車岡山行きに乗り、20分ほどで到着したのは福山駅。
駅前には福山城が見える。

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久しぶりの福山駅。
バラ公園口(南口)。

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駅の福山城口(北口)から福山城へ。
駅に隣接したお城。
と思っていたら、実は駅のコンコースは城内そのものなんだとか。

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築城400年を迎えた福山城天守閣。

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天守閣に登ろうと思っていたのだが、10分前に閉館したとこだった。
がっくり。

お城の管理をされている方が声をかけてくれて、色々説明してくれた。
ここを築城したお殿様は徳川家康の従兄弟である水野勝成で、毛利氏など西日本の
有力外様大名に対する抑えとして備後国東南部と備中国西南部の10万石を与えら
れ、大和国の郡山藩から転封した。
従兄弟だからこそか、江戸幕府より下賜された伏見城の遺材も多く用いられた。
伏見城から移築された建造物としては伏見櫓や月見櫓、御殿(伏見御殿)、御風呂屋
(御湯殿)、鉄御門、追手御門、多聞櫓などがある。
太平洋戦争が終結する1週間前、1945年8月8日の福山大空襲により天守など多く
の建造物が焼失したのだとか。
焼失を免れたのは伏見城から移築された伏見櫓、鉄御門などで、今日も見ることが
できた。

初代城主、水野勝成はNHK大河ドラマ「どうする家康」で寺島進演じる家康の叔父、
水野信元の甥にあたる。
つまり、家康にとっては従兄弟。
なるほど。

福山城

福山城(備後国) Wikipedia




日本一新幹線に近い天守。
そんなフレーズが物語る光景。

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懐かしい。
この大通りを南へ行くとみずほ銀行福山支店がある。
20年ほど前、DKBと富士銀行、日本興業銀行が合併したばかりの頃。
ここの支店で会議を行ったら、もう1店舗の支店長も同席した。
なぜ、こんな街で支店が2つもと怪訝な顔をしたら、こちらは旧DKBで、
あちらはすぐ近くの旧富士銀行なんだとか。
そか、合併に伴う諸問題のひとつを見た思いがした。
その後、1つはすぐに廃止されたことは言うまでもない…。



宮通りへ。

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いいかも。
魚々家むてき。

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生~♪

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福山の「ネブト」。
かなり気にいった♪
刺身なども新鮮で美味しい♪

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日曜日の夜ということで、居酒屋の客は少なめ。

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〆はつぶれ梅とじゃこの茶漬け。

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魚々家むてき(福山)/食べログ



明日は「鞆の浦」へ。
さて、どうなることか。





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四国~♪  






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2023/06/03

内子、しまなみ海道で尾道へ♪

★内子、しまなみ海道で尾道へ♪

晴れ♪

暑かった。



昨日の大雨がウソのような晴天♪

朝食はバイキング形式で満足。
まずは、ホテルの近くで鉄分補給…♪


踏切の向こうには松山駅高架化工事が進捗していた。
予讃線松山駅1番ホームから今治方面へ50mほどにある南江戸踏切。
左には松山駅の1番ホームが見えた。
今治方面からの下り各停松山行き、7000系。

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岡山行き特急「しおかぜ」・高松行き特急「いしづち」、8000系が通過。

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後ろはアンパンマン列車。

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伊予鉄路面電車。

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伊予鉄路面電車、道後温泉行き。

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改札を入ったら、1番ホームには岡山行き特急「しおかぜ」&高松行き特急「いしづち」、
8600系がいた。

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そこへ、松山止まり特急「宇和海」が入ってきて、折り返し宇和島行き特急「宇和海」
となった。
なんと、この1番ホームは北側は岡山・高松方面の列車、南側は宇和島方面の列車が
使用するのだ。

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宇和島行き特急「宇和海」。
2000系気動車。

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宇和島行き特急「宇和海」、2000系気動車に乗車。

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3番ホームに宇和島方面からの各停松山行きが到着した。
キハ185系3100番台気動車。

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松山駅を出発して5、6分で松山運転所という車両基地があった。
いろんな車両が並んでいて壮観。
松山の平野部から次第に山間部へ。
かなりのスピードで走り、30分ほどで内子駅到着。

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山あいの駅。

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宇和島に向かっていく特急「宇和海」を後追い。

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各停松山行き、国鉄キハ54形気動車。

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駅構内には秋川雅史コンサート、内子座文楽のポスターが。

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驚いたのは、この駅に降り立ったのは3組7、8人で、ほとんどがインバウンドの方。
中国や香港、台湾からかと。
彼らも個人旅行でピンポイントで観光地を旅するようになったのかと感慨深いものが。
これからも少人数での旅行をと…。

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駅前にはC12がいた。

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金毘羅灯篭(常夜灯)。
この灯篭は天保2年(1831年)に商家の方たちの尽力で建立された。
四国八十八ヶ所参りのお遍路さんや金毘羅参りの人たちがたくさん泊まり、
その人たちの道しるべとなっていた。

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22年ぶりの内子座へ。

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大正5年(1915年)、大正天皇即位を祝って創建。
歌舞伎、人形芝居、映画、演説会会場として活用したが、戦後、1階升席を撤去して
椅子式に改造、映画館的色彩を強めた。
昭和60年(1975年)復元工事が完成した。

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大きな回り舞台であることがわかる。
また、升席が存在感をもつ。

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奈落。
22年前には全部見ることができたのだが…。
昨日の大雨により浸水してしまい、階下へは降りられなかった。

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壮観。

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内子座 Wikipedia

内子座/内子さんぽ

内子座/内子町




22年前、2001年8月に訪れたとき、七夕まつりが開催中だった。

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内子町の散策へ。

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商いと暮らし博物館。

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内子町は木蝋、生糸が特産品。
郷土の偉人としては大江健三郎、日商(後の日商岩井、現、双日)創設者の高畑誠
一、日本のビール王といわれた高橋龍太郎(大日本麦酒、後のアサヒビール、サッポロ
ビール)。
そして、わが母校 神奈川大学の創設者である米田吉盛などがあげられる。


当時の商家の朝食。
一汁一菜といわれるが、ご飯と味噌汁、漬け物だけ…。

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八幡宮。

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栗饅頭の坂見輝月堂。

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内子町の町並み保存地区へ。
僕は全然覚えていないが、22年前に訪れたことをママは記憶していた。

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大森和蝋燭屋。

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店内には色々な和蝋燭が。
1本だけ買い求めた。

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和蝋燭の作業場。

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道祖神。

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町並み。

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本芳我家住宅。
芳我家の本家。
庭園に入ることができる。

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赤いポスト。

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上芳我邸。
木蝋生産で栄えた商家で現在は木蝋資料館として見学できる。

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贅を尽くした客間。

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階段箪笥。

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中庭から。

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蕎麦、下芳我邸。

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地元のお客さんや観光客で、ほぼほぼ席は埋まっていた。

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じゃこ天蕎麦。
アシタバの天ぷらかな、美味しかった。

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ママは焼き豚玉子飯セット。

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美味しかった♪

下芳我邸

下芳我邸(内子)/食べログ





内子駅から松山行き特急「宇和海」に。

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松山駅では岡山行き特急「しおかぜ」・高松行き特急「いしづち」と同じ1番ホームへ。
ここから特急「しおかぜ」・「いしづち」に乗換えた。
で、思ったのだが、宇和島側と高松側って別の特急券が必要になるのは…。
ちょっと気になった…。

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瀬戸内海の青い海~♪

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今治駅で下車。
駅前から高速バス「しまなみライナー」福山駅前行きに乗車した。
中国バスだった。

来島海峡第三大橋。
昨日とは打って変わって最高の晴れ♪

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伯方島BS。
なんと、インターを降りて、一般道沿いのバス乗り場にBSがある。
大三島BSも同じタイプで一般道沿いにBSがあった。

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待合室があって、2、3人が乗車してきた。

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井口島へ渡る多々羅大橋。

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瀬戸内海。

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因島大橋BSに停車するとき、尾道方面への乗換えをアナウンスしていた。
聞き流したわけではないのだが、その先でも尾道方面のバスに乗換えができるのかと思った。

尾道で降りたいのだが、しまなみライナーはこの先、福山駅前まで行ってしまう。
向東BSで下車するとき、尾道行きに乗換えられるのかと尋ねたら、因島BSでしか
乗換えできないとのことだった…。
内心ほっとした。
尾道行きに乗換えられるという甘い誘惑にくらっとしていたのだが…。
ホントは向島から尾道への渡船フェリーに乗りたいのだ…。
もう1組のお客さんも下車した。

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しまなみライナー/中国バス




外の世界に出るとこにイノシシ侵入防止のために扉を閉めてくださいと…。
そういえば、他のBSでも同じ看板が見えた。
こんなとこでも、イノシシが出るのか…。

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高速は高架となっていくが、こちらの歩道は緩やかな下り坂。
キャリーバッグも苦じゃない…。
国道317号二番潟交差点を渡って西へ。
「ユーホー」の看板が見えてきたので、東西橋交差点から川沿いの道路へ。

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途中、何かしらのモニュメントか…。
戦争の匂いを感じた…。

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案の定、戦時中の向島捕虜収容所跡地を示すモニュメントだった。

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尾道の街が見えてきた。

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尾道水道の向こうに千光寺が見えてきた。

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尾道側から客を乗せて渡船(フェリー)「にゅう しまなみ」が向島の桟橋に着いた。

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おのみち渡し船(株)の向島~尾道航路フェリー。
全日 6:00~22:00。
大人100円、小人50円、自転車、バイクを一緒に乗せる場合は10円加算。
自動車航送は3m以上~4m未満 120円、4m以上~5m未満 130円。(運転者1名分の運賃含む)

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なお。
福本フェリーの場合は尾道駅に近くなり、大人60円、小人30円。
1/1と日曜日は運休なのだとか。

また。
このフェリー乗り場は大林宣彦監督の「新尾道三部作」の2作目の作品「あした」の
舞台となったとこ。
後で知ったのだが、この近くに当時のロケセットが移築されているとか。

あした(映画) wikipedia




フェリーが着岸し、本土側からの乗客が下船してきた。

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全員下船したので、こちらの乗船開始。

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バイクが2台、チャリが数台、人は3人。
人は右側の「船室」で座ることができる。

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5、6分ほどで本土、尾道へ。
こちらは尾道駅まで徒歩10分ほどと離れているが、高速を走る「しまなみライナー」
の向東BSから徒歩でフェリー乗り場につながるので、今回はこちらにした。

全員下船した後、尾道側からの乗客、バイクなどが乗船。
乗船終了後、すぐ出航する。

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24年前、1999年(平成11年)に千光寺から眺めた尾道の街と向島。
その光景の中で渡船フェリーの存在が光っていた。
眺めている間にも何回となく往復する。
次はフェリーに乗りたいと…。
今回、マップを眺めまわしていたら向東BSからは徒歩でフェリー乗り場まで
歩ける距離のように思えた。

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向島~尾道渡船フェリー/尾道まちかど広報室




渡船フェリーを降りたら、こんな光景。
渡し場通りと。

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暑い。
お茶でもしたい。
「ティールーム リオ」へ。

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店内には絵画が何点もかかっている。
尾道の人たちが描いたもの。
カメラに収めたくなるような絵もたくさんあった。

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レモンスカッシュを。
生き返った~。

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フェリー乗り場を。

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尾道センター街。

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この尾道もインバウンドの人たちがたくさんいらした。
欧米系や東南アジア系の人たちかな。

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尾道商店街から国道2号へ抜ける路地。

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国道2号と山陽本線。
山陽本線、東尾道~尾道駅間の寺道踏切を通過する下り列車、115系。

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上のほうに見えるのは宝土寺。

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寺道踏切をいく上り列車、115系。

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商店街。
以前は銭湯だったが、現在は飲食店になっていた。

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林芙美子像。

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尾道駅前から尾道水道、造船ドックを。

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尾道駅。
1999年に来たときはもう少し小さな駅舎だったが…。
現在は立派な駅舎で開放的で使える駅って雰囲気。

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尾道駅改札。
115系がいた。

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尾道駅 Wikipedia



おのみち渡し船(株)、富浜~尾道駅前航路。
向島行き渡船のりば。

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駅の西側にあるホテルにチェックイン。
旅行支援については条件が合わないという理由で却下された。
ま、仕方ない…。


また、尾道本通り商店街へ。

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土堂踏切をいく下り列車、213系。

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持光寺前踏切に差し掛かる上り列車、115系。

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持光寺前踏切をいく上り列車、115系。

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路地から尾道水道を。

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尾道水道から商店街へ抜ける路地。

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お好み焼き「いけだ」へ。

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肉玉、あげイカ玉を。

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氷結♪

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超美味しかった♪

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お好み焼き いけだ(尾道)/食べログ





持光寺前踏切は…。
この「おむすび屋 しろくま」の看板が目印。

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持光寺前踏切をいく下り列車、115系。

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115系でも通過するのかと気にかけなかった…。
えっ、TWILIGHT EXPRESS 瑞風が土堂踏切を疾走していった。(87系気動車)

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夕暮れの尾道駅改札。

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とにかく晴れてくれた♪

22年ぶりの内子、24年ぶりの尾道、10年ぶりのしまなみ海道と♪
最高の旅♪



回想…。
映画「転校生」(1982年)では一美が自転車で爆走して駆け上がるシーン。
そんな跨線橋をバックに。
                                         1999年8月

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四国~♪  





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2023/06/01

四国へ♪

★四国へ♪

晴れてくれた♪

ちょっと蒸し暑い…。

台風2号の行方が気になる…。



5月29日、九州北部、中国、四国、近畿、東海と梅雨入り…。
30日には九州南部も梅雨入り…。
台風2号の行方も気になる…。


そんな最悪の状況…。
久しぶりに東海道新幹線「のぞみ」に。
出張でよく利用した新横浜駅6:17発の「のぞみ1号」…。
週に2、3回乗ったこともあるほど「のぞみ1号」のヘビーユーザーだった。
現在は品川にも停まるため、6:18発になった。

40数年もサラリーマンをやってたので、新幹線は公私ともに数百回は利用した。
圧倒的に東海道・山陽新幹線の利用がほとんどだった。

僕の両親が四国出身で、僕自身も2歳から3歳にかけての1年ほどを四国の
おじいちゃんの家に預けられていたので、四国の血が流れていると思っている。
プライベートに親子4人で四国に行ったのは1995年(平成7年)から2001年(平成13
年)にかけての夏休みに6回も出かけたが、いずれもクルマだった。
冠婚葬祭で四国や広島へ行くときは僕ひとりで新幹線利用だった。

今回は夫婦で新幹線利用ということで、費用面では厳しいことを思い知った。
飛行機にしようかと思ったが、やはり、新幹線がいい。


JR東海「会いにいく、が今日を変えていく。」 (1分00秒)






JR東海「会いにいこう」 feat.賀来賢人 (4分14秒)




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早朝4時20分に起床した。
サラリーマン時代は嫌々起きていたが、今朝はすっきり起床した。

5時過ぎに自宅を出た。
キャリーバッグを転がして駅に向かうなんて数年ぶり。
町田駅でハマ線に乗換え、6時過ぎに新横浜着。

贅沢に崎陽軒のシウマイ弁当といきたいが朝食に900円は痛いので、690円の
横濱チャーハンを。
サラリーマン時代からそうしていた。
横濱チャーハンは人気なのですぐ売り切れてしまうが、早朝なので大丈夫。

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向かいの上りホームは「こだま」の表示しかない…。
そう、朝早過ぎて三島や静岡始発の「こだま」しか来ない時間帯。
「ひかり」、「のぞみ」の表示が現れるのは1時間半後…。

懐かしい「のぞみ1号」の表示。
6:17時代が染み付いているが…。

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1964年(昭和39年)開業からずっと「こだま」しか停まらない新横浜駅…。
2008年(平成20年)、「のぞみ」、「ひかり」、「こだま」完全停車が実現。
悲願達成まで44年間もかかった。
とにかく、関西や四国へ行くことが多い我が家としては面倒だった。
そして、肩身の狭い思いをしてきた。
最近は新横浜で乗り降りすることが「ステータス」のようにさえ…♪

「のぞみ1号」。
JR東海の車両でN700S。
ホームドアが恨めしい…。

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最高~♪

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行きは海側のA、B席にした。
新横浜~我が家エリア、相模川、早川、石橋、根府川、熱海と車窓からの一瞬の景観
を楽しむことができた。
いつも見ている景色が新鮮で違ったものに見える。

「727」も♪

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岡山駅9:09到着。
サラリーマン時代は岡山支店の朝礼に参加したものだ。
ただし、当時は9:12着だった…。

岡山駅で下車、四国連絡の乗換えへ。
こちらは松山行き特急「しおかぜ5号」、8000系。

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おっと。
国鉄急行色のキハ40系♪
津山行き、キハ47形(キハ47 47)はノスタルジーと称して国鉄急行色を採用。
やはり、嬉しい♪

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北海道を旅行したときは北海道色のキハ40系を見た。
で、今日は国鉄急行色を見て感激した。

国鉄キハ40系気動車(2代) wikipedia



津山行きの隣には四国連絡の高松行き快速「マリンライナー17号」が。
5000系。

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高松方先頭車はこんな顔。

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先頭車は2階建てグリーン車。

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で。
ウチもグリーン席なのだが、運転席かぶりつき座席へ。
このグリーン料金は1,000円。
サラリーマン時代、「ぺえぺえ」はグリーン車は不可なのだが、この1,000円は経費で
支払ってくれた。
多分、経理担当者がグリーン席の料金とは思わなかったのだろう…。

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この表示版で分かるように、1本のホームに5、6、7、8番線が同居している。
どれも、茶屋町、児島、四国、宇野方面で宇野みなと線(宇野線)、瀬戸大橋線
(本四備讃線)が使用する。
岡山駅の瀬戸大橋線ホームでは発着メロディ「瀬戸の花嫁」が流れうっとりする。

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8番線の快速マリンライナーの前方には凸の形をした7番線ホームがあり、児島行き
115系がいた。

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最初は単線だったが、途中で複線になったり単線になったり…。
妹尾駅に。

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僕が知ってる妹尾駅はまわりが田畑で何もなかった…。
といっても、小学生から社会人1、2年生にかけてのこと…。
つまり、昭和35年から昭和55年頃のこと…。

上り快速マリンライナーと交換。

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超懐かしい茶屋町駅。
といっても、こちらは立派な高架駅。
僕が知ってる茶屋町駅は田畑の真ん中にポツンとある小さな駅。
列車が到着するとシーンとしていたが、すぐにカエルのゲロゲロとミミズのジーという
鳴き声がやかましくなった。
夜行急行「瀬戸」や急行「鷲羽」などの車窓から見た光景が目に焼きついている。
妹尾駅と同じくまわりは田畑で何もなかった…。
建物といえば、農家とか普通の民家しかなかった。
学生服メーカーの看板などを鮮明に覚えている。

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茶屋町駅の高架化。
なんと、昭和63年(1988年)の本四備讃線開業と同時に高架化されたのだ。
そうだったのか…。

見た目は立派になったが、存在感は…。

で。
時刻表で調べてみたら、快速マリンライナーは茶屋町駅に停車するが、四国連絡の
特急しおかぜ、特急南風などは茶屋町駅は通過し児島駅に停車する。
もちろん、特急サンライズ瀬戸も茶屋町駅は通過し児島駅停車だ。
軽いショックを覚えた。

茶屋町駅。

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茶屋町駅 wikipedia




昭和63年(1988年)、本四備讃線開業により児島駅は開業、出現した…。
出張や冠婚葬祭で列車に乗ってきた時、児島駅の存在感に圧倒されて軽いカルチャー
ショックを覚えたほど。
そう、家電量販店や商業施設っぽい建物などが車窓から見えて、賑やかさに驚いた。
宇野線ののどかな風景しか知らないのに、いきなり「街」が出現して狼狽するほど。
2013年にはクルマで児島駅に立ち寄ったが、街中の駅という印象だった。
昔は学生服の看板が多かったが、児島という土地柄かジーンズの看板が新鮮。
住所的には紆余曲折の末、倉敷市に編入されており、違和感を覚えた。

児島駅。

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JR西日本とJR四国の乗務員交代。

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児島駅 wikipedia




昔、四国連絡の急行「鷲羽」にその名をいただいた鷲羽山を横目に瀬戸大橋線は
瀬戸内海へと踏み出す。
反対側の山の上には「鷲羽山ハイランド」という遊園地があり、大きな観覧車が
見える。
きっと、瀬戸内海、瀬戸大橋が一望できるのだろう。


瀬戸大橋を。

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車窓から見える瀬戸内海の島々。

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いよいよ、四国上陸。

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高松駅手前の車両基地、高松運転所では寝台特急「サンライズ瀬戸」285系がいた。
今夜の運行に備えての留置か。

高松駅到着。
昔の高松駅の面影はない…。
国鉄一筋とはいえ列車ではなく、宇高連絡船一筋(レーダー、船舶無線)だった叔父の姿もない。
松山行き特急「いしづち」、8600系がいた。

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高松止まりの普通列車、7000系。

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都会っぽくなった高松駅前。

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高松駅から徒歩2、3分。

玉藻公園。
高松城の石垣が美しい。

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ここの堀は瀬戸内海の海水を引き込んだ平城(水城)である。
潮の干満による水位調整のための水門も設けられている。

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良櫓(うしとらやぐら)。

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本丸跡と二の丸跡をむすぶ鞘橋(さやばし)からは堀の向こうに、ことでん高松築港駅が見える。

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ことでん高松築港駅。


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琴電琴平行き。
高松琴平電気鉄道1100形電車。(京王5000系(初代))

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昔、叔母や従弟たちと歩いた片原町駅、瓦町駅は下車してアーケード商店街を歩きた
かったのだが、今回はパス。
栗林公園駅で下車。

ママは来たことがないので、栗林公園へ。

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栗林公園といえば飛来峰からの景色など見どころ満載なのだが、時間がないので、
ストレートに北門へ。

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高徳線栗林公園北口駅へ。
高架下をくぐると稲荷大明神。

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栗林公園北口駅ホーム。

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高松行き、1500形。

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高松駅でコインロッカーからキャリーバッグを取り出し。
次なる目的地の「うどん」を目指す。

松山行き特急「いしづち9号」に乗車。
8000系電車。

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アンパンマン列車。
天井もかわいい。

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四国の鉄道は瀬戸大橋開業によって大きく変貌した。
今年は青函トンネル、瀬戸大橋線開業35周年。

高松の叔父は国鉄一筋。
その中でも異色の宇高連絡船一筋の通信屋(レーダー、船舶無線)だった。
四国を訪れた際には正装して迎えてくれたもの。
いつだったか、作業着のまま迎えてくれた時はかっこよさを感じた。
官立無線電信講習所(戦後、電気通信大学となる)を卒業。
昭和30年の紫雲丸事故をきっかけに国鉄四国支社に設置された宇高船舶管理部に
採用され、宇高連絡船の安全の要、レーダー、船舶無線一筋だった。
昭和63年、本四備讃線(瀬戸大橋線)開業によって宇高連絡船は廃止され、叔父は
定年を迎えた。

その後、クルマで訪れることが多かった四国だが、出張や冠婚葬祭などでは列車で
移動するのだが。
ある日、冠婚葬祭で西条市に行ったとき、かなり高齢になった高松の叔父も一緒に
なり、帰りは同じ特急「しおかぜ」・「いしづち」に乗車。
途中、宇多津駅で僕は岡山行きの特急「しおかぜ」の車両に移動し、叔父は特急「いし
づち」のまま高松へ。
意味が飲み込めないまま、アナウンスに従った。

昔の予讃線は高松駅がすべての起点であり玄関口だったが、瀬戸大橋線開業によっ
て地政学的に四国の玄関は宇多津駅や多度津駅、坂出駅となってしまった。
このことが、僕の固い頭では理解しずらい…。

岡山駅から四国に向かう際、松山方面に行くなら特急「しおかぜ」に、高松に行くなら
快速マリンライナー、高知方面なら特急「南風」に。
尚、高松から高知方面には特急「しまんと」が出ている。
高松から松山方面は特急「いしづち」でいき、宇多津駅、あるいは多度津駅で岡山から
の特急「しおかぜ」とドッキングする。
ということで、瀬戸大橋線開業35周年にして、ようやく理解してきた。


202335th


宇高連絡船♪ 2009.09.04





宇多津駅で岡山からの特急「しおかぜ9号」を連結する。
作業員も乗車してきて一大イベント…。

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香川県の詫間駅~津島ノ宮駅(臨)~海岸寺駅間。
予讃線でもハイライトというべき美しい瀬戸内海の景観。

沖合いにある津嶋という小島が橋で結ばれていて、島には津嶋神社がある。
津島ノ宮駅というれっきとした駅があるが、毎年8月4、5日の夏季大祭の時だけ
営業する、日本一営業日数の少ない駅。

JRで、最高に好きな景色♪
晴れた日に、列車に乗って眺めると、ホントに最高の気分になるとこ♪

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津島ノ宮駅 Wikipedia

津島ノ宮駅/海の見える駅




観音寺駅で各停の普通列車に乗換え。
伊予西条行き、JR四国7200系電車。
これは国鉄121系電車を改造・形式変更したもの。
乗換え時間3分、向かいのホームへ地下道を渡り、ぎりぎりセーフ…。

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ワンマン運転。
この図のように運転席側でなく、後部ドアから乗車。
2両編成なのに、2両目の車両は回送車両ということで閉まっていた。

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箕浦駅下車。
普通 高松行き7000系と交換。

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町田~高松~伊予西条の連続乗車券にしてあったので、高松駅で改めて買い求める
必要がない。  細かいことだが、使い勝手がよい。


箕浦駅。
国道11号の向こうは瀬戸内海。

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箕浦駅 wikipedia



1977年(昭和52年)、社会人なりたてで伊予三島(現、四国中央市)に赴任していた
頃、高松の叔父が何回か連れてきてくれた、うどん屋「かな泉」があった箕浦駅。
月日がながれ、1999年(平成11年)、2000年(平成12年)にはママや息子たちを
連れて、はるばる800km。
わざわざ高速を降りて箕浦駅へ「かな泉」のうどんを食べにきた。

2006年か2007年に「かな泉」箕浦店が閉店し、2012年6月、跡地に「上戸うどん」
がオープン。
2012年11月には「かな泉」本体が破綻したと聞いてがっくりした…。
「かな泉」創業60周年を目の前にして…。

「上戸うどん」って、どんな店なんだろう…。
そんな思いが募ってきた。


2013年8月に訪れたら、なんと、定休日…。
当時は日曜日が定休日…。
リベンジしようと思っていたら、10年経っていた…。
現在は年中無休で6:00~14:00、売切御免。
香川県の西端で、少しいくと愛媛県に。
讃岐西端うどん「上戸うどん」。

今日は高松では時間がないを連発…。
そ、「上戸うどん」を最優先。
少しでも早く着いて、「売切御免」なんて失態だけは避けたい…。
そんな思いで店に入った。

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四国へ♪ - 1 2013.08.17

箕浦駅のうどん♪ 2012.08.27




予讃線箕浦駅の隣で国道11号に面している。
「燧(ひうち)のいりこは日本一」とうたう「上戸うどん」。
燧灘のいりこ。
沖合10kmほどにある伊吹島の「伊吹いりこ」を使用している。
四国本土の讃岐うどんの店では「伊吹いりこ」が出汁とりなどに使われている。

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13時。
国道11号に面しているので交通の便は最高。
そ、国鉄が「かな泉」を誘致したのは、この国道を走るクルマがターゲット。
箕浦駅の隣にある店だが、クルマで訪れることを見事に当てたのだ。
ランチタイムを過ぎ、駐車場には営業車らしきクルマが3、4台ほど。
後からトラックが入ってきた。
店内には5、6人の客。
テーブルも空きはじめた。

うどんはセルフで温める。
10秒温めて出し汁を注ぐ。

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あれもこれも欲しくなる。
白天、えびかき揚げを。

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10年以上、夢見てきた「上戸うどん」。
白天、えびかき揚げを。
最高に美味しい♪

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食べログでは2017年以降、百名店を5回受賞。

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西端手打 上戸(箕浦)/食べログ

上戸うどん番犬/twitter





箕浦駅。

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島式ホーム1面2線の地上駅。
1番線は上り多度津、高松方面、2番線は下り新居浜、松山方面。
交換列車がないときは列車種別に関係なく2番線に入線する。
1日平均乗車人員はコロナ前の2019年は18人。
以前の記事を読んでいたら、1977年(昭和52年)頃の乗降客数は200人。
ずいぶん減少したものだ…。

駅舎からホームへは構内踏切を渡る。
簡素な警報機はあるが遮断機はないので、ちょっと注意…。


松山行き特急「しおかぜ・いしづち」号、8600系が通過。

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普通松山行き、7000系に乗車。

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新居浜駅から先、車窓の風景を…。
昭和52年だったか53年だったか、社会人1年のころ、伊予三島に赴任していたので、
西条市のおじいちゃんの家に行った帰りのこと。
伊予西条駅から東に1、2kmのとこで出火した山火事が中萩駅の辺りで最悪の状態。
行けども行けども、延々とつづく山火事…。
消防車といっても村の消防団の小さな消防車が茫然と火事を見つめている。
新居浜駅では焦げたような匂いがして窓を開けたら火の粉が降り注いできた。
数日間、延々6、7kmほども焼けた。
あのような山火事は初めて見た。
そんな昔の恐怖を思い出した…。


1時間ほどで伊予西条駅到着。
瀬戸内エリアでは岡山駅の瀬戸大橋線ホームや児島駅、JR四国では高松駅はじめ
特急停車駅の駅メロに「瀬戸の花嫁」が使われているケースが多い。
伊予西条駅の「瀬戸の花嫁」も愛着があるというか、好きだったのだが…。
なんと、秋川雅史の「千の風になって」に変更されていた。
ま、西条市出身のテノール歌手だから…。

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駅メロだけじゃない、ホームにあった「うちぬき」も撤去されていた…。
バリアーフリー工事に伴い撤去されたとか。
なお、当駅の1日平均乗車人員はコロナ前で1,500人ほど。
乗降人員では3,000人ほどか…。


いいね♪

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駅を出てすぐ。
鉄道歴史パーク in SAIJOへ。

入館と同時に署名のお誘い。
NHK朝ドラで土佐の牧野富太郎先生「らんまん」が好評。
だったら、同じ四国の伊予の名士といえば、我が十河信二国鉄総裁。
てことで、朝ドラに十河さんをとの署名運動。
もちろん、快諾した。

四国鉄道文化館 北館。
忘却の彼方にいってしまった急行「うわじま」、急行「土佐」のヘッドマーク。
今回、松山から先へ行くときに乗ったのは特急「宇和海」だった。
そか、「うわじま」じゃないのかと怪訝な思いで乗った。

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0系。
新幹線の原点である0系新幹線。

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DF50 1。
DF50形ディーゼル機関車「1号機」。

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駅を跨ぐ跨線橋を渡ると、四国鉄道文化館 南館へ。
フリーゲージトレイン(第2次試験車)が屋外にある。
左に見えるのは、カーバイト庫。
円筒形の給水塔も右手のほうにあるのだが…。
どちらも、大正10年(1921年)の開業時からのものだとか。
亡くなった父のアルバムにはこれらの写真が残っている。
カーバイト庫のまわりには職員詰所なのか大きな建物がたくさんあったのだが。

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DE10 1。
DE10形ディーゼル機関車「1号機」。

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いよいよ♪
キハ65 34。
キハ65形急行用気動車「34号」。

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1年間、四国のおじいちゃんの家に預けられていた3歳の僕は身も心も四国の子。
そんな僕を東京へ連れ戻す時、おばあちゃんも一緒に乗るんだよと言っていた列車は
蒸気機関車だった。
その蒸気の顔は今でも覚えている…。
だからか、今もSLは好きじゃないというか、拒否反応…。
三つ子の魂百までも…。

その後、小学生から高校生くらいまではキハ58系の急行だったと思う。
高校生、大学生の頃はキハ65形気動車の急行に変わっていた。
そして、いつの間にか特急になっていった。


キハ65形車内。

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C57 44。

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コカ・コーラ瓶♪

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昭和のコカ・コーラを飲みながら昭和のキハ65を。

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鉄道歴史パーク in SAIJO





駅を。
各停松山行き、7200系。
そ、JR四国の駅では行先表示板に「各駅停車」と表示されていた。

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せとうちバス、新居浜駅行き。

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恐れていたこと…。
ご多分に漏れず伊予西条駅の周辺はこれといった飲食店がない…。
昔は賑わっていた商店街は寂れてしまって、見る影もない…。
クルマで産業道路、バイパス沿いに行けばなんでもあるのだが…。
30分ほど駅前散策を兼ねて歩いてみたが…。

駅前にあるのはホテル、コンビニなど普通の光景。
そして、やたらと斎場が軒を連ねていた。
ちょっと驚いた…。


駅前ロータリー前の「焼きとり 紬(つむぎ)」へ。
宿泊するホテルの真ん前だし。

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生~♪
美味しい♪

焼き鳥などを。
美味しかった。

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ママはシャケじゃなかった鮭茶漬けを。

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僕は玉子かけご飯を。

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伊予西条駅前で道路を渡ったとこのホテル。
新しいホテルができたのだ。
僕が中学生のときに撮った昔の写真では個人経営の医院だったとこ。
その隣は第一生命のビルで、今も続いている。
旅行支援は枠オーバーということで適用なし…。
こちらの新しいホテルにしたのは、大浴場があるってことが決め手。
大浴場、やっぱり気持ちよかった。


中学生の頃に撮った写真だから、昭和44年(1969年)頃。
54年前…。

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この夜、TVでは中国・四国地方の大雨予報のニュースばかり…。
特に四国は雨量300mmを超える線状降水帯が襲うみたいな嫌な情報…。

いちばん恐れていたこと…。
でも、台風2号の心配はなくて、日本列島をそれて太平洋上を北上するらしい。
ただし、台風の影響で前線が刺激されて大雨とのこと…。
夕刻から雨が降りはじめ、次第に本降りに…。

明日はどうしよう…。
そんな悩ましい夜だった…。





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2023/04/22

日本橋と丸の内♪

★日本橋と丸の内♪

どんより…。

昨日の暑さがウソのような肌寒さ…。



TVでは。
広瀬すずは日本橋界隈の「三井でふふふ」の三井不動産、三井のすずちゃん。
歌舞伎役者の松本幸四郎さんは先駆け的存在だった。
一方、高畑充希は東京丸の内「三菱村」、三菱地所のキャラとして頑張っている。
そんな日本橋と丸の内へ。


赤いロマンスカーGSE・70000形に。

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新宿駅到着。
ロマンスカーカフェはなくなっていた…。
小田急の新宿駅自体が工事に突入していて、これから数年間は騒然とするだろう。

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ロマンスカーホームはインバウンドの人たちで溢れかえっていた…。
箱根をめざしているのだろう…。

赤いロマンスカーGSE・70000形は就役5周年。

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久々に丸の内線で大手町に出て、半蔵門線で三越前へ。
三越の中を抜けて、エントランスには神田明神祭禮、室町一丁目町会神輿が。

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日本橋川に架かる日本橋。
大阪の日本橋は「にっぽんばし」だが、東京の日本橋は「にほんばし」。
日本橋の上を首都高があるのが当たり前のように思っていたが、「日本橋再生計画」
と呼ばれる再開発計画がすすめられていて、首都高の地下化などが行われる。

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東京市道路元標。

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日本国道路元標。(複製)

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日本橋。
獅子が東京都のマーク(紋章)を抱えている。

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日本橋川の上には首都高が走る。

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日本橋の四隅には獅子がいる。
橋の中央には翼のある麒麟の像が二体ずつ、計四体いる。

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少し歩くと、日銀が。
日本銀行本店。

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日銀の先には三井本館。
三井住友銀行日本橋支店。

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左側は三井本館、右側は三越。

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三越。
65年ほど前、僕が5、6歳の頃だったか、このライオン像を見た。
鮮明に記憶している。
もうひとつ、天女像も鮮明に覚えているのだが、これは1960年(昭和35年)に
完成したもの。
てことは、同じ日に見たのかもしれない。

同じものを見ることができる幸せを感じた。

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コロナ禍により中止されていたが、5月に4年ぶりに行われる神田祭を祝して。

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コレド室町といっても、いくつものビルがある。
昔、この辺りの大型ビルや日本橋室町ビルとかには取引先が無数にあった。
それらの取引先が入っていた数多くのビルは老朽化によって再開発された。

日本橋は三越前駅を中心に大きなエリアを誇っている。
大小さまざまな企業が集まっている。
そんなエリアなので、サラリーマン時代は足蹴く通ったもの。
日本橋といっても、かなり広範囲で水天宮のある日本橋蛎殻町、人形町、茅場町、
兜町、問屋街の横山町や東京駅八重洲口付近までと、あちらもこちらも日本橋を
名乗っているので、未だによく分からない…。

三越前駅…。
関東大震災から2年後の大正14年(1925年)9月、浅草~上野駅間で
東洋初の地下鉄「銀座線」の工事着工。
昭和2年(1927年)12月、浅草~上野間(2.2km)開業。
その後、新橋駅に向かって少しずつ延伸していく。
昭和7年(1932年)4月、三越前駅開業。
この時、資金難の「東京地下鉄道」に対して、駅の出入口と三越の店内を直結させる
ことを条件に駅の建設資金をほぼ全額負担して開業させた駅といわれている。

三越前駅#駅名と三越 wikipedia




コレド室町を。

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TV-CMでお馴染み。
福徳神社。

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高層ビルの谷間。
芽吹稲荷と。
結構、行列ができていた。

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キツネ。

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コレド室町に挟まれた通路。

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飲食店はどこも行列…。
「八海山 千年こうじや」へ。

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銀鮭の焼き魚を。
美味しかった。

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八海山 千年こうじや(三越前)/食べログ

八海山 千年こうじや




コレド室町は美味しい店、美味しいお土産の宝庫。
「芋けんぴ」の店に長い行列。
よく見たら、土佐日高村の「芋屋金次郎」。
揚げたて芋けんぴ、芋ちっぷ、つぶけんぴなどを。
とにかく、無条件に美味しい♪

芋屋金次郎

芋屋金次郎(三越前)/食べログ




日本橋本町は江戸時代から薬問屋が数多く軒を連ね、現在でも「薬の街」として
武田薬品工業、アステラス製薬、第一三共などの大手製薬会社の本社及び東京本社
が多数所在する。
そんな土地柄、医薬の神様「薬祖神社」があった。

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この他、龍角散、浅田飴、アステラス製薬などが名を連ねていた。

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コレド室町。

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江戸バス。

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イルキャンテの店がある路地に入った。
路地裏に長い行列…。

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とんかつ屋の行列だった。
何時間かかるのだろうか…。

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あちこちに行列ができていた。
行列してでも食べたい店が多いことに驚いた。

かなり魅力的な路地が縦横にあった。

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日本橋界隈は取引先が多くよく来ていたが、こんな魅力的な路地があることに
気がつかなかった…。
いい感じ。

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老舗の鰹節屋さん。

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日本橋の近くにあった日本橋魚市場発祥の地。
関東大震災で被災したため、築地に移った。
牛丼の吉野家はこちらで明治32年(1899年)に創業したのが始まり。
やはり、築地への移転に伴い築地市場で継続して営業した。

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日本橋高島屋。

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中央通りを少し歩いていくと八重洲を経て京橋に。
えっ、こんなに近かったけ…。

明治屋。
叔父はこちらに勤務していた。

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明治屋からすぐ近く、ママが働いていた明治製菓(現、明治)。

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そういえば。
八重洲ブックセンターが1978年(昭和53年)にオープンした時、日本最大の書店
ということで、よく立ち寄った。
あれから45年…、3月末に閉店し、今月中には解体がはじまる。
数年後には43階建てのビルになるらしい。


鍛冶橋交差点より。

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ご先祖さま、土佐山内家の上屋敷があったところ。
東京都庁を経て東京国際フォーラムに。

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三菱一号館美術館。

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山内家の上屋敷や別邸付近は必ずといってよいほど、岩崎彌太郎の広大な土地が。
ここ丸の内一帯は「三菱村」と言われるほど。
そんな「三菱村」は上質な雰囲気が。

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明治生命。
言わずと知れた三菱ファミリー。

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日比谷通り、馬場先濠を。

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皇居。
二重橋を。

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インバウンドばかり…。
日本人は少数派…。
マスクをしているのは日本人、マスクをしていないのはインバウンド…。
その対比が面白かった。
欧米系が圧倒的に多く、東南アジア系、韓国人が目立つ。
まだ中国語があまり聞こえてこない…。

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巽櫓。(たつみやぐら)

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東京駅。

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丸の内「三菱村」を♪

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右端にちらっと東京ミッドタウン八重洲が見える。
東京駅の向こうにはクレーンが。
数年後には超高層ビルが出現する。

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叔父は京橋の明治屋、その娘である従妹は第一銀行本店、僕の妹は第一勧業銀行
本店、ママは京橋の明治製菓(現、明治)と東京駅周辺に集中していた。
と言っても、時代はずれているが…。
10歳上の従妹は第一銀行勤務とは…、渋沢栄一の世界を、そして時代を感じる…。

ママは入社した当時は横須賀線保土ヶ谷駅からバス利用だったが、半年後に東戸塚
駅が開業したことで徒歩でも通えるようになった。
当時は111系、113系で通勤していたことが夢のようだ。


北ドーム部を。

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南ドーム部の内部を見上げた。

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丸の内駅舎の見どころ/TOKYO STATION CITY




中央線。

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新宿駅。
青いロマンスカーMSE・60000形。

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青いロマンスカーMSE・60000形は就役15周年。

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コロナ禍が終わり、GWは飛行機も新幹線もすごいことになりそう…。
お出かけが楽しくなってきた♪
でも、第9波なんてことも…。





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小田急ロマンスカー♪





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2023/04/03

春♪

★春♪

晴れ♪

暖かい。


鎌倉のハイキングコース、祇園山ハイキングコースが4月1日より通行可能となった。
2019年9月より3年半にわたって通行止めが続いていたが、ようやく再開された。
当初は裏大仏ハイキングコースや天園ハイキングコースも通行止めが続いていたが、
順次再開されていた。
同時期には朝夷奈切通しも被害をうけ通行止めとなったが、2年後に通行止めが解除
され再開された。

2019年9月下旬に鎌倉の裏大仏ハイキングコースに行ったら、台風15号による
倒木がひどく、通行止めになっていた…。
まさかの台風被害を目の当たりにして愕然とした…。
千葉県の被害が大きく取り上げられたが、神奈川県でも三浦半島や鎌倉では
大きな被害がでていたのだ。
その2週間後、今度は台風19号によって東日本各地に爪痕を残した…。

後に、台風15号は「令和元年房総半島台風」、台風19号は「令和元年東日本台風」
と命名された。
尚、台風の命名に関しては昭和52年(1977年)の沖永良部台風以来、42年ぶり…。

ハイキングコースの状況/鎌倉観光公式ガイド

鎌倉…♪ 2019.09.28





NHKの朝ドラ「らんまん」が始まった。
土佐の偉人、植物学者、牧野富太郎の物語。

植物学者として有名なのだが、最近はあまり露出がない…。
文久2年(1862年)生まれ、昭和32年(1957年)没。

ウチは両親とも土佐出身なので、我が家では牧野富太郎はよく出てくる名前だった。
吉田茂元首相のことも土佐の偉人扱いだが…、最近知ったことは本人は東京生まれ。
父親は土佐出身で自由民権運動の闘士、板垣退助の腹心であったということ。
昭和22年、新憲法では国会議員であることが首相の要件とされ、また、貴族院が廃止
されたため、高知県全県区から立候補した。

我が家では芸大の〇〇教授という名前もよく出てきた。
父が幼い頃、高知駅前の歩道にチョークで電車の絵を描いていたら、
声をかけてくれて、画用紙やクレヨンを買ってくれ絵を描いたとか。
その絵が東京で出品され、賞をもらった。
昭和の初め頃のこと…。

牧野富太郎といえば。
裕福な造り酒屋の跡取り息子であったが、両親、祖父とも富太郎が幼少の頃に相次い
で亡くなったため、祖母に育てられた。
寺子屋を経て郷校である名教館(めいこうかん)で学び、そのまま学制改革により小学
校となったが、その後、中退して家業に。
が、家業は番頭と祖母にまかせて、本人は植物採集に勤しんでいた。
小学校中退ということが問題となりながらも、理学博士の学位を得ている。

昭和30年代後半。
僕が大綱小学校の3年、4年で担任だった教師は見るからに定年を過ぎたかと
思わせる風貌のK先生だった。
K先生は牧野富太郎博士の弟子だったということを公言していた。
小学生には難しすぎることを教えることもあった。
東大卒で小学校教師ってどういうこと…、そんな的外れな指摘もあったらしい。
そのため父兄からは担任を外せといった苦情もあったらしい…。

ま、朝ドラはママしか見ないが…。





坂本龍一さんが亡くなっていた。
享年71歳。

1月に高橋幸宏さんが70歳で亡くなったばかり。

坂本龍一さんといえば。
細野晴臣、高橋幸宏とともにYMOの活動が光る。
矢野顕子との結婚も光った。
1983年「戦場のメリークリスマス」、1987年「ラストエンペラー」。
なんとも、存在感のあるかただった。

YMO高橋幸宏さん逝く… 2023.01.17




「君に、胸キュン。」/YMO





  

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2023/03/25

JR東海「会いにいく、が今日を変えていく。」♪

★JR東海「会いにいく、が今日を変えていく。」♪

雨…。

昨日は蒸し暑かったのに、今日は肌寒い…。

折角咲いた桜。
昨日は県立座間谷戸山公園の桜が見頃を迎えていたのに…。
この雨じゃ…。

花粉症…。
最初はきつかったけど、天候のせいもあるのか、その後はたいしたことない…。
もうこのまま終息するのか…。




JR東海TV-CM♪

JR東海「会いにいく、が今日を変えていく。」。
賀来賢人が好演。
CMソングはUA(ウーア)「会いにいこう」。
UAの声質とぴったり。

東海道新幹線。
品川駅、新横浜駅の改札風景。
新橋~浜松町駅間で見える東京タワーを横目に。
高輪ゲートウェイ付近の夜景。
新横浜駅を過ぎると5分おきに出てくる「727」の野立て看板。
大阪の727化粧品の看板は東海道新幹線の車窓では定番中の定番。
1979年(昭和54年)から44年間も見続けているのだ…。
ポポンデッタではジオラマ用に商品化しているほど…。

そして、平塚の日向岡はカラフルな三角屋根が並ぶ住宅街
そんなカラフルな住宅街を眺めながら新幹線はトンネルに突進する。
2011年公開の映画「八日目の蝉」は日向岡住宅街でもロケが行われたとの
ことだが、一体どの場面だったのかと…。
恐らく、雨の中、山から坂道を下ってきた、あのシーンか…。

熱海の海を見ながら通過。
海沿いをいくつものトンネルで通過するが、熱海駅付近で見える青い海に感激。
そして、低い目線で浜名湖を疾走する。
順序は入れ替わるが、富士市の製紙工場の煙突から煙、富士山も美しい。
富士山と愛鷹山、これも最高。
カチンカチンのアイス。
車内販売のスジャータのアイス、歯が立たないほどの固さ…。
それぞれの場面が1秒前後で迫ってくる…。
なんとも、東海道新幹線をうまく表現したものだ…。


で。
「会いにいく、が今日を変えていく。」…。
江ノ電の「江ノ電で、会いにゆく。」、小田急の「きょう、ロマンスカーで。」を彷彿させる
のは、気のせいか…。


僕的には東海道新幹線、山陽新幹線を公私ともに数百回は利用した。
40数年もサラリーマンをやっていれば、当然のことかもしれない…。
この沿線担当というわけではないが、この沿線は案件が集中していたということだろう。
多いときは週に3、4往復なんてことも…。
たまに謝罪のための目的で向かうときの足どりは重かった…。
ま、ほとんどは出張や臨店。
それも、新横浜駅6:17発(当時)の「のぞみ1号」ばかり…。
4時半には起床することに…。
崎陽軒のシウマイ弁当や横濱チャーハンで朝食を。 
かなり、贅沢…♪
そして、睡眠不足を補うために爆睡。
御堂筋にある大阪支店の朝礼には余裕で間に合い、岡山支店の朝礼にも小走りで
いけば間に合うので、檄を飛ばすことができた…。
岡山からの帰りの「のぞみ」では、ままかりの酢漬けなどが美味しい駅弁「桃太郎の
祭ずし」をつつきながら缶ビールを飲むのが至福の時間だった。


四国のおじいちゃんのとこへ行くために新幹線を利用したのは昭和44年、中学3年
の時から。
それまでのブルトレ「瀬戸」から新幹線に変わっていった。
当時は新大阪駅どまりで、在来線の急行「鷲羽」に乗り換えて宇野へ。
宇野からは宇高連絡船で高松へというルートだった。
山陽新幹線が開通したのは、1972年(昭和47年)で新大阪~岡山駅間が開通した。
これによって、四国連絡は劇的によくなった。
尚、新横浜駅は「こだま」しか停まらないという状態が長らく続いたので、
名古屋で「ひかり」に乗り換えるのが当たり前だった。
そんな状態は昭和39年(1964年)開業から延々と続き、昭和51年に「ひかり」が
1日1往復停車、昭和60年には1日3往復停車となり、その後、毎時2本停車となる。
「のぞみ」全盛になってからは、新横浜に停まらない「のぞみ」があったため、指定席
をとる時、新横浜停車を念入りに確認したものだ。
「のぞみ」、「ひかり」、「こだま」完全停車は2008年(平成20年)と、悲願達成
まで44年間もかかった。
最近は新横浜駅で降りることが、ひとつのステータスになっていると思うのは僕だけか。



JR東海「会いにいく、が今日を変えていく。」 (1分00秒)






JR東海「会いにいこう」 feat.賀来賢人 (4分14秒)






2023年7月21日追記

JR東海は車内チャイムとして使われてきたTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」を
7月21日よりUA(ウーア)の「会いにいこう」に変更した。
2003年、東海道新幹線の品川駅開業を機に採用されて20年…。
親しまれてきた「AMBITIOUS JAPAN!」を惜しむ声がある一方、TV-CMで
お馴染みになった「会いにいこう」にわくわくする声も…。
なお、JR西日本は同じく2003年から鬼束ちひろの「いい日旅立ち・西へ」を
車内チャイムとして採用しているが、今後も継続する。





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2023/02/20

松本零士さん逝く…

★松本零士さん逝く…

晴れ♪

昨日ほどではないが、今日も暖かい♪



松本零士さんが亡くなった…。
享年85歳…。

高校時代の1971年(昭和46年)に「男おいどん」の連載スタート。
大山昇太(のぼった)の四畳半の下宿生活…。
無芸大食人畜無害とは、よく言ったものだ…。
サルマタケの生える生活は学生時代の自分と重なる思いで見ていた。

「銀河鉄道999」は社会人になった1977年(昭和52年)に連載スタート。
ほどなくしてTVアニメ化され、虜(とりこ)になった。
やはり、星野鉄郎のキャラが自分に重なった…。
メーテルに恋した男が多かったのでは…。
そして、車掌もいいキャラだった。

「宇宙戦艦ヤマト」は…。
個人的にはあまり傾倒しなかった…。
が、後に大ヒットしたことは誰もが認めるところ。


大山昇太(のぼった)や星野鉄郎らと同世代だった。
彼らに自分を重ねた方々が多かったのでは…。
とにかく、無条件に楽しませてくれた作品が多かった。

ご冥福をお祈りいたします。







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