★EXPO 2025♪
雨…。
肌寒い…。
EXPO 2025大阪・関西万博開催。
昨日は開会式が行われ、今日開幕して一般客の入場が始まった。
55年前のEXPO’70と同じ半年間の開催。
来場者は2,800万人を想定。
大阪・夢洲会場は盛り上がったようだ。
しかし、関東では興味の対象から外れている。
関西に行くならUSJだろう…。
心配された工事の遅延…。
インド、チリ、ネパール、ベトナム、ブルネイ5ヶ国のパビリオンが13日の開幕日には
開館しないことを発表した。
内装工事が完了していないなどの理由で当分の間、閉館予定。
ま、最小限のリスクに抑えた形で開幕を迎えたようだ。
・EXPO 2025公式サイト
1970年(昭和45年)には大阪で万博開催。
55年前、日本中が万博に沸いた。
のべ6,400万人を動員した。
毎日35万人が集まったEXPO’70。
全国から大阪に押しかけ国鉄も潤った。
潤い過ぎて万博後の落ち込みに危機感をもち、「ディスカバージャパン」を考えだした。
当時、高校2年の僕。
水泳部だったので、夏休みの水泳部の部活、合宿、試合などを消化して…。
野毛山プール、元町公園プール、鎌倉市営プール(現、鎌倉海浜公園プール)では
横浜高校、逗子開成高校などの強豪校と争ったことが忘れられない。
試合が終わると、ようやく夏休み本番。
高校2年の夏休み…。
待ちきれない気持ち…、横浜駅から夜行急行「銀河」に飛び乗り大阪へ。
尼崎の叔父宅に2泊、奈良の友人宅に2泊させてもらった。
尼崎の叔父宅には四国から従兄弟たちも合流して世話をかけた。
そんな叔父、叔母は昨年相次いで亡くなり時の移ろいに…。
そう、55年前の出来事だった…。
奈良の友人はその後年賀状だけのつきあいが続き、定年後に某有名企業の
副社長として東京と奈良の二重生活を12、3年も…。
先月末日まで現役として頑張ってきた。
もう充分だろう。
新宿で何回かのんだことが忘れられない。
もう学園前の自宅に戻っただろうか…。
万博は楽しかったが、行列の洗礼をこれでもかって…。
そりゃそうだ、半年間でのべ6,400万人を動員したという快挙。
帰りも「銀河」。
その列車の中でしつこく流れていたのが由紀さおりの曲。
誰かがラジカセの音を絞って聴いていたのだ…。
夜明け前、眠っていたのに目が覚めた。
ちょうど、静岡駅だった…。
後で知ったのだがリリースされたばかりの”手紙”だった。
前の年1969年に”夜明けのスキャット”が流行ったので、由紀さおり名前くらい
は知っていた。
”手紙”を聴いて、凄い歌唱力だなって感嘆したのを覚えている♪
…、列車の中でのラジカセの音はやんだのだが…。
僕の頭の中ではこの曲がリフレインして…。
夜明け頃、藤沢市の今はなき工場群を見つめながら曲を反芻しているうちに
横浜駅到着…。(現在は巨大ショッピングモールや広大な住宅街などに…。)
今でもこの曲を聴くと、あの日の急行「銀河」を思い出す。
もちろん、「ディスカバージャパン」にも踊らされてあちこちした…。
あの超長寿番組「遠くへ行きたい」もこのキャンペーンの一環。
1970年夏。
行きの夜行急行「銀河」での写真。
米原あたりで朝を迎えて涼しい風に吹かれるため、デッキにたたずむカット。
もちろん、ドアは開け放して。
今じゃあり得ないけど…。
EXPO’70の入場券。
YOUTH(青年)は600円だった。
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